イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

池田忍 「手仕事の帝国日本 :  民芸・手芸・農民美術の時代」読了

2022年03月14日 | 2022読書
ずっと、「民藝」という言葉が気になっていて、一度、民藝について書かれた本を読んでみようと思って検索していたらこの本が出てきた。
民藝運動というのは、柳宗悦らが日常の生活道具に潜んでいる美しさを見直そうではないかという運動である。僕は漠然と、何が知りたいというのでもないが、民藝について書かれた本を読んでみたかっただけであった。焦点が定まっていないのでよけいに何を読むべきかもわからなかったのだが、少なくともこの本は民藝について書かれたものではなかった。
時代としては、民芸運動が始まる前、この運動につながってゆく前段の時代背景を解説したものだった。

明治維新のあと、日本の芸術は輸出振興と大きく関わってきた。殖産興業のひとつとしてヨーロッパの万国博覧会へ美術品を出品し、外貨の獲得を目指したのだ。
現代の美術工芸とは江戸時代からの流れで、各地の大名や豪商のお抱え作家たちの流れが明治以降も続いたのだと思っていたが、今の美術工芸の世界は国によって作られたものであったというのは知らなかった。なので、明治の頃の展覧会や品評会というのはほぼすべてが官製の品評会だったそうだ。また、その目的のひとつとしてはタイトルにもなっているように、帝国主義を国民に植えつけるというものもあったそうだ。日本の伝統的な美術を特別なものとして押し上げることでナショナリズムを高揚させ、他国の美術との差別化し、また、沖縄やアイヌなどと大和人との差別化を図ったのである。
その頃には、美術、工芸、手芸というようなヒエラルキーができ上ってきた。こういったところでも権力争いは起こり、絵画や彫刻は重要視されたが、陶器や木工、手芸といったものは軽視されるようになっていったという。

そういう風潮に疑問を呈した作家たちが1880年代生まれの芸術家であったという。この本に登場には富本憲吉、藤井達吉、山本鼎の3名の芸術家が登場するが三人とも、そういった逸品ものの芸術作品ではなく、職人が作る工芸品、もしくは女性たちが生活のためにつくる手芸品に芸術性を見出そうとしたのである。
この頃には日本にも中産階級と言われる人たちが増え始め、こういった人たちがこぞって工芸品を買い始める。そこに目を付けたのが百貨店だったそうだ。自ら作家を育て、展示会を開催して客を集めるという手法が確立されていった。今では業者に丸投げだけれども当時はそういった産業への貢献があった。

そういった流れからもっと生活に根差した美しさを重要視しようと分かれてきたのが柳宗悦ら民藝運動であったというわけだ。

というのが大体の話であるが、ほぼ興味がない話なのでなかなか読み進めるのに苦労した。この三人の作家についても何の知識もないし、残念だが掘り下げて知ってみたいとも思わなかった。
結局、いろいろな人たちの権力、利権、名誉の争いみたいな話で、商売が絡むと純粋であるはずの芸術も純粋でなくなり、それに踊らされているのが民衆であったという結論だと思った。
今度は、もうちょっと手仕事をクローズアップした本を探して読んでみたいと思う。

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加太沖釣行

2022年03月12日 | 2022釣り
場所:加太沖
条件:長潮 9:18満潮 
潮流:6:53転流 9:37下り1.3ノット最強 12:41転流
釣果:マアジ 3匹

ワカメ採りに精を出していたら加太への釣行が半月ぶりになっていた。潮はよくないが天気は上々の予報だ。



防寒着を着ていこうかどうしようかと新聞を取りに表に出るとかなり暖かい。さきおとといのワカメ採りの時はそれなりに寒かったのとはえらい違いだ。
これでは防寒着は暑すぎる。急いで物置からカッパを引っ張り出した。

転流の時刻前には加太に到着しておきたいと思い午前5時に家を出た。港への道中、水軒川の堤防を走りながら海の方を見てみると、すごい靄とそれに反射する何かの光が見えた。遠近感がないのでこの光は雑賀崎の方の光が靄に反射しているのかしらと思っていた。しかし、空気はかなり乾燥している感じなのにこんなに靄が出ているというのは変な天気だと思って港に向かう道に入っていくと今度はなんだか焦げ臭いにおいがしてきた。えらい早朝から焚き火をしているやつがいるのかと思ったら港の入り口の駐車場に赤い回転灯が見える。消防車が5、6台も集結していたのだ。



一体何があったのかと思い周りを見てみると、防風林の中で消火活動をしている様子だ。



どうも松の枯葉を集めている場所が燃えているようだ。
とりあえず写真を撮って出港の準備をし、渡船屋の女将さんに話を聞きに行くと、午前4時20分に港に来た時には何の兆候もなく、一番船が出た後に焦げ臭くなってきてすぐに消防車がやってきたとのこと。一番船は午前5時には出るので30分ほどの間に火が出たということになる。本格的に火の手が上がったのはもっと後になってからだろう。おそらく早朝にウォーキングしている人が火を見つけて通報したのだろが、日本の消防組織というのは凄い、こんなに短時間にこれだけの台数の消防車が集結してしまうのだ。人間の身体でいうとすごい免疫力を持っているということだろうか。
それはさておき、まったく火の気のないところに火が出た原因は何かということだ。
もう、これは確信しているのだが、渡船屋に来た釣り客の仕業に違いない。感染予防でトイレを閉鎖しているので防風林の中で咥えタバコをしながら立小便してポイ捨てしたのだ。
ここの釣り客のマナーには問題がある。以前にも書いたが、駐車場でウ〇コをする輩までいる始末だ。
今日は風がなかったので大事には至らなかったけれども、風が強い日であれば林の木々に燃え移っていったかもしれない。
人知れず焚き火を楽しんでいるとはいえ、誰かには見られているだろう。警察が犯人捜しをし始め、最近近くで焚き火をしているやつを見かけるなどと証言されれば容疑者の筆頭近くには挙げられてしまうかもしれない。
迷惑な話だ。


