【東京新聞】2015年7月18日朝刊より
集団的無責任体制
新国立競技場の建設計画をめぐる関係者の発言
5月18日
下村文科相:
舛添都知事と面会し、
「屋根を付けると工期が間に合わない。見積もりも1600億円では追いつかない」
5月19日
舛添都知事:
定例会見で、
「誰の責任なのか。誰も責任をとらない体制で、大日本帝國の陸軍と同じ」と批判
6月3日
森五輪組織委会長:
講演で、国立競技場の建て替えに、
「東京都も負担してくれていいとの話になったのは、石原慎太郎元知事の時代から」
6月8日
バッハIOC会長:
スイス・ローザンヌの理事会で、
「問題は決定の中身より、むしろスピードだ」と、工期の遅れを懸念
6月18日
舛添都知事:
森会長から「甘くなるように」と蜂蜜を渡され、
「いっぱい話さないようにする」と笑顔で応じる
7月7日
森五輪組織委会長
工費2520億円を了承した有識者会議で、
「価格がここまで圧縮されたのは極めて妥当だ」
7月8日
石原元知事:
本誌インタビューに、
「(森氏と)費用の話は一切していない」と否定
7月16日
安藤忠雄氏:
都内で会見し、
「(デザインを)選んだ責任はあるが、2520億円になった理由を私も聞きたい」
建築家も槇文彦氏が、新国立競技場の建設計画を「巨大すぎる」と指摘してから約2年。
この間、文部科学省や事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)をはじめ、現場レベルの当事者たちも見直しに踏み切れず、
責任の所在が曖昧なまま時間だけが過ぎた。
「できないなら誰の責任なのか。誰も責任を取らない」
5月19日、東京都の舛添要一知事が、強い口調で国を批判した。
開閉式屋根の設置を、五輪後に先送りするなど、文科省が計画の変更を明らかにした翌日。
昨年5月の基本設計で、1625億円とされた工費は既に、膨れあがる見通しが濃厚になっていた。
槇氏らは、6月ごろ、JSCにも直接、見直しを提案したが、JSCは、
「われわれのミッションは、現行のデザインを前提に工事を進めること」と取り合わなかった。
文科省は、
「JSCに任せきりにしすぎた」と、今年春ごろになって軌道修正に乗り出したものの、
2019年ラグビー・ワールドカップにこだわるあまり、見直しを決断できなかった。
こうした経緯に、下村文科相は6月9日の記者会見で、
「一貫して明確な責任者がどこなのか、よく分からないまま、きてしまった」と発言。
デザイン案の審査委員長を務めた建築家安藤忠雄氏も、今月16日の会見で、
「頼まれたのはデザイン選定までだ」と語った。
↑以上、書き起こしおわり
あのね、森さんですけども、この人、役者ですから。
1週間前の産経新聞のインタビューでは、こんなことを言ってました。
問題は総事業費だけど、そこは腹をくくって国家的事業だからということで、納得してもらうしかないんです。
大事なことは、五輪は、国と東京都と組織委員会が協力してやることなんです。
そして、経費を徹底的に精査すること。
僕が組織委員会にきて、2000億円くらいはすでに圧縮したよ。
それでも東京都が3000億円、組織委員会もトータルで7000億~8000億円はかかる。
でも国は2520億円しか出さない。
おかしいと思いませんか。
3対8対2だよ。
2年前の10月の時点で、計画書に記された金額の2倍以上になっていたそうです。
まずは、開催都市に立候補した1538億円を目指して計画を立案しなければならないのに、その見積もりが5倍?!
そして今は…軽く1兆円超えてるんですけど…。
ずさん、という言葉を1兆回投げつけてやりたい。
どこの国が、ここまで膨大な費用がかかるオリンピックしてますか?
日本は今、経済が絶好調で、国内に何の問題もなく、金を湯水のようにたった数週間の祭りに使えるような状態なんですか?
さらに、もうここでも書きましたけど、自称老害老人石原元知事は、
「フジテレビの『新報道2001』の放送中、
「通勤などで東京都内に流入する都外在住者を対象にして、毎月1000円払わせたらいい。そうしたら年間約600億円が入る」などと言って、
ぜひこの案を導入するよう、強く訴えていました。
無責任だけではなく、厚顔無恥人間の集まりです。
常識的には、これはもう組織としての責任問題です。
問題の理由が何であれ、またその発生時期がいつであれ、このような事態になったなら、責任者が何らかの進退を詳らかにしなければなりません。
なのに…言い訳と責任のなすり合いばかり…。
同じだなあ…。
今日本で起こっている大きな問題に対する、本当は責任を取らなければならない人たちが取っている態度と。
彼らに共通しているのは責任感の無さですが、これは長年に渡り、何かまずいことになったら税金をそこに流したらいい、
万一に備えて、調べが入らないように抑えるべき所は抑えてあるし、少々の追求があっても無責任を通せる法律も作ってある、
そういう後ろ盾があるので、時間が経つのをひたすら待ってさえいれば、また国民はすぐに忘れてしまうからと、平気で今まで通りの暮らしを続けるのです。
もうそんなこっちゃ済まないよ。済ませないよと、教えてあげなければならない時がやってきたと思います。