『海辺のカフカ』を観に行ってきました。
村上春樹さんの同名小説を蜷川幸雄さんの演出で舞台化した作品で、2012年に初演され、2014年に新たなキャストで再演されたものです。
今年、蜷川さんが80歳になることを記念し、昨年上演時のキャストで、5都市を巡るワールドツアーが開催されているのですが、昨日はその中のひとつ、ニューヨークでの最終公演のものでした。
村上春樹さんの小説に、一時期ハマっていたことがあります。
ちょうど、異国の文化が自分の中にダダッと入り込んできた頃のことで、いろんなことにつまづいて気持ちがちょっと落ち込んでいたわたしに、
「これ、ぜひまうみに読んで欲しい」と言って、友人が手渡してくれたのが、村上春樹さんのエッセイ『やがて哀しき外国語』という一冊の本なのでした。
わたしは本の虫と幼い頃から言われるくらい本を読むのが好きで、たくさんの作家の本を読んでいたのですが、
どういうわけかこの、村上春樹さんと角川春樹さんを混同して、なんとなく敬遠していたわたしは、その時初めて、あ、別人だった…と驚いたのでした。
それまで読んだどの作家の言い回しとは違う、思わずそうそう!そういう感じ!と嬉しくなる比喩と、とても読みやすい文調が心地よく、ほとんどすべての著書を読んだかもしれません。
でも、そのうちに少々飽きてきて、少し遠のいていました。
『海辺のカフカ』が出版され、久しぶりの長編だというので、少し間を空けたことだし、ちょっと読んでみようかと書店に行くと、高っ!!
日本だと1600円なのに、こちらの紀伊国屋だと24ドル!上下巻2冊もあるのに!
う~んう~んと渋っていると、普段はあんまり本を読まない別の友人が、そいじゃわたしが下を買うから、お互いそれを読みっこしようと助け船を出してくれて一件落着。
大急ぎで読みました。
それからもう13年が経ち、話の大まかな内容以外はすっぽりと忘れてしまっていましたが、大丈夫、日本語の舞台なんだからと、読み直さずに行くことにしました。
ただ、今回の公演のチケットを、夫の誕生日祝いにとくださった人が、英語の字幕が読めない席なので少し大変かもしれませんと言っていて、
でもまあ、夫も上巻の半分以上は読んであったし、日本語の聞き取りは得意なので、3時間の長丁場ではありますがなんとかなるでしょうと、ありがたくいただいたのでした。
席はここ、左側の二階ボックス席で、舞台から数えて3番目の手すり側。
上部右寄りのところに、字幕用のボードが見えます。これだと全く問題無く読めそうです。
なんとまあ、あんな高いところまで席があったっけか?
だんだんとお客さんが入ってきました。
一番てっぺんの中央に、舞台演出のために忙しく作業する部屋があり、ちょっとズームしてみると、数名のスタッフの皆さんが、休む間もなく準備に追われていました。
始まった!
開演前に、写真撮影は禁止しますというアナウンスがあったのに、こっそりと手すりの下から撮っていると…、
チョンチョンと肩を叩く人が…夫でした…禁止って言ってたの聞いてなかった?
上部の枠に無機質な蛍光灯がついた透明の箱の中で、物語が静かに、そして時には狂気をはらみながら進んでいきます。
そうそう、そうだったと、話の細かな場面を思い出しながら、笑ったり眉をひそめたりして観ているうちに、わたしはとても深い、薄暗い哀しみの中に沈み込んでいました。
それはあまりにも自然で、あまりにも密やかな変化だったので、自分では気づかなかったのですが、
舞台が終わり、役者の皆さんがカーテンコールに出てきて、何度もお礼をする姿を写真に撮っていると、画面がぼやけて何がどうなっているのかさっぱりわからなくなってしまいました。
でもなんとか何枚かは、ピントがずれていますが撮れたみたいなので。
自分がポロポロと涙を流して泣いていることに、カメラの始末をしている時に気がつきました。
おいおい自分、どうしたん?