ここからがやっと本題。

今日は新しい試みをふたつしたいと考えていた。ひとつはメバルを釣ること。もうひとつはおだんごクラブの会長さんと管理人さんに教えてもらった帝国軍秘伝の仕掛けを試すことだ。秘伝といっても、帝国軍の中ではみんな知っているようだが・・。
メバルはずっと釣りたいと思っていた魚だ、食味としてはガシラのほうが美味しいと思うのだが、釣技としてはメバルのほうが難しい。だからそれをマスターしたいと思っていた。今日はいわゆるメバル凪のような日で絶好のチャンスだ。
朝一はメバルを狙ってみて潮流が最強になる頃に秘伝の仕掛け、その後は獲物のあるなしで秘伝の仕掛けを続けるか普通の仕掛けに戻すかを考えてゆきたいと思う。

ボヤの取材をしすぎたので出港の時刻には辺りはすっかり明るくなってしまっていた。田倉崎を超えた時にはすでに転流時刻になってしまっていた。下り潮に入ってゆくのでメバル狙いはナカトの上手の浅場にしようと考え北上してゆくと、テッパンポイントの付近で小さいながら魚の反応が出てきた。ポツポツと点のように映る真鯛っぽい反応だ。ひょっとしてこれはチャンスかもしれないと考え予定を変更、さっそく秘伝の仕掛けを下してみた。



この仕掛けは使うオモリが小さいので浅場中心がターゲットらしく、しかもここ、テッパンポイント付近で最も有効であるという話だった。これはひょっとして天の配剤かと思ったけれどもそんなに甘くはない。しばらくやってみてアタリがないのでそのままナカトの上手へ移動。



水深30メートル前後のところに仕掛けを下してみるが、アタリはないし、枝素がすぐに絡まってしまう。細い糸がとメバル用の鉤がないのでダイソーで買ったナイロン糸と材料箱に入っていた鉤で適当に仕掛けを作ってきたのだがどうもそれもよくない。



糸は腰のあるフロロカーボンが必要だし鉤も小さい方がよさそうだ。
今日は仕方がない。これを使いながらオモリのロスを防ぐため仕掛けを根掛かりさせないように注意しながら場所を転々としてゆくという、相当消極的な作戦になってしまった。
地ノ島に沿って移動してゆくがまったくアタリがない。



長竿を出しながら近くを流している船がアタリを捉えたようだ。確かにこの周辺にはメバルはいるようだ。
次回はもうちょっと態勢を整えて挑もうとここでメバルを諦めた。

同じ場所から秘伝の仕掛けをスタート。さっき来たルートを逆戻りしながら探ってゆくがこれもダメだ。
ナカトまで戻ってきた時点で正攻法の高仕掛けに変更。なんとか魚を持って帰りたい。
しかし、今日はかなり潮が悪いらしく、帝国軍も潮の速いナカトのど真ん中に集中している。あたかも、「同盟軍の諸君、ここに来られるものなら来てみるがよい・・!」と言っているかのごとくだ。



さすがにロックオンの嵐に見舞われるのはご免なのでちょっと離れて仕掛けを下す。



しかしアタリはない。このあとは遊牧民のように転々と移動し始めた。いちばん釣れないパターンに自ら入って行ってしまっているという感じだ。

この時点でボウズを覚悟し、沖ノ島の北側のポイントをやってみてそのまま帰ろうと思い、ラピュタ前へ。



ここには釣れているのかどうかわからないがたくさんの船が集まっている。
ほぼやる気がない状態で仕掛けを操っていると、なんと、アタリが出た。真鯛ではないけれども、魚だったらなんでもいい。バレずに上がってきてくれと祈る。
あがってきたのはそれほど大きくはないマアジだ。おかずにはなる。

その後2回ほど同じ場所を流すがアタリはなく、最後の場所、コイヅキへ。ここでダメなら即退散だ。



しかし、神様は僕を見捨ててはいなかった。水深70メートル付近で流し始めるとすぐにアタリが出た。これもマアジだ。その後もまたアタリ。これで3匹、あと1匹釣れば叔父さんの家に持っていける。しかし、ここでアタリがなくなった。周りの船は時々魚を上げているがこっちはまったくダメだ。このポイントはいつもそうだが、潮の流れている場所とたるんでいる場所の差が大きい。しかもそれが混在している。少ししか離れていなくてもこっちの潮は流れていなくても向こうは流れているというということが往々にしてある。おそらくそんな違いなのだろう。
潮を見るのが上手な人はそこをうまく流すのだろうが僕にそんなことはできない。
ちょうど正午を機に終了とした。

結局、転流時刻からここで釣っていればそれなりの釣果があったということだろう。そういう読み方もあったのだろうが、今日は秘伝の仕掛けを試すというのが第一の目標であったのだからこれはこれで仕方のないことなのである・・。
ボウズじゃなかっただけありがたいと思っておこう・・。
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ワカメ採り3回目

2022年03月10日 | Weblog
今年の3月はあまり荒れない。「春に三日の晴れなし」というくらいで、たとえその日の天気がよくても翌日の予報が雨ならばワカメを干せない。ところが今年は晴れの日が続くことが多い。2週間連続でワカメを採りに行ける。今日から4日間は晴天が続くらしい。
特に今日は風がなくて穏やかな日になった。これで潮の回りがよければなおさらよいのだがそこまでは贅沢を言ってはいけない。
小潮で、おまけに干潮時刻は午前3時半。午前9時を過ぎると満潮になるのでとにかく朝早くに採り終えなければならない。魚を釣りに行く日でもないのに午前4時に目覚まし時計をセットした。
まだ真っ暗な午前5時半に家を出て夜明けとともに出港。
今日の採集場所は僕が一番いいワカメが採れると思い込んでいる磯の最先端部分だ。



