昨日の昼過ぎ、いつもの喫茶店へ行きました。
まずは中日スポーツを読みました。
芸能欄を見ますと、ビリー・バンバンが、初めての自叙伝「さよなら涙 リハビリ・バンバン」(秀和システム)という本を
9月2日に出版するとの記事が載っていました。
お兄さんの孝さんが脳内出血で倒れられ、車椅子状態にもかかわらず歌に頑張っていられることは、「徹子の部屋」の番組で
知っていました。
下記が記事の内容です。

菅原孝(73)・進(69)の兄弟デュオ、ビリー・バンバンが、
初めての自叙伝「さよなら涙 リハビリ・バンバン」(秀和システム)を9月2日に出版する。
デビュー曲「白いブランコ」が大ヒット後の兄弟の確執、ほぼ同時に患った大病を経て、
「今、やっと本当の兄弟になった」(孝)と言えるまでになった心境を赤裸々につづっている。
2人が病に襲われたのは、2014年。デビュー45周年を迎える年だった。
東京都内に住む母親の介護に訪れた孝が、突然脳出血で倒れ、救急車で搬送された。
ジョギングや腹筋・背筋運動などを欠かさなかっただけに、「なぜ僕が…」と大きなショックを受けた。
進の盲腸にがんが見つかったのは、その2カ月ほど前。ステージ2と診断されたが、
手術後、細胞を生検にかけるとステージ3の状態だった。
左半身が不自由になった孝は、懸命のリハビリの結果、着替えや食事は自力でできるようになった。
それでも、「左耳は、まるで蝉がいるようにジーッという音が鳴っていて、よく聞き取れない状態」が今も続く。
また、予備校時代に知り合った妻が、5年前に子宮頸(けい)がんの手術を受けたことも告白。
さらに、同居する長男も脳出血を発症して仕事をするのが難しいことや長女は20年以上統合失調症を患い、
乳がんのため片方の乳房を摘出したことまで明かしている。まさに満身創痍(そうい)の菅原家だ。
一方、進は現在も月に一度の検査を欠かさず、幸いがんの再発がなく健康体を保っている。
そんな2人だが、順風満帆に見えたデビュー後の8年目に解散。
別々の道を歩んだ。納得する曲ができず、お互いが疲れ切っていた。
やがて進はソロで、孝は歌のかたわら司会業という新たな道へ進んだ。
それなりに順調ではあったが、実は孝は信頼するスタッフに連帯保証人になることを頼まれ、
億単位の負債を抱えた秘話もつづっている。
そんなある日、あるイベントで1日だけビリー・バンバン復活の打診を受け、
孝が半ば強引に引き受けたのが、再結成のきっかけに。
8年ぶりにもかかわらず兄弟ならではのハーモニーは、何にもかえがたい魅力であることに気がついた。
そして、病魔を克服して15年6月16日に2人でステージ復帰。
今年3月25日、くしくも一番のファンだった母親キヨ子さんの命日に
「3年越しの45周年アニバーサリー 兄と弟の復活祭」を成功させた。
人前で初めて立ち上がってみせた孝は、「僕らは普通の兄弟とはまったく違う感覚を、二人で味わってきた」
「僕たちはたった二人で闘った。新しい二人の絆をつむいだ」。
兄のすべてを見てきた進も、「今はお兄さんのことを尊敬している」。
揺るぎない絆を結んだ2人は、50周年を目指して新たな旅に出る。
<ビリー・バンバン> 東京都出身の菅原孝・進兄弟で結成。作詞作曲家の浜口庫之助さんの最初の弟子。
1969年デビュー曲「白いブランコ」が大ヒット。
その後、「さよならをするために」「また君に恋してる」など。
72年にNHK「紅白」に出場。オマーン、ネパールなどへ歌の親善大使も。
<メモ> 9月27日にアルバム「オール・タイム・ベスト」を発売。
同日の三重県・桑名市民会館から加橋かつみ、チェリッシュらと出演する「夢のスター歌謡祭」ツアーに参加。
10月28日には、「3年越しの45周年アニバーサリー 兄と弟の復活祭」をブルーノート名古屋で行う。
以上です。
ビリーバンバンの歌は、昔から大好きです。
特に「さよならをするために」という曲は、私たち夫婦の結婚披露宴でのバック・ミュージュックに
使ったほど、大好きな曲です。
孝さんのご家庭が、自分は脳出血で下半身不自由の身の上、
予備校時代に知り合った奥様が5年前に子宮頸(けい)がんの手術を受けられ、
さらに、同居するご長男も脳出血を発症して仕事をするのが難しい。
ご長女は20年以上統合失調症を患い、
乳がんのため片方の乳房を摘出されている。
孝さんのご家庭がここまで大変な状況にあることを、この記事を読むまで知りませんでした。
リハビリなどを含めて大変な状況だと思いますが、この状況を脱していただき、まだまだ素敵な歌を聴かせて欲しいです。
