団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

〇〇ちゃんのお母さん

2018-02-23 05:12:54 | 日記
中日新聞の「障害者は四つ葉のクローバー」という伊是名夏子さん(いぜな・なつこさん、骨の折れやすい障害で電動車椅子を
使いながら、神奈川県内で子育てに奮闘中)のエッセイが載っていました。

 タイトルは「『肩書』より名前で」。


 学生時代、米国に留学した時、困ったことの一つが、先生の名前を知らないと、質問できないことでした。
「先生!」と呼ぶのではなく、「ミスター」や「プロフェッサー」に付けて呼ぶためです。
また米国では先生が保護者を「〇〇ちゃんのお母さん」ではなく、その人の名前で呼ぶのが普通で、
個人を尊重していると感じました。

 結婚すると、急に夫の同僚や知り合いから「奥さん」と呼ばれるようになり、その違和感も忘れられません。
私の名前、言い換えると私自身は必要がないように感じられ、夫が前に立たないと何もできない気持ちにさせられました。

 今は時々子供たちに「今日はママはお休み。なっちゃんって呼んでね」という時間を作っています。
名前で呼ばれると、がんばらなくてもいいかな、手を抜いちゃえ!と、気持ちが楽になるからです。

 私は友だちの子が泣いたりイタズラしたりしても、温かく見守ることができますが、わが子だと「どうしたんだろう」
と気になってしまいます。
「ママ」と呼ばれると「母親として何かしなければならない」と思ってしまうのです。
母親という「肩書」で呼ばれると、無意識に社会的役割を担ってしまうのですね。


 インターネットで「私お母さんだから」という歌が、理想の母親像の呪いのようだと
話題になりました。
女性は子どもができると「母親なんだから、仕方ない」と諦めてしまうことの多いこと!
でも名前を呼んでもらえると、やりたかったことを思い出し、自分らしさを取り戻すことが
できるかもしれません。

 そして相手を名前で呼ぶことで、今まで知らなかった面白い一面を発見できるかもしれませんよ。
肩書にとらわれず、お互いに「名前」で呼び合うことを広めて見ませんか?


 以上です。



  なるほどね〜。
>また米国では先生が保護者をまた米国では先生が保護者を「〇〇ちゃんのお母さん」ではなく、その人の名前で呼ぶのが普通で、
個人を尊重していると感じました。

「〇〇ちゃんのお母さん」、たしかにそう言いますね。(苦笑)
男でも養子に入ると、ご近所さんにいつまでも「あそこの養子さん」と言われます。
日本は個人をあまり尊重してこなかったかもしれませんね。
この方が提案されるようにお互いに「名前」で呼び合うことに賛成です。







ムーン・リバー by オードリー・ヘップバーン
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この男性のお気持ちはよくわかります。(笑)

2018-02-22 05:20:32 | 日記
中日新聞の読者投稿欄に「孫の受験 仏壇前で応援」というタイトルで、72歳の男性の投稿文が載っていました。


 私は、隣の市に住む高校2年生と中学校3年生の孫娘2人が
幼いときからそれぞれの遊び相手となり、習い事や塾への送り迎えをしてきました。

 一月下旬の高校受験の前日に「体調は良いか」「忘れ物はないか」などと電子メールを送ったら、
孫の返信は「気が散るからメールを送ってこないで」。
試験当日、私は心の中で「落ち着いて頑張れ、大丈夫」と励ましながら仏壇の前で手を合わせました。

 わが家近くの別の孫二人は小学校6年生と3年生で、ともに習い事などの
送り迎えをしていますが、「おじいちゃん、ただいま」と笑顔で言ってくれると疲れも吹き飛びます。
やがて受験を迎えるでしょうが、そのときはどんな反応をするのか、今から楽しみです。

 
 以上です。


この72歳の男性は、お孫さんのために送り迎えを頑張っていらっしゃいますね。
私は保育園の送り迎えはしましたが、習い事や塾の送り迎えはしていません。

 うちの長男の孫も来年高校受験です。
今から気になっていますが、この男性のように高校受験の前日に「体調は良いか」「忘れ物はないか」などと電子メールなどを
送らないようにしなければいけないと思っています。
 お孫さんに「気が散るからメールを送ってこないで」と言われるような邪魔はしないようにしなければ。(苦笑)
ただし、この男性のお気持ちはよくわかります。(笑)







シバの女王 レーモン・ルフェーブル La Reine de Saba
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大切なお友達との友情が、長く続きますように。

2018-02-21 05:38:43 | 日記
 中日新聞の投稿欄に33歳の女性が「大切な友と いつまでも」というタイトルで投稿されていました。


 大学時代の友人が夫の留学に伴ってカナダ・バンクーバーに越して2年近くになります。
この友人と私は大学の寮で知り合い、社会問題や国際情勢、人生などについて語り合い、
大学時代はいつも一緒にいました。
今は私にも家庭と仕事があり、たまに無料通信アプリLINE(ライン)で互いの近況を
報告していますが、時差もあるので気軽には連絡できません。

