7月8日
昨夜から降ったり止んだりしていた雨がまた降り出した。
雨と曇り空がこれほど恋しかったのは久しぶり。
おかげで気温が少しだけ低くなった。
蒸し蒸しとベタつくけれども贅沢は言うまい。この旅行で初めての35℃以下なんだから。
数年前から食べるとすぐに粘膜が腫れるので食べられなくなっていた夏のフルーツ。
大好物のチェリーも桃もイチゴも、例え信用できるお店のオーガニックの物もだめだったので、この数年はずっと我慢してた。
南フランスの田舎の、ジルが買った近所のオーガニック畑からのだけが、全く腫れたりすることなく食べられた。
すごく久しぶりで、すごく嬉しくて、すごく美味しかった。
だから多分、腫れの原因は農薬だけじゃなく、水や空気など環境全体に及んでいるのだと、しみじみ考えた夏だった。
ケーキの飾り屋さん。
中央奥のコンクリートの塊のような建物は、戦争中に軍によって建てられたもので、その醜い姿を街中に晒している。
一刻も早く解体したいのだけども、あまりに頑丈なためどうしても壊せないままなんだそうな。
タイルの外壁が美しい。
ロシア教会。
ここも落書きが結構多いけれども、フランスと同様に、別段消そうと躍起になっているような様子はない。
ベルヴェデーレ宮殿に向かう。
曇り空の景色も、なぜかウィーンだと美しい。
カモさんたちも、昨日の熱波から逃れることができて、ホッとしてるような気がする。
夫いわく、ボインボインのスフィンクス像。
この方々も、さぞや昨日は暑かっただろうて…。
遠い彼方に見えるシュテファン寺院。
塔のてっぺんをズームしてみた。
その下のバルコニーみたいなとこも。
夏は割合あっさりとしてる。
夫はこの、垣根とベンチの関係が気に入ったらしい。
内部の写真撮影禁止だけれど、建築物はオッケーなので、いきなりどうしてここに登場しているのか意味不明なミドリのおっちゃんを撮った。
その後ろでは…お、重たたた…。
修復中。
この部屋にも唐突に、床を奇妙な物体が…。
この宮殿にはクリムトの作品が展示されていて、あまり気が乗らない風の夫と一緒に、ちょいと覗いてみた。
思っていたよりも『抱擁』の絵が小さかった。
彼の絵は、キンキラが使われていない時代の、草木や家を描いたものが好き。自分的には。
さてさて、本日のメイン、ホイリゲでの夕食に出発。トラムに乗って行く。
ああ懐かしい。
ホイリゲはウィーンのワイン酒場。自家製ワインと簡単な家庭料理を出してくれる。
佐和子のお気に入りのこの店は、滅多に観光客が来ないので、お店の人に英語を話せる人がいない。
炭酸水を自分で作る。ウィーンの水道水は山からのお水なので、すご~く美味しい。
佐和子にすっかりおんぶに抱っこで注文してもらった。みんなすごーく美味しかった!
満腹満腹、さあ帰ろう。
7月9日
ウィーンとお別れの朝。
昨日雷が鳴って、その後シュルシュルと気温が落ちた。夜中は寒いぐらいだった。
そうだよなあ、これがほんとだよなあ、でももう帰るんだよなあと独り言ちながら寝た。
キッチンの窓から。
佐和子んちの天井はメチャクチャ高い。3メートル以上は優にある。
バターフィンガー揃いの家族が、とても大切にしてきた食器を次々と欠けさせて、これがもう最後の、唯一無事に残ってくれてるねん、と佐和子が言ってたカップに、
思いっきり重たい蜂蜜の瓶を落として欠けさせてしまったわたし…許せ佐和子。
ちなみにバターフィンガーとは、動作がぞんざいで食器をしょっちゅう傷つけたり壊したりする人のことで、まあ、指にバターがついているごとく食器を落とす、という感じ。
素人がいい加減に仕上げた我が家の天井とは大違い。
床もすてき。
親思いの優しい佐和子は、毎週必ず決まった曜日に、お母さんに電話をかける。
わたしは彼女を、佐和子のおばちゃんと呼んで、ずっと慕ってた。
佐和子のおばちゃんは、若い頃からとても苦労した人で、その分人にとても優しかった。
一人娘の佐和子を、それはそれは自慢に思っていて、いつも目を細め、少し笑みを浮かべながら、娘のことを見守っていた。
わたしの母は、人一倍、いや、人十倍厳しかったので、優しいお母さんがいる佐和子がものすごくうらやましかった。
スカイプ電話で話す佐和子の横に陣取って、わたしもおばちゃんと話させてもらった。
「まうみちゃん、ほんま、まうみちゃん?」
何度もそう聞かれて、その口調も声も昔のまんまで、懐かしい気持ちが涙といっしょにこみ上げてきた。
おばちゃん、会いに行くからね、待っててや。
いろいろいっぱいお世話になりました。
ウィーンの一階はこんなふうに階段を上る。地面のすぐ上にある階は0階。
玄関ホールも大好き。
ウィーンからパリに戻る。
帰りの飛行機が朝早く出るので、ド・ゴール空港の敷地内にあるホテルに泊まるよう夫が手配してくれたホテルに向かう。