ここに来ることができる日は風が穏やかで、しかも東からの風の日に限られる。それ以外の日は磯際に船を着けるがあまりにも危険なのだ。

東には大きな防潮壁があるのでまったく日が当たらないがなんとか底は見えている。ワカメが生えているであろう少し黒ずんで見える場所にカネを突っ込んでグリグリやると今日もいいワカメが採れる。まったくゴワゴワした感じがなく、艶々している。そして、光を通すと、褐色の中に緑色が透けて見える。こういうワカメがいいのだ。

こんな日でも船は左右に振られるので船が岩に当たらないよう気を遣わねばならないし、ここに生えていると目を付けた場所も船が移動するのですぐに場所がわからなくなってしまう。しかし、こんな場所だから歯ごたえのある香り高いワカメが生えているのに違いない。もう少し潮が引いていればワカメの場所を見極めることができるのだが、半分は勘で探っているのでなかなか数を採れない。
1時間ほど採り、もう少し欲しいところだが、これだけあれば自分の家の分と他所へ持っていく分はあるだろうと思い今日の採集を終了。



港に戻り帰り支度を終えたのが時刻午前8時ちょうど。かなり早い時刻だったので午前中に十分干し終えられると思い、港の近くのタラノメポイントの調査に向かった。ここは一昨年に見つけた場所だが、去年、新たに巨大なタラノメの木を見つけた場所だ。(奥に見えるのが巨大なタラノメの木だ。)さすがにまだ芽は硬い。



ここは第2ポイントよりも成長が遅いようだが、それでもあと10日もすれば食べ頃の芽が出てくるだろう。

干すためのワカメは今日で終わり、あとは佃煮用にもう少し硬くなったやつを採りに行くだけだ。

過去の記録を見返してみると、例年に比べて採りに行っている日は10日ほど早い。この冬の気温が低かったのでワカメの成長が早かったのか、それともたまたま天気がよくて採りに行ける日があったからなのか、そこのところはよくわからないのだが、どちらにしても今年のワカメの品質は過去最高ではないかと思うほどいいワカメを採れたと思う。



硬くなりきらないワカメを採るためには生えていようがいまいがかなり早い時期から調査をし始めて採りに行くタイミングを窺う必要があるのかもしれない。そういう意味では2月の半ばに調査に向かったのが奏功したのかもしれない。
おかげで素早く春のミッションをひとつ終えることができた。次はタラノメ採りだ。



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池谷裕二 「できない脳ほど自信過剰 ( パテカトルの万脳薬 )」

2022年03月06日 | 2022読書
面白いタイトルの本を見つけた。なぜこんなタイトルに反応したかというと、同じ事務所にいる、自分は相当仕事ができる人間だと思い込んでいる社員がきっかけだ。僕を含めてだが、こんな職場に異動してくる人間というのは、使えないか使いにくいという理由でここに来ているのだから、少なくとも自分自身を、「私は仕事ができる。」と自己評価できるはずがないと思うのだが、それができてしまう人間の思考回路というのはいったいどういう構造なのだろうかと知りたくなったわけだ。

この本は週刊朝日に連載されていたエッセイをまとめたもので様々なトピックスを(連載当時の)最新の論文発表をもとに書かれている。著者は東京大学の薬学部の教授で海馬や大脳皮質の可塑性を研究しているそうだ。自分の研究についてのエッセイではなく、いろいろな学術誌に掲載された脳についての不可解でかつ不条理とも思える習性などを紹介している。ひとつのテーマが3ページという短さというのがもったいない気がした。
パテカトルというのは、アステカ神話に出てくるお酒(プルケ)の神様のことだそうだ。現地の言葉で「薬の人」という意味がある。この神の配偶はリュウゼツランの女神らしいのでひょっとしたらテキーラを作っていたのかもしれない。酒は百薬の長というから薬とお酒は何らかの関係があるのだろう。

タイトルにもなっている、「できない脳・・・」についてはこんな理由であると言う研究結果がある。
これは、ユーモアを理解する能力についての調査(ユーモアを理解するためには高度な理解力が必要だと言われている。)だが、「あなたのユーモアの理解度は同年代のなかでどのくらいに位置していると思いますか」という質問に対する答えを統計すると、ユーモアを理解する能力の低い人ほど自己評価が高いことがわかったという。つまり、できない人ほど「自分はできる」と勘違いしている傾向があるのである。
さらに調査を進めるとそのメカニズムがわかってくる。こんな感じだ。
①能力が低い人は、能力が低いがゆえに、自分がいかに能力が低いかを理解できない。
②能力の低い人は他人のスキルも正しく評価できない。
③だから、能力の低い人は自分を過大評価する傾向がある。
という流れがおこるそうである。この現象は心理学の分野ではよく知られているらしく、「ダニング=クルーガー効果」と呼ばれているそうだ。
これを読んで、「確かに勘違いしている人はいる。具体的に名前が思い浮かぶぞ。」と自分を棚に上げている人もすでにダニング=クルーガー効果に陥っているらしく、こういう現象は、「バイアスの盲点」と呼ばれているそうである。
う~ん、人を呪わば穴二つ。僕も「バイアスの盲点」に陥っているようだ・・。

そのほか、自分の知らなかったことや話のネタになりそうなものを書き残しておこうと思う。

ジェトロフォビア症候群という症状がある。これは、被笑恐怖症と訳されるそうだが、人口の7%ほどがこの症状を持っているという。この人たちは普段からあまり笑わない傾向があるという。何か楽しいことがあっても、その裏に隠れている不安、たとえば、誰かに嫉妬されないだろうかとか、この楽しいことが次のどんなことにつながるのだろうかとか、現実を冷静に見つめてしまうからだそうだ。大きな魚を掛けても、すぐに糸が切れるんじゃないか、鉤が外れてしまうんじゃないかと心配してしまうのは僕もその7%だからかもしれないのだ。だから大物が掛かってもあまりうれしくないのである・・。