ビリー・バンバン 「目覚めた時には晴れていた」
まずは中日スポーツを読みました。
芸能欄を見ますと、ビリー・バンバンが、初めての自叙伝「さよなら涙 リハビリ・バンバン」(秀和システム)という本を
9月2日に出版するとの記事が載っていました。
お兄さんの孝さんが脳内出血で倒れられ、車椅子状態にもかかわらず歌に頑張っていられることは、「徹子の部屋」の番組で
知っていました。
下記が記事の内容です。

菅原孝(73)・進(69)の兄弟デュオ、ビリー・バンバンが、
初めての自叙伝「さよなら涙 リハビリ・バンバン」(秀和システム)を9月2日に出版する。
デビュー曲「白いブランコ」が大ヒット後の兄弟の確執、ほぼ同時に患った大病を経て、
「今、やっと本当の兄弟になった」(孝)と言えるまでになった心境を赤裸々につづっている。
2人が病に襲われたのは、2014年。デビュー45周年を迎える年だった。
東京都内に住む母親の介護に訪れた孝が、突然脳出血で倒れ、救急車で搬送された。
ジョギングや腹筋・背筋運動などを欠かさなかっただけに、「なぜ僕が…」と大きなショックを受けた。
進の盲腸にがんが見つかったのは、その2カ月ほど前。ステージ2と診断されたが、
手術後、細胞を生検にかけるとステージ3の状態だった。
左半身が不自由になった孝は、懸命のリハビリの結果、着替えや食事は自力でできるようになった。
それでも、「左耳は、まるで蝉がいるようにジーッという音が鳴っていて、よく聞き取れない状態」が今も続く。
また、予備校時代に知り合った妻が、5年前に子宮頸(けい)がんの手術を受けたことも告白。
さらに、同居する長男も脳出血を発症して仕事をするのが難しいことや長女は20年以上統合失調症を患い、
乳がんのため片方の乳房を摘出したことまで明かしている。まさに満身創痍(そうい)の菅原家だ。
一方、進は現在も月に一度の検査を欠かさず、幸いがんの再発がなく健康体を保っている。
そんな2人だが、順風満帆に見えたデビュー後の8年目に解散。
別々の道を歩んだ。納得する曲ができず、お互いが疲れ切っていた。
やがて進はソロで、孝は歌のかたわら司会業という新たな道へ進んだ。
それなりに順調ではあったが、実は孝は信頼するスタッフに連帯保証人になることを頼まれ、
億単位の負債を抱えた秘話もつづっている。
そんなある日、あるイベントで1日だけビリー・バンバン復活の打診を受け、
孝が半ば強引に引き受けたのが、再結成のきっかけに。
8年ぶりにもかかわらず兄弟ならではのハーモニーは、何にもかえがたい魅力であることに気がついた。
そして、病魔を克服して15年6月16日に2人でステージ復帰。
今年3月25日、くしくも一番のファンだった母親キヨ子さんの命日に
「3年越しの45周年アニバーサリー 兄と弟の復活祭」を成功させた。
人前で初めて立ち上がってみせた孝は、「僕らは普通の兄弟とはまったく違う感覚を、二人で味わってきた」
「僕たちはたった二人で闘った。新しい二人の絆をつむいだ」。
兄のすべてを見てきた進も、「今はお兄さんのことを尊敬している」。
揺るぎない絆を結んだ2人は、50周年を目指して新たな旅に出る。
<ビリー・バンバン> 東京都出身の菅原孝・進兄弟で結成。作詞作曲家の浜口庫之助さんの最初の弟子。
1969年デビュー曲「白いブランコ」が大ヒット。
その後、「さよならをするために」「また君に恋してる」など。
72年にNHK「紅白」に出場。オマーン、ネパールなどへ歌の親善大使も。
<メモ> 9月27日にアルバム「オール・タイム・ベスト」を発売。
同日の三重県・桑名市民会館から加橋かつみ、チェリッシュらと出演する「夢のスター歌謡祭」ツアーに参加。
10月28日には、「3年越しの45周年アニバーサリー 兄と弟の復活祭」をブルーノート名古屋で行う。
以上です。
ビリーバンバンの歌は、昔から大好きです。
特に「さよならをするために」という曲は、私たち夫婦の結婚披露宴でのバック・ミュージュックに
使ったほど、大好きな曲です。
孝さんのご家庭が、自分は脳出血で下半身不自由の身の上、
予備校時代に知り合った奥様が5年前に子宮頸(けい)がんの手術を受けられ、
さらに、同居するご長男も脳出血を発症して仕事をするのが難しい。
ご長女は20年以上統合失調症を患い、
乳がんのため片方の乳房を摘出されている。
孝さんのご家庭がここまで大変な状況にあることを、この記事を読むまで知りませんでした。
リハビリなどを含めて大変な状況だと思いますが、この状況を脱していただき、まだまだ素敵な歌を聴かせて欲しいです。
ビリー・バンバン 「目覚めた時には晴れていた」