呆れ顔でたしなめようとしたわたしの目の前に、世界で一番タフな子どもにならざるを得なかった13才のわたしが立っていました。
世界は、どうにもならない、避けようのない、巨大な暴力と絶対悪が存在している。
そのような恐ろしいものが、自分を目がけて襲ってきたらどうすればいいのか。
13才の時のわたしは、本当に疲れきっていました。
でも傍目からは、どこにでもいる、ピアノが人よりうまく弾けるけど体育が苦手で、冗談を言って人を笑わせるのが好きな女の子でした。
でも…どういういきさつでそうなったのかは今も全く不明ですが、気がつくと、チンピラと愛人の女性というカップルが二組、家の客間に居座っていたのでした。
そのチンピラの男のひとりは、わたしを見つけると腕を掴んで部屋まで連れて行き、正座するわたしの前で、その女性とのオーラルセックスを繰り返し、その後必ずこう言いました。
「お前ももうすぐ、この中指でイカしたるさかい、楽しみにしとけよ」
目を反らすと殴られる。その恐ろしさから、わたしは彼らを凝視したまま、心の中を空っぽにする練習をし続けました。
その後も、いわゆるティーンの時代のほとんどは、ヤクザ絡みのゴタゴタに巻き込まれていました。
体のどこかを切られたり打たれたりするような暴力こそ受けなかったものの、脅迫という言葉の暴力に始終怯えていたわたしは、
突如自分でも思っていなかったような突拍子もないことや危険なことを、無意識のうちにやってしまうという症状が出始めて、そのことが一番恐ろしかったのを覚えています。
そして、親に対する敬愛がほとんど無くなってしまい、心身ともに疲弊しきった時などは、死ねばいいのに…などとふと思ってしまうこともありました。
怖かったこと、悲しかったこと、家族がいてもひとりぼっちだったこと。
そして、何が何でも強くならなければならないと思いつめていたこと。
次々にやってくる問題に疲れて、わたしはもしかしたら呪いをかけられたのかもしれない、などと考えたこと。
そんな13才の、そしてそれから数年の間を生きたわたしが、カフカくんのすぐ隣に、影のように儚げに立っていたのを、わたしの心の目が観ていたのかもしれません。
舞台が進む間ずっと流れていたどことなく哀しげな音と、無機質な蛍光灯の光、そして演技をする人たちを包んでいた影。
蜷川さんが作り出した空間は、わたしが本当はもっともっと哀しんで、抱きしめてやらなければならなかった自分を、思い出させてくれたような気がします。
外はまだ明るくて、ナカタさんと話していたネコさんたちの姿を見て、フフッと笑えるところまで回復。
泣くとお腹が減るもんです。
マンハッタンのビルもいい。
今日は街中がスッカスカ!