著者たちの研究で、記憶をよみがえらせる薬を発見したそうだ。効果は劇的だそうだ。(この文章はいつ書かれたものかは知らないが、いまだ新聞でも読んだことがないのだが本当だろうか・・?)
著者の説明ではこうだ。忘れた記憶というのは完全に消え去ってしまったのではなく、脳のどこかに蓄えられていているのだが、「心」がその情報にアクセスできなくなっているために「忘れた」という状態に陥っているだけだという。現在の研究では、脳内に保管された情報へのアクセスを遮断させる新たな「記憶」ができることで、「忘れる」という現象がおこると考えられている。つまり、忘却とは、「思い出すな」という別の形の記憶が脳回路に保存されるとういう前向きな現象だというわけである。こうした記憶を「消去記憶」と呼ぶらしい。ネズミの実験では、胎児のころの記憶まで残っているという。
しかし、自分が思い出すなと指令を出した記憶を呼び戻してもろくなことにならないのではないかと思うのは恥ずかしい人生を歩んできたからだろうか・・。ただ、受験生時代にこの薬が使えたらもっと楽しい学生生活を送れたのではないかと悔やんでしまう・・。まあ、頭が悪いから記憶が定着する前に消えてしまっていたはずなので呼び戻そうにも呼び戻すものさえなかったであろうが・・。

その記憶についてだが、コンピューターのようにあまり正確に記憶してしまうと記憶の照合に齟齬が生じて、物の「同一性」を捉えることができなくなってしまうので人は曖昧に記憶するようにできているのだそうだ。人の顔を正確に覚えてしまうと、髪型や眼鏡の形が変わっただけでもその人を認識できなくなってしまうのだという。
曖昧に記憶する能力というのは歳を取るほどに進化するそうだ。「最近はどうも記憶力がない」というのは、記憶力が劣化したのではなく、もともとそういう風に人間はプログラムされているからだそうだ。歳を取るほどに応用性や融通性が効いてくるということだから大いに自信を持ちなさいといえるらしい。

人生で成功するためのモチベーションについての研究では、選択肢が少ないほど成功する確率が高いという結果があるそうだ。
モチベーションには心理学的には「内部動機(内発的動機)」と「手段的動機(外発的動機)」の2種類に大別することができる。内部動機とは、いわゆる、純粋なやる気のことである。なぜ研究をやっているのかと問われ、「宇宙の神秘を解明したい」「生命の謎に触れたい」と答えるのが内部動機である。「魚を釣りたい」というのも内部動機だ。手段的動機とは、「出世したい」「金持ちになりたい」みたいな動機である。
内部動機と手段的動機の違いは、ほかに代替方法があるかどうかである。手段的動機には代替手段があるが、内部動機にはそれがない。宇宙の神秘を解明したかったら解明するしかないのである。逆に褒美をもらうことで気合が入るのは典型的な手段的動機である。
米軍の士官学校の士官候補生の追跡調査では「軍隊そのものが楽しい」というような内部動機を挙げたひとのほうが1.5倍ほど将校に出世できたという。
目的達成のための選択肢は少ない方が成功しやすいということと、「これが好き」というものでないと成功を収められないということが統計上でも明白なのである。ファッションになどまったく興味がないのにこの業界に就職してしまったというのが大誤算であったというのはそのとおりだ。

人間の顔の表情だけでこの人は性的エクスタシーに浸っているのか痛みに苦悶しているのかはわからない。快と不快は極限状態では同じ表情になるのである。我慢していたおしっこを出すときにはスッキリした気持ちになるが、実はあれは生得的には不快な感覚だそうだ。赤ちゃんがオムツにオシッコをしたときに泣くのは濡れたオムツが気持ち悪いからではなく、尿意や排尿が不快だからだそうである。それを後天的な学習によって「解放の前兆」として官能的快感として味わっているのである。
人間の能力はどんなものでも全開にすることはない。アクセルを踏むときには必ずブレーキもかかる。全開になってブレーキが効かなくなった状態は火事場の馬鹿力というやつだ。
痛みについても同じで、「痛い!」と感じるときには、同時に「痛くない!」という脳内信号も走る。
痛みを消す神経物質はエンドルフィンやエンケファリンという物質だが、これは脳内麻薬というやつだ。痛みが快感というマゾヒストたちはそのバランスが崩れて痛みに付随する快感が前面に出てしまった人たちなのである。
辛みが好きという人も同じで、辛みを感じる神経は痛みを感じる神経と同じ神経なのでマゾヒストなのである。これはやばいと思ってしまうのだが、オシッコをしたときに快感を感じるのも学習的マゾヒズムだというのでまあ、そういうのは僕だけじゃないということだ。

共感と同情というのはよく似ている表現だが、じつは似て非なるものであるという。同情というのは、心理学的な見解だと、「苦しんでいるのが自分でなくてよかった」という感情が含まれているという。これはこれでなんだか冷たい話だが、同情は利他行動という助け合いの感情にもつながるものだそうだ。共感が他者の感情や状況を経験することであるのに対し、同情は他者の感情や苦しみを理解することなのである。
ネズミは電気ショックを与えられている仲間を見ると、あたかも自分がそれを受けているように怯える。これは心理的コピーというもので、脳の中では、「前部帯状皮質」という部分の活動が活発になってくる。ここは痛みを感じる部位でもあり、他人の苦痛を自分の心の出来事として追体験しているということを表している。
人間のこの部分を刺激すると、つらい思い出の記憶と同時にこの困難をなんとか克服したいという意識も現れるという。これが利他行動につながるのだと著者はいう。
自閉症のネズミには心理的コピーという現象は現れないという。ウクライナ侵攻のニュースを見て、これはいかんだろうと思えているうちはまだ自閉症にまでは至っていないのかもしれない。ただ、悲しいことだとは思うけれども、募金やデモに参加しようとまでは思わないので、僕は共感止まりの人間ということになるらしい・・。

