ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「戦争をしない手伝わない!武器を持たない作らない!」これが、日本が世界に言うべきこと!

2015年05月13日 | 日本とわたし


戦後70年
のこす
引き継ぐ


戦後70年シリーズ、
今回は「のこす」立場から、西都保健生協の組合員・岩井忠正さんに聞きます。
岩井さんは1920年生まれ、94歳です。
学徒出陣で、人間魚雷『回天』や、人間機雷『伏龍』と呼ばれる特攻隊に参加させられました。
(田口大喜記者)

人間魚雷『回天』の記憶
=『鉄のお棺』に乗せられて=
元特攻兵 岩井忠正さん(94)


1941年、岩井さんが21歳の時に、太平洋戦争が勃発しました。
慶応大学で西洋哲学を学んでいましたが、兵力の不足のため、1943年から始まった学徒出陣によって、戦争へ駆り出されます。

『大和魂』や『根性』などの精神論がとびかう中、
「この戦争は必ず負ける。石油と鉄が必要な戦争で、日本がそれを輸入していたアメリカを相手にして勝てるはずがない」
と、強く思っていました。

徴兵検査に向かう汽車の中、いっしょに徴兵された弟の忠熊さん(立命館大学名誉教授)と、
「生きては帰れない」
「天皇制は間違っている」
と、周囲に分からぬようドイツ語を交えて小声で語り合いました。
しかし、抵抗することはできませんでした。
「戦争批判は、唱えただけで連行された。
だけど、同じように考えていた学生もたくさんいたはず」
と振り返ります。


◾️『新兵器』と見せられたのは

1944年から、対潜学校(*)で、敵の潜水艦を攻撃する方法を学びました。
日本の戦況が次第に苦しくなっていくなか、
一発必中の新兵器が開発された。搭乗員を募集する」との知らせが。
軍国的な思想強制が嫌で、「1日も早くここから出たい!」と応募。
約400人の学徒兵たちとともに、山口県光市の基地へと送られました。

そこで見せられたのが、水中特攻兵器『回天』、人間魚雷です。



「これはお前たちのお棺だ」

上官は、岩井さんたちに言い放ちました。
「俺たちはこれに乗って死ぬのか…」
その場が静まりかえったといいます。
「そこに人権などない。『運命だ』とあきらめるしかなかった」

ある日、出撃前夜の特攻兵が訪ねてきました。
面識のない彼は慶応出身でした。
激励の言葉はなく、握手を交わす程度だったそう。
「死ぬ覚悟はしていても、死にたくないのは皆同じ。
同窓の私と会うことで、生きてきたこの世とのつながりを確認したかったのだろう」

回天に搭乗して命を落とした若者は、約100人にものぼりました

「死ぬための訓練」を続けた岩井さんでしたが、風邪で受診した軍医から、結核と診断されました(後に誤診と判明)。
転勤命令が下り、出撃は免れました。


◾️人間機雷『伏龍』

その後、広島県呉市の潜水艦基地隊を経て横須賀へ。
そこでまたしても、特攻の訓練を受けることになりました。
人間機雷『伏龍』でした。
これは、潜水服に酸素ボンベを背負い、3mの棒の先端に機雷を仕込んだだけの装備
兵士はこの姿で海底に潜んで、本土に近づく敵の上陸用舟艇に攻撃する、という作戦でした。
ところが、ボンベの呼吸法が難しく、ボンベ内の苛性ソーダを誤って吸いこみ、肺を焼く事故が多発
1945年7月、岩井さんも、訓練中の事故で入院。
退院後間もなく終戦をむかえました。

結局、伏龍は実践に導入されることなく、訓練で約50人の死者を出しただけでした。


◾️妥協は戦争への協力

戦時中の日本は、戦争に反対する気持ちはあっても、沈黙をせざるを得ない状況でした。
結果、特攻隊員に仕立てあげられた経験を、岩井さんは「失敗だった」と語ります。
「抵抗運動を起こせなかったのは、我々の世代の責任。
体制に妥協することは、戦争や犯罪につながる。
それは今でも起こりうること。そのことを知ってほしい」
と続けました。

*******       *******       ********

講演や著書も多い岩井さんですが、この体験を初めて語ったのは、戦後40年を過ぎた60代のころ。
ふとした誘いがきっかけでした。
しかし今は、
「いまの日本の情勢は、戦時中にとても似ている」という危機感で、自宅を訪れる若者たちに語り続けています。

ーーーーーーーーーー

*対潜学校
機雷の設備や水中探索術を習得させる、旧日本軍の教育機関。
横須賀の久里浜にあった。







先日URLだけご紹介させていただいたブログ『こころのかけはし祈りの和』の記事中に、
日頃ずっと考え続けている、平和な世界の構築への日本の役割が、とてもわかりやすく書かれていました。
その中の一部をここに、引用させていただきます。

政治経済担当グループより
http://mirokumusubi.blog115.fc2.com/blog-entry-2449.html
↓引用はじめ

日本が戦争を避けることができるとすれば、それは、武器・軍備の強化によってではなく、
日本が、まず、韓国、中国、台湾、フィリピン、ロシア等のアジア諸国に平和的な話し合いを持ちかけ、平和条約を結び、
そして、国連や世界中の有力な国々、有力な発展途上国に対し、
「日本はこれ以上武装の強化はしない。
日本とアジア連合は、世界各国に対し、政治・経済によって、国際的役割を果たし続ける」
と、
自らが平和国家であることを強くアピールすることによります。
それによって、平和の維持が可能になっていきます。

それが世界の世論の賛同を得ます。
(実際は、戦争・軍産複合体にうんざりしている国が多く、戦争で問題解決をしたい国は少ないため)

日本のこの取り組みを続けることによって、世界に戦争によらない、新しい経済と政治的な流れを世界に作り、
また日本の姿勢、貢献が、世界各国の支持を得て、軍事的にも日本を支援してもらうこととなります。

日本が平和国家として、積極的に動き続ければ、確実に世界の世論を変えていく。
絶えずそのアピールを続ければ、日米安保だけでなく、ロシア、EU諸国、アジアの国々の賛同を得、中国単独で戦争ができない状況を作られていく。
世界が日本を守る形になる。
戦争をしようとする国があれば、その国を政治的、経済的に封鎖して、攻撃できなくする仕組みができてくる。

日本が武装によらない対応策を、本気でアジア各国、世界の有力な国々にアピールし続ければ、それが可能になります。

ただ、これは、今の日本の国の体制では困難なところがありますが、
アジアを一つにまとめることができる、平和的にまとめることができるのは、本来は日本です。
コメント (8)
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