おまけです。
劇中、森の奥でカフカは、旧帝国陸軍の軍服を着た二人の兵隊と出会うのですが、その兵隊さんたちが言ったセリフを聞いて、思わずのけぞってしまいました。
「正確に言えば、迷ったというのでもない」
「我々はどちらかといえば、進んで逃げた」
「あのままでいれば、どうせ兵隊として外地に連れていかれた」
「そして人を殺したり、人に殺されたりしなくちゃならなかった」
「俺たちはそんなところに行きたくはなかった」
「俺はもともと百姓で、この人は大学を出たばかりだった」
「どっちにしても人なんて殺したくなかったし、殺されるのはもっと嫌だった。あたりまえの話だけどな」
誰も殺したくない。
誰にも殺されたくない。
でも、戦争に行きたくないと言ったところで、「そうか、君は戦争に行きたくないのか。わかった、行かなくてよろしい」
なんてお国が親切に言ってくれるわけがない。
日本がこんなことを言わなければならない若者でいっぱいにならないよう、わたしたち大人が大勢集まって頑張らないと。
なんて、突如観客席で姿勢を正したわたしです。
村上春樹さんの同名小説を蜷川幸雄さんの演出で舞台化した作品で、2012年に初演され、2014年に新たなキャストで再演されたものです。
今年、蜷川さんが80歳になることを記念し、昨年上演時のキャストで、5都市を巡るワールドツアーが開催されているのですが、昨日はその中のひとつ、ニューヨークでの最終公演のものでした。
村上春樹さんの小説に、一時期ハマっていたことがあります。
ちょうど、異国の文化が自分の中にダダッと入り込んできた頃のことで、いろんなことにつまづいて気持ちがちょっと落ち込んでいたわたしに、
「これ、ぜひまうみに読んで欲しい」と言って、友人が手渡してくれたのが、村上春樹さんのエッセイ『やがて哀しき外国語』という一冊の本なのでした。
わたしは本の虫と幼い頃から言われるくらい本を読むのが好きで、たくさんの作家の本を読んでいたのですが、
どういうわけかこの、村上春樹さんと角川春樹さんを混同して、なんとなく敬遠していたわたしは、その時初めて、あ、別人だった…と驚いたのでした。
それまで読んだどの作家の言い回しとは違う、思わずそうそう!そういう感じ!と嬉しくなる比喩と、とても読みやすい文調が心地よく、ほとんどすべての著書を読んだかもしれません。
でも、そのうちに少々飽きてきて、少し遠のいていました。
『海辺のカフカ』が出版され、久しぶりの長編だというので、少し間を空けたことだし、ちょっと読んでみようかと書店に行くと、高っ!!
日本だと1600円なのに、こちらの紀伊国屋だと24ドル!上下巻2冊もあるのに!
う~んう~んと渋っていると、普段はあんまり本を読まない別の友人が、そいじゃわたしが下を買うから、お互いそれを読みっこしようと助け船を出してくれて一件落着。
大急ぎで読みました。
それからもう13年が経ち、話の大まかな内容以外はすっぽりと忘れてしまっていましたが、大丈夫、日本語の舞台なんだからと、読み直さずに行くことにしました。
ただ、今回の公演のチケットを、夫の誕生日祝いにとくださった人が、英語の字幕が読めない席なので少し大変かもしれませんと言っていて、
でもまあ、夫も上巻の半分以上は読んであったし、日本語の聞き取りは得意なので、3時間の長丁場ではありますがなんとかなるでしょうと、ありがたくいただいたのでした。
席はここ、左側の二階ボックス席で、舞台から数えて3番目の手すり側。
上部右寄りのところに、字幕用のボードが見えます。これだと全く問題無く読めそうです。
なんとまあ、あんな高いところまで席があったっけか?
だんだんとお客さんが入ってきました。
一番てっぺんの中央に、舞台演出のために忙しく作業する部屋があり、ちょっとズームしてみると、数名のスタッフの皆さんが、休む間もなく準備に追われていました。
始まった!
開演前に、写真撮影は禁止しますというアナウンスがあったのに、こっそりと手すりの下から撮っていると…、
チョンチョンと肩を叩く人が…夫でした…禁止って言ってたの聞いてなかった?
上部の枠に無機質な蛍光灯がついた透明の箱の中で、物語が静かに、そして時には狂気をはらみながら進んでいきます。
そうそう、そうだったと、話の細かな場面を思い出しながら、笑ったり眉をひそめたりして観ているうちに、わたしはとても深い、薄暗い哀しみの中に沈み込んでいました。
それはあまりにも自然で、あまりにも密やかな変化だったので、自分では気づかなかったのですが、
舞台が終わり、役者の皆さんがカーテンコールに出てきて、何度もお礼をする姿を写真に撮っていると、画面がぼやけて何がどうなっているのかさっぱりわからなくなってしまいました。
でもなんとか何枚かは、ピントがずれていますが撮れたみたいなので。
自分がポロポロと涙を流して泣いていることに、カメラの始末をしている時に気がつきました。
おいおい自分、どうしたん?