人は悲劇が好きだ。過去から現在まで、悲劇を描き続け、鑑賞し続ける。これはどんな心理かというと、悲しい音楽や物語を聴いたり観たりすることは快感であるからだという。これは、知覚と情動は必ずしも一致しないということを意味している。悲しい音楽は楽しい音楽よりも効率よく快感を引き起こすというのである。この理由には様々なものがあるが、ひとつは「心の共有が心地よい」というものだ。悲しい作品を通じて作家と同化することに快感を覚えるのである。また、「悲しみを感じることのできる自分を確認するのが喜ばしい」という心理もあるそうだ。悲しいイベントは頻繁に起こるものではない。平凡な生活を送っていても情動が枯渇していないことを確認しているのである。しかし、その裏では、「これは架空のことであって、現実の自分とは無関係だ」と強く認識しているという。「どうせ自分ではない」と思うのである。これらのことを総合してひとことでまとめると、「人は他人の不幸が快感に感じる。」となる。脳の活動でも、他人が失墜すると報酬系が活動するらしい。
仲間を蹴落としても自分の遺伝子を残したいという本能かもしれないが、やはり、他人の不幸は蜜の味なのである。

こんなことを読んでいると、人というのは相当ナルシストであると思えてくる。彼が自分自身を高評価するのも無理はないと思えてくるのである・・。

そのほか、いろいろなおもしろいトピックが書かれているが全部は書ききれない。最後に、死の直前について書いておこう。
人間が死を迎えるとき、心臓が止まり血流がなくなってから脳の働きが停止するまでには約30秒ほどのタイムラグがあるそうだ。その間、脳はどんな動きをするのかというと、これはネズミの実験だそうだが、次第に活動を止めていくのではなく、最初の3秒はほぼ生きているときと同じ状態で、続いてアルファ波やシータ波という脳波が強く表れ、その後ガンマ波の値が異常に高くなるそうだ。この波は瞑想をしているときに強くなる波らしいが、意識が明晰になるような状態らしい。それも、トップダウンという、外からの感覚情報がなくても脳内から情報を呼び起こす状態で、これは「想像する」であったり、「思い出す」というような作業と似ているのだそうだ。臨死体験をした人たちがきれいな花畑を見たり、これまでの人生が走馬燈のように駆けめぐったというのもあながち嘘ではないようなのである。最後の最後に素晴らしい世界を眺めることができるように人はプログラムされているというのもなんだか不思議である。

そして、こういう本には必ず、人工知能と人間の関係はどうなるのか、また、心とはいったいどこにあるのかという疑問というものが提示されている。
人工知能に対する著者の考えはこうだ。これから先、人工知能は芸術、音楽、文学などの感情に訴える分野にまで進出してくる。それは、人間がどんな音楽を聴くと心地よく思い、どういった音階や文章が感動を生むかということも学習して表現することができるようになる。一般の職場でも人間以上の合理的な判断ができるというのはすでにそうなりつつある。そんな時代に必要なのは人工知能との「共存」だと著者は言う。人は現場で職務を担当するプレイヤーになるというのだ。つまり人は、「職場」という舞台で人工知能の描いたシナリオ通りに演じる「役者」となるというのである。
なんだか味気ない。まるでクライアントが決めた仕事だけを請け負ってやっている今の仕事のようだ。まるでオカネをもらうためだけに働くという、手段的動機しか持たない人間のようになってしまえということなのか・・。そんな時代を生きなくて済むというだけで幸せと思えてくる内容だ。著者は、これがこれからの最善の生き方だと思っているのだろうか・・。

心がどこにあるかという問題では、脳を作り出すということが書かれていた。すでに、人間のiPS細胞を使って脳を作ることに成功しているそうだ。血管ができていないのでごく小さな脳(直径4ミリくらい)だそうだが、大脳皮質があったり、記憶をつかさどる海馬や網膜もできたそうだ。人の意識というのは間違いなく脳の中にあるのだろうから、この4ミリの脳が意識を持っているかということが問題になる。著者は、もしこの脳をゴミ箱に捨ててしまったら殺人罪になるのかどうかという疑問を呈している。
あなたは誰?とこの脳に聞いても何も教えてくれないだろうが、本当にあなたは人生を考えているのだろうか・・。

人工知能もそうだが、意識のあるものというのは、親から生まれて死んでいくようにしなければやたらと問題が多くなるというのが結論のようだ。確かにそんなことを悩む時代に生きなくてよかったと思えてくる。
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ワカメ採り2回目と焚き火の練習4回目

2022年03月03日 | Weblog
4回目にして早くも焚き火の練習は渡船屋の休業日と決めていた禁を破ってしまった。
天気予報を見てみると、これから1週間は雨がなさそうだ。これはワカメ採りにはうってつけの条件だ。ただ、干潮時刻はお昼過ぎ。僕の採り方では潮が高くても採れないことはないのであまり気にしないのだが、予報では風が強そうだ。これが明日だとまったく穏やかな天気になるのだが、そこはサラリーマンの悲しさ。とりあえず準備だけして港に行き、船を出すのが無理なら諦めて、明日、改めて伝家の宝刀、ズル休みという有給休暇を取ってやろうと考えた。せっかく港に行って何もせずに引き返すのはもったいないので焚き火の禁を破ろうと考えてしまったのだ。

港に行く前に叔父さんの家に寄ると、久々に円卓会議が催されていた。蔓延防止で中断していたが、少し暖かくなってきたのと、みんな孤独に耐えられなくなってきたのだろう。
そこで時間を潰しながら叔父さんの家越しに防風林の木を見ているとやっぱり風が強い。これではとてもじゃないが船は出せそうにない。
午前9時半、会議の終了後に港に行き、焚き火の準備。当然ながら船頭は事務所に待機しているし、渡船客の車も停まっている。ボートのオーナーさんもひとりいて何かの作業をしているが、僕が焚き火の準備をし始めても誰も気に留める様子もない。途中で釣り客も帰ってきたが同じだ。人は意外と他人の行動には関心がないようだ。逆に僕のほうの自意識が過剰なようである。これからは堂々と焚き火をしよう。