このホテルがまた楽しくて、建物の中に入るとまず、パソコンがずらりと並んだカウンターがあって、客が自分でチェックイン、チェックアウトをするようになっていた。
廊下の両側は、それぞれテーマがある開放型の部屋。
部屋は超シンプル&ハイテク。おばちゃんには馴染むのにちょいと時間がかかった。
最後の最後まで旅を楽しもう!ということで、モンマルトルの町で夕食を食べることにした。
ところが…、
丁度通勤ラッシュの時間と重なったからか、来る電車がどれもギュウギュウに混んでいる。
結局、2本電車を乗り過ごした。
モンマルトルの町は坂道と階段だらけ。
坂道の途中にある小さな広場には、メリーゴーランドが回ってた。
そのすぐ横で、フィドルとギターのライブをやっていて、二人ともにすごく上手かったので、大勢の人たちが立ち止まって聞いていた。
この教会もなかなか良かったけれど、もう教会はたくさん観すぎてゲップが出そうだったので省略。
ステンドグラスがちょっと面白かった。
いろんな窓の向こうに、いろんな人のいろんな暮らしがあるのだろうな。
バテ気味のわたしは、レストラン探しを夫に任せ、近くの公園で一休み。
偶然目の前にあった『愛してます』ボード。
Yelpという、美味しいレストラン探しの強力な助っ人(ネットサービス)を使い(まさかフランスでもあるとは知らなんだ…)、夫が見つけてくれたレストランが、
ほんっとに美味しかったっす!特にこのロゼ。多分これまでの、決して短くない人生の中で、いっちゃん美味かったかも。
マーマイト好きのウィルのために。
この明るさで夜の10時、というのが、さまざまな混乱を招いた旅だった。
7月10日
今日は夫の50歳の誕生日。マイルストーンの仲間入り。
ようこそ50代へ!って…わたしゃあと1年と9ヶ月もしたら、60代に突入しちゃうんだけどもさ。
まるで工場のベルトコンベアーのような、空中をジグザグに交差するエスカレーター。
さあ、我が家に帰ろう。
昨夜から降ったり止んだりしていた雨がまた降り出した。
雨と曇り空がこれほど恋しかったのは久しぶり。
おかげで気温が少しだけ低くなった。
蒸し蒸しとベタつくけれども贅沢は言うまい。この旅行で初めての35℃以下なんだから。
数年前から食べるとすぐに粘膜が腫れるので食べられなくなっていた夏のフルーツ。
大好物のチェリーも桃もイチゴも、例え信用できるお店のオーガニックの物もだめだったので、この数年はずっと我慢してた。
南フランスの田舎の、ジルが買った近所のオーガニック畑からのだけが、全く腫れたりすることなく食べられた。
すごく久しぶりで、すごく嬉しくて、すごく美味しかった。
だから多分、腫れの原因は農薬だけじゃなく、水や空気など環境全体に及んでいるのだと、しみじみ考えた夏だった。
ケーキの飾り屋さん。
中央奥のコンクリートの塊のような建物は、戦争中に軍によって建てられたもので、その醜い姿を街中に晒している。
一刻も早く解体したいのだけども、あまりに頑丈なためどうしても壊せないままなんだそうな。
タイルの外壁が美しい。
ロシア教会。
ここも落書きが結構多いけれども、フランスと同様に、別段消そうと躍起になっているような様子はない。
ベルヴェデーレ宮殿に向かう。
曇り空の景色も、なぜかウィーンだと美しい。
カモさんたちも、昨日の熱波から逃れることができて、ホッとしてるような気がする。
夫いわく、ボインボインのスフィンクス像。
この方々も、さぞや昨日は暑かっただろうて…。
遠い彼方に見えるシュテファン寺院。
塔のてっぺんをズームしてみた。
その下のバルコニーみたいなとこも。
夏は割合あっさりとしてる。
夫はこの、垣根とベンチの関係が気に入ったらしい。
内部の写真撮影禁止だけれど、建築物はオッケーなので、いきなりどうしてここに登場しているのか意味不明なミドリのおっちゃんを撮った。
その後ろでは…お、重たたた…。
修復中。
この部屋にも唐突に、床を奇妙な物体が…。
この宮殿にはクリムトの作品が展示されていて、あまり気が乗らない風の夫と一緒に、ちょいと覗いてみた。
思っていたよりも『抱擁』の絵が小さかった。
彼の絵は、キンキラが使われていない時代の、草木や家を描いたものが好き。自分的には。
さてさて、本日のメイン、ホイリゲでの夕食に出発。トラムに乗って行く。
ああ懐かしい。
ホイリゲはウィーンのワイン酒場。自家製ワインと簡単な家庭料理を出してくれる。
佐和子のお気に入りのこの店は、滅多に観光客が来ないので、お店の人に英語を話せる人がいない。
炭酸水を自分で作る。ウィーンの水道水は山からのお水なので、すご~く美味しい。
佐和子にすっかりおんぶに抱っこで注文してもらった。みんなすごーく美味しかった!