呆れ顔でたしなめようとしたわたしの目の前に、世界で一番タフな子どもにならざるを得なかった13才のわたしが立っていました。
世界は、どうにもならない、避けようのない、巨大な暴力と絶対悪が存在している。
そのような恐ろしいものが、自分を目がけて襲ってきたらどうすればいいのか。
13才の時のわたしは、本当に疲れきっていました。
でも傍目からは、どこにでもいる、ピアノが人よりうまく弾けるけど体育が苦手で、冗談を言って人を笑わせるのが好きな女の子でした。
でも…どういういきさつでそうなったのかは今も全く不明ですが、気がつくと、チンピラと愛人の女性というカップルが二組、家の客間に居座っていたのでした。
そのチンピラの男のひとりは、わたしを見つけると腕を掴んで部屋まで連れて行き、正座するわたしの前で、その女性とのオーラルセックスを繰り返し、その後必ずこう言いました。
「お前ももうすぐ、この中指でイカしたるさかい、楽しみにしとけよ」
目を反らすと殴られる。その恐ろしさから、わたしは彼らを凝視したまま、心の中を空っぽにする練習をし続けました。
その後も、いわゆるティーンの時代のほとんどは、ヤクザ絡みのゴタゴタに巻き込まれていました。
体のどこかを切られたり打たれたりするような暴力こそ受けなかったものの、脅迫という言葉の暴力に始終怯えていたわたしは、
突如自分でも思っていなかったような突拍子もないことや危険なことを、無意識のうちにやってしまうという症状が出始めて、そのことが一番恐ろしかったのを覚えています。
そして、親に対する敬愛がほとんど無くなってしまい、心身ともに疲弊しきった時などは、死ねばいいのに…などとふと思ってしまうこともありました。
怖かったこと、悲しかったこと、家族がいてもひとりぼっちだったこと。
そして、何が何でも強くならなければならないと思いつめていたこと。
次々にやってくる問題に疲れて、わたしはもしかしたら呪いをかけられたのかもしれない、などと考えたこと。
そんな13才の、そしてそれから数年の間を生きたわたしが、カフカくんのすぐ隣に、影のように儚げに立っていたのを、わたしの心の目が観ていたのかもしれません。
舞台が進む間ずっと流れていたどことなく哀しげな音と、無機質な蛍光灯の光、そして演技をする人たちを包んでいた影。
蜷川さんが作り出した空間は、わたしが本当はもっともっと哀しんで、抱きしめてやらなければならなかった自分を、思い出させてくれたような気がします。
外はまだ明るくて、ナカタさんと話していたネコさんたちの姿を見て、フフッと笑えるところまで回復。
泣くとお腹が減るもんです。
マンハッタンのビルもいい。
今日は街中がスッカスカ!
おまけです。
劇中、森の奥でカフカは、旧帝国陸軍の軍服を着た二人の兵隊と出会うのですが、その兵隊さんたちが言ったセリフを聞いて、思わずのけぞってしまいました。
「正確に言えば、迷ったというのでもない」
「我々はどちらかといえば、進んで逃げた」
「あのままでいれば、どうせ兵隊として外地に連れていかれた」
「そして人を殺したり、人に殺されたりしなくちゃならなかった」
「俺たちはそんなところに行きたくはなかった」
「俺はもともと百姓で、この人は大学を出たばかりだった」
「どっちにしても人なんて殺したくなかったし、殺されるのはもっと嫌だった。あたりまえの話だけどな」
誰も殺したくない。
誰にも殺されたくない。
でも、戦争に行きたくないと言ったところで、「そうか、君は戦争に行きたくないのか。わかった、行かなくてよろしい」
なんてお国が親切に言ってくれるわけがない。
日本がこんなことを言わなければならない若者でいっぱいにならないよう、わたしたち大人が大勢集まって頑張らないと。
なんて、突如観客席で姿勢を正したわたしです。