今日も防風林から薪を拾ってきて着火の作業。今回も火打ち石でやってみた。やっぱり一発で着火せず、2回目のトライでやっと着火したのだが、これは息を吹きかける角度が重要なようだ。真上からではなく、少し下の方から吹き付けるのがコツだと感じた。まあ、朝いちなので焚き付けが湿っているということもあるのかもしれないが・・。
しかし、火が点くまでにはかなりの息を吹きかける必要があるので一瞬ボ~っとなる瞬間がある。ここ数日は駅までの途中で目眩を起こすことがないのでちょっとは心臓の具合も回復したのかと思ったが相変わらず全身の機能は衰えたままのようである。火打ち石での着火もあと数年すると無理になるかもしれない・・。

今日からはいよいよ調理実習だ。手始めに一番簡単な湯沸かしからだ。今日のメインの作業はワカメ採りなのでさすがに食材を持ってここに来るわけにもいかないし、まだ、僕の自意識が渡船屋の営業日にそれをやることを許さないのだ。

森に落ちている薪というのはけっこう湿っているようだ。一昨日は大雨で昨日もぱっとしない天気だったからだろうか、これは桜の木のようだが、切り口からはジュクジュクと水らしきものが湧き出てくる。なので、やたらと煙が出て目に染みる。それでも火の勢いというのはすさまじくどんどん大きくなってゆく。



頃合いを見計らってヤカンを投入。5分ほどで湯が沸き始めた。



ここでひとつ気がついたことがある。使っている焚き火台だが、意外と小さい。ヤカンを置くともう余裕がない。僕の焚き火の先生はヒロシなのだが、彼が使っているピコグリルというブランドの焚き火台はもう少し大きいはずだ。ピコグリルは1万5000円以上する商品だが、僕が買ったのは2560円の安物だ。中華製のものだが本家をコピーしているのでサイズも同じだろうと思ったのだがどうも違うようだ。これではふたつの調理を一度にできなさそうだ。これは残念だが、まさかこんな遊びの1万5000円もつぎ込むことはできないので我慢するしかない。

お湯を沸かして何をするか。アウトドアではコーヒーだろうと思うのだが、今日はお茶だ。ずっと前に試供品でもらったものがテレビの前に置いたままでこれを使ってやろうと考えた。試供品なのでティーパックにでも入っているのだろうと勝手に考えていたらパッケージの中にはお茶の葉だけが入っていた。仕方がないのでマグカップにそのまま放り込んでお湯を入れてみたが分量もマグカップ1杯分どころか急須ひと瓶分ほどあったようで、出来上がったお茶はやたらと苦い。あまり知らないことはやらない方がよいという典型となってしまった。
デザートは叔父さんの家の隣の玄関先に実っていた金柑だ。久しぶりというか、数十年ぶりに食べてみたが渋すぎるお茶にはなんだか妙にマッチしている。




調理実習の最終目標はご飯を炊くことだ。炊飯器を使わずにお米を炊くのはかなり難しいと聞いている。僕もキャンプで一度ビールの空き缶を使ってお米を炊くというのをやってみたが出来上がったものは硬くて食べられたものではなかったという記憶がある。もちろん、家でもそんなことはやったことがない。
そのために、メスティンというアルミ製の飯盒を買っているのだが、先日、もっと面白いものを見つけた。一人用の土鍋だ。



うちの奥さんは土鍋を使って上手に鯛めしを焚いてくれるので僕もそれに倣おうという考えだ。
さっそく、今日買いに行ったら、商品はすでに店頭から撤去されていた。3月に入って模様替えをしたようだ。諦めきれないので店員のお姉さんに聞いてみると、「もうないですよ。」とすげない返事。僕も小売業で働いていた人間なのでこういう店員の心理と行動はよくわかっている。面倒くさいだけなのだ。おそらくストックにはまだ置いているはずだと考えて、今度はちょっと聞き分けがよさそうな男性店員をつかまえて3日前に置いていた土鍋ってまだありますかと聞くと、やっぱり撤去された商品はストックに置かれていた。これで無事にゲットすることができたのだが、これが欲しいと思った時にすぐに買えない自分自身にも情けなくなる。たかが330円の土鍋なのだが、3日前には財布の中身が乏しかったのだ。
そんな話を奥さんにすると、オカネがあるなしの前に、こんなものを買うと、店員からひとり暮らしの寂しい初老の男と勘違いされるよと忠告を受けてしまった。まあ、確かに同じようなものだと僕は思っているのだが・・。


風は強いままなので、お茶を飲んで薪を焚き終わったらそのまま帰ろうと思っていたのだが、心なしか風が弱くなったような気がしてきた。



ん?これくらいなら行けるんじゃないかという気がしてきた。潮もかなり引いてきたし、ダメ元で行ってみようと焚き火セットを片付けて出港の準備に取り掛かった。
港内は静かだったので大丈夫そうだと思ったが、一文字の切れ目を超えるとやっぱり風と波が強い。しかし、ここまで来てしまったのだから引き返すわけにはいかないので比較的安全な大島の北側のポイントに向かった。
浅場に入ると少しは波も穏やかになる。碇を下してカネを突っ込むといい感じのワカメが採れる。最低限の分量を採ったところでここから見える一文字の付け根のポイントが気になる。これは思い込みだが、あっちの方がいいワカメが採れるのだ。遠くから見る限り、波はそれほど高くはなさそうなので思い切って行ってみることにした。
しかし、北西の風が吹いている中だ、磯に近づくと船の上下運動が激しくなってきた。むりやり近づいて碇を下すが立ったままでカネを操ることができないほどだ。デッキに両ひざをついてワカメを採り始める。品質はというと、やっぱり思い込みだけのようで、あっちもこっちもそんなに変わりはない。ちょっとだけ大島の方が大きいと感じるくらいだ。もっと大きくなってこないかぎり品質には差はないようだ。