 「学生時代はあんなに同じ時間を過ごしてきたのに・・・・」。
会えなくて話せない寂しさを感じることもよくありますが、
どんなに時が流れたとしても、お互いを取り巻く状況がいかに変わったとしても、
私にとっては今も変わらず大切な友人です。
私の素顔を知っている家族以外では数少ない人間だからです。
私も、友人の家族以外で友人の素顔を知っている一人だと思うからです。

 これからもこの友人とはお互いを尊重しながら
仲良くしていきたいと思っています。

 「よろしくね」




 以上です。


 大切な友人と,いつまでも仲良くしていたいという気持ちはよく理解できます。
独身時代は仲良くしていた友とも、結婚するとどうしても家族との時間が優先しますので、
休日などで友人と付き合うことはほとんどなかったです。

 定年後 また付き合いを開始すれば良いのですが、なかなかそうもいかないです。
長い間のブランクがあるので。(苦笑)

 この投稿者の方とお友達もそれぞれご家族があるようですので
会える機会も減ってるようです。
またお友達はカナダの方へ行かれてしまっているので、なかなか密に連絡ができないようです。
でもご本人達が連絡を欠かさないように努められれば友情は長く続くように思います。
大切なお友達との友情が、長く続きますように。






「シェルブールの雨傘 Les Parapluies de Cherbourg」~Soundtrack by Michel Legrand
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 羨ましい老後の生き方ですね。

2018-02-20 06:04:08 | 日記
中日新聞の「くらしの作文」に「絆」というタイトルで、85歳の女性の作文が載っていました。




 私たちは昭和26年春、三重県立員弁高等学校卒業以来の親友4人組である。

 それぞれ子育てを終え、親を送り、夫にも先立たれ、厳しい嫁の座を乗り越えてきたものばかり。

 なぜかそろって生き永らえ、現在85歳。
同居ながらも皆、悠々自適の暮らしをしている。

 平成に入ってから、年1回1泊の旅を続けているが、一人も欠けたことがない。
1泊なので行き先には限りがあるが、東は東京、箱根、西は有馬、白浜と。
また大河ドラマにちなんだところへは勇んでいく。

 それはそれは楽しくて、うれしくて、言葉には言い尽くせないくらいの
生きがいを感じるのである。

 まるで、青春時代を取り戻すかのように。
この喜びが、長生きの秘訣だと自負している。

 それが去年からは年2回になった。
この春は運転手付きの車で、加賀温泉郷と決まった。

 少々ぜいたくと思えないこともないが、この年になってくると、
「いつ、ついの旅になるやも」という思いで自分を許せるのである。

 どうぞ、来世もこんな絆にめぐり合えますようにと、
周囲に感謝しながら、その日を待っている私たちです。


 以上です。


 高校時代の親友4人が全員お元気で、29年間も一人も欠けずに
1泊の旅行を楽しまれているなんて、素晴らしいと思いました。
みなさん悠々自適の暮らしをされていて、同じような境遇だから
出来るんでしょうね。
 親友4人全員で旅行されることが青春時代を思い起こし、
若さを取り戻されているように思いました。

 羨ましい老後の生き方ですね。






Fly me to the Moon [日本語訳付き]    ドリス・デイ
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つらいときや悲しいとき、いつも私のそばには歌があった。

2018-02-19 05:30:04 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「私のそばにいつも歌が」というタイトルで、65歳の主婦さんが投稿されていました。



 私は歌を歌うことも聴くことも大好きだ。
幼い頃「サン・トワ・マミー」や「黒い花びら」などの流行歌を意味も分からずに口ずさんでいた。
小学校から高校まで合唱部に所属し、中学生のときに三重唱で近畿ブロック大会に出場した。

 思えば私は歌とともに生きてきて、それぞれの曲に人生を重ね合わせることができる。
つらいときや悲しいとき、いつも私のそばには歌があった。
当時聴いていた曲を耳にすれば涙が出ることもある。

 歌を聴くために手にしたのはレコードからカセットテープになり、やがてCDとなった。
テレビで歌謡番組があれば必ずチャンネルを合わせて一緒に歌ったり聴いたりしてきた。

 今も朝起きるとCDをかけて歌を聴きながらカフェオレを飲む。
そして夜はCDを聴きながら眠る。
三月に発売予定の女性歌手のアルバムを心待ちにしていて
早く歌詞を覚えて歌いたいと思っている。


 以上です。


 私もこの方のように歌好きですが、
「今も朝起きるとCDをかけて歌を聴きながらカフェオレを飲む。
そして夜はCDを聴きながら眠る。」というほどの歌好きではないです。(笑)
「つらいときや悲しいとき、いつも私のそばには歌があった。」。
この思いは同じですね。(笑)

 私の青春時代の思い出の曲を羅列するならば、
まずは坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」です。
次は舟木一夫さんの「仲間たち」、「高原のお嬢さん」。
その前に橋幸夫さんと吉永小百合さんの「いつでも夢を」かな。
加山雄三さんの「君といつまでも」、映画の主題歌「シエルブールの雨傘」、
ジリオラ・チンクェッティの「夢見る想い」、「愛は限りなく」。
かみさんとの思い出の曲、ビリーバンバンの「さよならをするために」、
チエリッシュの「白いギター」などなどです。(笑)
まだまだありますが、いつも私のそばには歌があったと思います。







ランブリンローズ/ナット・キング・コール
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