強く生きているのはボクだけかと思っていましたが、
家族全員、これを満身創痍と言うのでしょう。
力の限り、振り絞って欲しいですね。
それでも前向きに頑張っておられるご様子で、立派だと思います。
素敵な歌声で、ファンも多かったと思います。
再結成されて良かったです。
ちょっとくらい頭が痛いだの腰が痛いだのって文句言ってる自分がはずかしくなりました。
今24時間TVで義足の女性が槍ヶ岳に上っています。
健康が当たり前に生活しているとちょっとしたことで落ち込みますが、世の中にはいろんな障害をかかえていても、それをバネにして頑張ってる人がいっぱいいます。
その人たちから逆に元気をもらっています・・・という言葉を聞くたびに、なんかうそくさい・・・って思っていましたが、最近はその言葉を素直に受け止める自分がいます。
残り何年あるかわからない人生だけど、何事もあきらめない精神で生きたいなって思いますね。
>強く生きているのはボクだけかと思っていましたが、
家族全員、これを満身創痍と言うのでしょう。
ここまで不幸が襲うなんて、あまりにも酷いと思いました。
神も仏もないですね。
>力の限り、振り絞って欲しいですね。
よく朝の来ない夜はないと言います。
どんなに大変でも、やがて朝がおとづれると思います。
>人生 何があるか分からないですね。
それでも前向きに頑張っておられるご様子で、立派だと思います。
ここまで不幸が続くなんてあるんですね。
それでも前向きに生きられているのに感心します。
>素敵な歌声で、ファンも多かったと思います。
再結成されて良かったです。
まだお兄さんは耳の雑音のためか歌いづらいようですが、なんとか頑張って欲しいです。
そのお二人がそんなに苦労されてるとは
それでもやはり歌うことが彼らの幸せなんでしょう
いろんな障害がありそうですが、頑張ってほしいですね
>ビリーバンバンのお二人がこんな人生を過ごされていたなんて、まったく知りませんでした。
ちょっとくらい頭が痛いだの腰が痛いだのって文句言ってる自分がはずかしくなりました。
お兄さんが半身不随になられていることは知っていましたが、ご家族がこんなに大変なことになっているとは知りませんでした。
それでも負けずに頑張っていらっしゃることに感心しました。
>その人たちから逆に元気をもらっています・・・という言葉を聞くたびに、なんかうそくさい・・・って思っていましたが、最近はその言葉を素直に受け止める自分がいます。
かずちゃんの素直に受け止められる気持ちは立派です。
私の家の近くに障害を持たれている方の授産施設があります。
私が朝ジムに向かっていると、毎日真面目に通っていらっしゃる障害者の方に出会います。
おそらく安い賃金で働かされていると思います。
そのような方にもっとお金になるような仕事があればなぁと思います。
ちょっと話がそれました。(苦笑)
>残り何年あるかわからない人生だけど、何事もあきらめない精神で生きたいなって思いますね。
諦めなければ、きっと光が射しますよね。
>前に書いたこともあるのですが
ビリーバンバンの「恋の花うらない」が僕のギター最初の練習曲でした
すいません、忘れていました。(苦笑)
「恋の花うらない」って、ビリーバンバンの初期の歌ですよね。
>そのお二人がそんなに苦労されてるとは
それでもやはり歌うことが彼らの幸せなんでしょう
いろんな障害がありそうですが、頑張ってほしいですね
不思議なことに悪いことって、重なるものですね。
ビリーバンバンの歌は、私の青春に欠かせないので、頑張っていただきたいです。
病を抱えながら生きる道を持っていられる姿は
歌があるから頑張れることだと思いますが
それにしては大変な人生ですね。
私もこの暑い旅は疲れました。孫たちが楽しそうに
していたのが行って良かったですが家に帰宅してからが体調が悪くてシンドイのでパソコンしばらくの間は
出来ないかも知れません。
いつもいつもコメントして頂き感謝しています。
ありがとうございます。
>歌があるから頑張れることだと思いますが
それにしては大変な人生ですね。
大変だと思います。
子供たちが病気の為食っていけないなら、親が頑張る以外ないですが、その親もリハビリ中でまだまだ時間がかかるとしたら、辛いですね。
歌が希望だと思います。
>孫たちが楽しそうに
していたのが行って良かったですが家に帰宅してからが体調が悪くてシンドイのでパソコンしばらくの間は
出来ないかも知れません。
お孫さんとの夏休みの旅行が楽しくて良かったですね。
パソコンのことは当分置いておいて、休養に努めてくださいね。