恐る恐る採り続けて、これくらいあれば十分かというところで離岸。じつはこれが一番怖い。とくにここは磯の南側なので今日のような風だと磯ギリギリに碇を落としておかないと北西の風に押されて船が磯から離れすぎてしまう。離岸するために碇のロープをたぐり寄せてゆくとどんどん磯に近づいてゆくことになる。ここで寄せ波に出くわすと船が磯に激突することになってしまうのだ。今日もタイミングを間違えたか、舳先が磯の上に乗ってしまった。何度かカネの先で船を押し出したがビクともしない。幸いにして次の波で脱出することができたけれども下手をすれば船が磯に張り付いて船外機のスクリューを大破させるか舳先を軸にして転覆するかどちらかになってしまう。やっぱりこんな日にはワカメを採ってはいけないのだ。明日にズル休みを取った方がよほどよかった。これでは永遠の休日を得てしまいそうだ・・。
だからこの間の写真は1枚もない。

家に帰って干してみるとちょうど物干し竿4本分。あまり大きくないので嵩にすると少ないが危険を冒した甲斐がありいい干しワカメができそうだ。




前回のすだれ作戦のワカメはというと、やはり室内では乾燥に限界がある。出発する前に外に出しておいたが、これでやっと普通の干しワカメになったという感じである。




もらってきた金柑は砂糖煮にしてみた。



なぜ金柑が欲しかったのかというと、この前、「みをつくし料理帖」という映画を観ていたら、この料理を松本穂香が作っていた。ピカピカのオレンジ色の金柑が画面越しからでも美味しそうに見えた。もともと叔父さんの家の隣に金柑の木があるのは知っていたので、これは作ってみなければと思っていたのだ。隣の叔父さんも円卓会議のメンバーなので今日、久しぶりに会うことができ大量にもらうことができたというわけだ。ちなみに、ハバネロの苗もこのおじさんからもたらされたもので、去年の種から芽が出てきたよと教えてくれた。今年もヒーヒーできそうなのである。

金柑には種があるということを知らなかったが、これを取るのは面倒だ。しかし、その甲斐あってかなかなか美味しそうに出来上がった。もう少し煮た方がよかったか、皮がちょっと硬いけれども少しの苦さと甘酸っぱさのハーモニーはなかなか美味しい。



金柑の木にはまだまだ大量の実がなっている。いつまで残っているのかは知らないが、もう1回は作りたいと思うのだ。

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「人間の本性 人間とはいったい何か」 読了

2022年03月02日 | 2022読書
アルフレッド アドラー/著 長谷川 早苗/訳 「人間の本性 人間とはいったい何か」 読了

アドラーの個人心理学について、書かれたり、関連した本というのは何冊か読んだことがあるけれども、この本は本人の講演録をもとにして書かれている正真正銘の本人の著作である。もちろん一般向け書物ではあるが。
他の解説本と異なるのは、アドラーが分析した心理学を利用して、どう生きればいいのかという指針というものが書かれていないことだ。そこは表題のとおり、人間の本性はどうやってできていくのかということだけを書いている。

アドラーの心理学に特徴されるのは、人間の性格というものは、子供の頃、それもかなり初期段階にどんな生き方、教育のされ方をしたかでその人の決まってしまう。そして、それはどんなことをしても死ぬまで変わることはないと結論づけられているということだ。『子供時代のどんな出来事を覚えているかを聞くことで、目の前にいる人がどのような人間なのかをつかむことができる。それは幼い時に身につけた型から逃れることは難しいということを表している。』と、いうことは、ひねくれた性格の人は死ぬまでひねくれて生きねばならないという、身もふたもないところか始まっているのである。もっと辛辣なのは、唯一、そんな型から逃れられるのは、犯罪者が真に更生するような場合だけであると書いているところだ。なんだか親鸞の悪人正機説を思い出しそうな内容だが、あれは悪人こそ救われるべき対象だということだが、アドラーの説ではもう、すでに救いようがないのだということになっている。
だから、僕がこの本を読んだからといってこれから先、人として道徳的で誰からも称賛してもらえるような人間に生まれ変われるわけでもなく、また、これから先、僕のような人間を再び出現させないために自分の子供を正しく導くという必要もない。
僕自身はこの世界は楽しく生きられる世界だと思ったことは一度もなく、むしろ生き辛い世界だと思ってしまう方だ。しいてこの本を読む理由といえば、どうして僕はそんなにこの世の中を生き辛いものだと思うようになったのかということを知るためということになる。ただ、それだけである。

この本では、社会の中で生きてゆくためには、「共同体感覚」「劣等感」「関心」が必要であると書いている。
共同体感覚とは、アドラー心理学について書かれている本には必ず出てくる言葉だが、人間が生きてゆくうえで必要なものとして備わっているものである。わずかしか自然に対抗できない人間は、連携して生きてゆかなければならなかった。その過程でこの感覚が培われた。人は助け合って生きなければ過酷な自然の中では生き残れなかったゆえの本能的なものであり、それは現代社会にも通用するものであるというのである。
劣等感というと、何か否定的な意味に捉えがちだが、『劣等感は子どもを推し進める力にもなる。そこからすべての努力が生まれて育つ。将来に向けて人生の安心と安全が期待できるような目標を立て、目標を達成するのに適していそうな道を進んでゆく。人は劣等感を克服するために努力をするという行動をおこす。』のである。
しかし、子どもの頃に共同体感覚と劣等感のバランスを崩すと心に様々な弊害をもたらすことになる。
子どもは同年齢でも発育状況がまちまちであり、それが身体的な問題を生む原因となる。『身体的に問題のある子どもは、人生との戦いに足をとられ、共同体感覚を弱めてしまい、その結果、自分のことばかり考え、周囲に与える印象を気にして、他者にあまり関心を示さなくなる。外部からの影響も器官の問題と同等の影響を与え、周囲に対して敵対的な態度をとるようになる。こういう子どもは、自分はほかの子どものようにはできていない、対等ではないと感じている様子を示し、他者とつながらず、一緒に行動したりもしない。反対に、さまざまな不自由のせいで制限されている気持ちになって、何かしてもらおうと期待する感覚や、要求する権利を他の子どもよりも強く示す傾向がある。』という。これは精神的な問題を抱えている子供にも当てはまり、精神生活がひどく病んで乱れると失われる。
『成長する子供がさらされる誤りのなかで最も重大なのは、他者を上回りたいと思い、自分を有利にする力と立場を得ようとする誤りである。わたしたちの文化で当然とされるこの考えが人の精神を満たせば、その人の成長の仕方はほぼ強制的決まる。それを防ごうとする画一的な見解があるとすれば、それは共同体感覚を育てることである。』と、アドラーは考える。確かにそういうやつはどこにでもいる。こういうやつらも子どものころにつらい時期を過ごしたのだと思うことにするとこっちの苛立ちも少しはやわらぎそうだ。僕もそのひとりかもしれないが・・。