満腹満腹、さあ帰ろう。
7月9日
ウィーンとお別れの朝。
昨日雷が鳴って、その後シュルシュルと気温が落ちた。夜中は寒いぐらいだった。
そうだよなあ、これがほんとだよなあ、でももう帰るんだよなあと独り言ちながら寝た。
キッチンの窓から。
佐和子んちの天井はメチャクチャ高い。3メートル以上は優にある。
バターフィンガー揃いの家族が、とても大切にしてきた食器を次々と欠けさせて、これがもう最後の、唯一無事に残ってくれてるねん、と佐和子が言ってたカップに、
思いっきり重たい蜂蜜の瓶を落として欠けさせてしまったわたし…許せ佐和子。
ちなみにバターフィンガーとは、動作がぞんざいで食器をしょっちゅう傷つけたり壊したりする人のことで、まあ、指にバターがついているごとく食器を落とす、という感じ。
素人がいい加減に仕上げた我が家の天井とは大違い。
床もすてき。
親思いの優しい佐和子は、毎週必ず決まった曜日に、お母さんに電話をかける。
わたしは彼女を、佐和子のおばちゃんと呼んで、ずっと慕ってた。
佐和子のおばちゃんは、若い頃からとても苦労した人で、その分人にとても優しかった。
一人娘の佐和子を、それはそれは自慢に思っていて、いつも目を細め、少し笑みを浮かべながら、娘のことを見守っていた。
わたしの母は、人一倍、いや、人十倍厳しかったので、優しいお母さんがいる佐和子がものすごくうらやましかった。
スカイプ電話で話す佐和子の横に陣取って、わたしもおばちゃんと話させてもらった。
「まうみちゃん、ほんま、まうみちゃん?」
何度もそう聞かれて、その口調も声も昔のまんまで、懐かしい気持ちが涙といっしょにこみ上げてきた。
おばちゃん、会いに行くからね、待っててや。
いろいろいっぱいお世話になりました。
ウィーンの一階はこんなふうに階段を上る。地面のすぐ上にある階は0階。
玄関ホールも大好き。
ウィーンからパリに戻る。
帰りの飛行機が朝早く出るので、ド・ゴール空港の敷地内にあるホテルに泊まるよう夫が手配してくれたホテルに向かう。
このホテルがまた楽しくて、建物の中に入るとまず、パソコンがずらりと並んだカウンターがあって、客が自分でチェックイン、チェックアウトをするようになっていた。
廊下の両側は、それぞれテーマがある開放型の部屋。
部屋は超シンプル&ハイテク。おばちゃんには馴染むのにちょいと時間がかかった。
最後の最後まで旅を楽しもう!ということで、モンマルトルの町で夕食を食べることにした。
ところが…、
丁度通勤ラッシュの時間と重なったからか、来る電車がどれもギュウギュウに混んでいる。
結局、2本電車を乗り過ごした。
モンマルトルの町は坂道と階段だらけ。
坂道の途中にある小さな広場には、メリーゴーランドが回ってた。
そのすぐ横で、フィドルとギターのライブをやっていて、二人ともにすごく上手かったので、大勢の人たちが立ち止まって聞いていた。
この教会もなかなか良かったけれど、もう教会はたくさん観すぎてゲップが出そうだったので省略。
ステンドグラスがちょっと面白かった。
いろんな窓の向こうに、いろんな人のいろんな暮らしがあるのだろうな。
バテ気味のわたしは、レストラン探しを夫に任せ、近くの公園で一休み。
偶然目の前にあった『愛してます』ボード。
Yelpという、美味しいレストラン探しの強力な助っ人(ネットサービス)を使い(まさかフランスでもあるとは知らなんだ…)、夫が見つけてくれたレストランが、
ほんっとに美味しかったっす!特にこのロゼ。多分これまでの、決して短くない人生の中で、いっちゃん美味かったかも。
マーマイト好きのウィルのために。
この明るさで夜の10時、というのが、さまざまな混乱を招いた旅だった。
7月10日
今日は夫の50歳の誕生日。マイルストーンの仲間入り。
ようこそ50代へ!って…わたしゃあと1年と9ヶ月もしたら、60代に突入しちゃうんだけどもさ。
まるで工場のベルトコンベアーのような、空中をジグザグに交差するエスカレーター。
さあ、我が家に帰ろう。