子どもは、弱い立場を克服するためにふたつの方法を取る。ひとつは、大人の真似をして権力のふるい方を採用して自分の意志を押しとおす。ひとつは相手が折れずにはいられないような弱さをみせるかどちらかである。
また、問題が生じた時にもふたつの方向に気分が別れてゆく。ひとつは楽観主義で、課題が生じても円滑に解決できると見られる性格を自分の中に育てる。勇気、開放性、信頼、勤勉さなどである。ひとつはこの逆である悲観主義である。気弱、引っ込み思案、閉鎖性、不信など、自分を守ろうとする性格である。
そして、その感覚は大人になっても変わることがない。

まあ、ここらあたりで自分の性格を自分で眺め直してみると、相手が折れずにはいられないような弱さを見せる悲観主義者だなとつくづく思うのである。これ以上書き続けるとあまりにもみっともないことになってしまうので書くのをやめておこうと思うのだが、ほぼ共同体感覚というものが欠如した状態で生きてきたのかもしれない。
しかし、アドラーは、『共同体感覚は、ぼやけたり、制限されたりしながらも一生ずっと存在し続ける。順調なときは家族だけでなく、種族や民族、人類全体にまで広く向けられる。』とも書いている。パソコンでいうところのセーフモードで生きているときにはだれでも共同体感覚を発揮できると言ってくれているのだろうけれども、それではまっとうに生きていけるだけのパフォーマンスがないということだ。
結局、あなたは、あまり目立たず、できるだけ他人との接触を避けて静かに生きていきなさいと言われているようである。そうなると、アドラーが書いているとおり、『周囲の人と親しい関係を作るのは難しいことだが、他者との関係は人間を知る能力を伸ばすのに絶対絶対に必要なものである。人間を知ることとほかの人とつながることは、互いに関係している。理解が足りないせいで長らく他者と離れていると、再び関係を築くことができなくなるからです。』とどんどん世捨て人のようになっていかざるを得ないとなってくるのだ。
まあ、残りの人生もそんなに長くはないのだからセーフモードでもいいやとも思うのであるが・・。

「関心」についてであるが、これは潜在意識の中に植え込まれているものであるらしい。人は、潜在意識に植え込まれている関心と合致するものについては敏感に反応する。いわゆる、「よく気がつく」というやつだ。仕事に関心がないとそういう気付きもないということだ。先回りして手を打っておくとか、根回しというのもそうだろう。この関心というものが子供の頃にだけ植え付けられるものかどうかはわからないが、少なくとも、僕には今の仕事用の「関心」がどうも備わっていないのは確かなようで、だから上の人に認められるような仕事をしてこなかったのだ。ここでも諦めというか、納得というかそうせざるを得ないとなってくるのである。

アドラーは、子供の教育に対しては適切な教育を与えることによって共同体感覚を養うことが可能であると書いているが、大人に対しては諦めろと言っているようにも思えるのである・・。

そのほか、夢、男女についても興味深いことを書いている。人が見る夢は人生の問題が比喩として現れるという。最近はあまり見なくなったけれども、長い間、腰辺りまで水に浸かるような場所で必死に前進するのだがその抵抗でまったく前に勧めず、後ろ向きになってお尻を突き出して水の抵抗を和らげながら進もうとするがそれでも全然前に勧めないという夢をしょっちゅう見ていた。僕は何を克服したかったのかがわからないのだけれど、前に勧めなかったということはやっぱりそれを克服できなかったんだなと思うのである。何を克服したかったのかということを僕自身が知らないということだけが救いである。

男女間の問題について。これは現代にも通じるものがあると思うのだが、長らく続いた男尊女卑の考え方というのは、それまで母権制の形態をとってきた社会構造に対する男性の反乱の結果であり、それに成功を収めたのが現在の姿(この本が書かれたのは1920年代だ)である。
では、子どもの頃からそうやって虐げられてきた女性たちはどうなるかというと、結婚すると夫に対して反乱を起こすようになる。この本では、自分は虐げられてきたと考えている女性は、『自分は弱い立場にいるのだということを強調しつつも、自分がすべき仕事を夫にすぐに押し付け、これができるのは男だけだと言い放つのだ。』と書いている。なんとなくわかる気がする。
また、女性と年齢の関係に、「危険な年齢」と言われるものがあると書いている。『50歳あたりに見られる現象で、身体の変化とともに、女性は、必死に主張してもわずかしか得られなかった評価の最後の残りが、完全に失われるときが来たと思うのです。ますます厳しくなる条件のなか、さらに努力して、自分の立場を守るために役立つことをすべて固持しようとします。』
う~ん、これはまさに今の職場にいる女帝のことを言っているかのようだ。人のことは言えないが、この女帝も多分共同体感覚が欠如しているのであろうが、こんな理由があったのかと思うと可哀想にもなってくるのである。

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