ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

永久戦犯岸信介と公職追放組が言い始めた『押しつけ論』は、憲法制定過程に尽力した日本人への侮辱

2016年02月26日 | 日本とわたし
憲法第九条『戦争放棄』は、世界史の扉を開くすばらしき狂人、幣原首相によって生まれたもの!
http://linkis.com/blog.goo.ne.jp/mayum/R8fpB

↑この記事は、2013年の5月8日に書いたものです。
当時のわたしは、終戦当時の首相であった幣原喜重郎氏の存在を、全く知らずにいました。
憲法についても、それほど詳しく無く、自分で学んだ記憶もほとんどありませんでした。
そんなわたしでも、『戦争放棄条項・憲法第九条』については、論議が起こるたびに、自分なりに考えてきました。

記事の冒頭部分に書いた言葉を、もう一度ここに書かせてもらいます。

『この日本国憲法のどこが押しつけか?
押しつけ論のウソは、いったい誰が、どんな目的で作り上げたのか。

以下の、幣原首相の言葉は、一言一句、彼のものか、そしてまた事実なのか、美化されたところはないのか、それはわたしには証明できない。
けども、日本自らが、世界平和への鍵をにぎり、そのドアを開けた国であったことがわかり、胸が熱くなった。

「世界は今、狂人を必要としている。
何人かが、自ら買って出て狂人とならない限り、世界は、軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができない。
これは素晴らしい狂人である。
世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を、日本が果たすのだ」



この幣原首相の言葉が、本当に彼が言ったものなら、そしてだからこそ『戦争放棄条項・憲法第九条』が存在するのなら、どんなに素晴らしいことでしょう!
それが証明できるのならと、この記事を書いてからずっと思っていました。

すると、昨日いきなり、報道ステーションで報道された『岸時代の調査会』という特集が目に入ってきました。
証明されてるじゃないか!
それも、録音テープの肉声で!
驚きと喜びがどっと押し寄せてきました。
文字を起こしましたので、読んでください。

↓以下、文字起こしはじめ


https://www.youtube.com/watch?v=N-VeYDLevyI#t=528

古舘アナウンサー:
特集『安倍総理 憲法改正の原点』です。

あのー、これご覧になったら、何箇所かは、驚かれる部分があると思いますね。
そもそもですね、59年前になりますが、安倍総理のお爺さんであります、当時総理だった岸信介氏が、憲法調査会をスタートさせたわけです。
で、メンバーとしては、国会議員が20人、そして評論家など、有識者の方々が19人、という構成でありました。
さて、その憲法調査会、だいぶん昔でありますが、そもそも、現代になりましてつい最近のことですけれども、
86歳になる、ジャーナリストの鈴木昭典さんという方がいらっしゃいます。
まあこの方は、憲法を研究そして取材、ずうっとやってこられた方なんですが、その方が、こういう設えになっている国立公文書館、
そこに入っていろいろ調べたり取材をしている最中に、あるものを見つけたんです。
ダンボールの箱です。
なんとその中にはですね、全く未整理であった、あの憲法調査会の、議論がもうずーっと行われている、その肉声が入ったテープを見つけたんです。
で、公文書館にお願いをして、鈴木さんはですね、こうやって、現代のCDに全部、60時間以上のその会議の模様を、コピーしていただいたわけですね。
そして、ご本人がずーっと聞いて、60時間以上のものを、ここはというところを11分ちょっとにまとめたことを、これからご覧に入れるんです。


総理の祖父・岸内閣〝改憲の原点〟
独自『憲法調査会』肉声を発見


安倍総理:
まさに、日本が占領下にあって、この憲法が作られたのは事実であろうと。
指一本触れてはならないと考えることによって、思考停止になると。


ナレーション:
今から59年前の1957年、安倍総理の祖父、当時の岸総理は、憲法改正を目指して具体的な検討を始めた
舞台は、内閣に設けられた憲法調査会。
当時の映像に、音声は残されておらず、詳細は知られていられていなかった。
今回私たちは、実際の議論が録音された貴重な音声データを、国立公文書館で発見した
60時間以上にわたるその肉声からは、岸総理に近い政治家たちが主導していた、激しい改憲論が聞こえてきた


国際政治学者 神川彦松氏(改憲派):
これはもう決して感情論ではありません
敵国の占領統治下という本当の、日本国民にとっては革命時代にできた憲法でありましてね、
この憲法は明治憲法とは違うわけであります。
外国の、とにかく権力者が作った憲法でありますから。


広瀬久忠参院議員(改憲派):
我が国の政治が、誤って軍国主義に行き過ぎた、それに対する(GHQ)司令部の一部のものの反発というものが、非常に強かった
それが現れてきているのに、我々はもう今日それに引きずられる理由は無い。


ナレーション:
当時まだ40代の、中曽根元総理と、調査会会長との激論もあった。
会長は、英米法学者の高柳賢三氏で、憲法制定に実際関わった人物だ。


中曽根康弘衆議院議員(改憲派):
異常な状態で作られた、世界でも稀な占領下の憲法という、特殊事態を全然しらん連中の話であります。
何のためにじゃあこの憲法調査会が作られているかっていう、因縁がわかりもしないで、この憲法をどうするかという議論が始まるはずがない。


高柳賢三会長(憲法改正に関わった英米法学者):
憲法改正というのは、子孫に永く伝わる問題で、これをですね、我々現代に住んでおる人だけでもって、軽々しく決めるというと、とんだことになる恐れもある。
(中曽根議員を指して)あなたは、学者というものを非常に軽んじて、政治家の道具みたいに考えておられるけれども、これは、あなた間違い。



ナレーション:
憲法調査会が始まったのは、GHQによる占領が終わり、日本が独立を回復して5年後のことだ。
永久戦犯となった岸信介氏をはじめ、戦時中大臣などを務め追放された政治家が、次々と政界復帰していた頃でもある。
こうした公職追放組が、憲法の中身よりも成立過程を問題視する、いわゆる押し付け論を展開した


広瀬久忠参院議員(改憲派):
非常に重大なことは(憲法)成立するその当時、その時のこと。
その時に受け取った日本の有識者が、ただ安閑としておったということは無いと思う。
必ずや将来の再検討を、腹の中じゃ考えておったと思う


ナレーション:
岸総理が始めた憲法調査会で、改憲派は、「憲法を日本人が全面的に書き直すべきだ」と主張したのだ。


潮田江次氏(政治学者 改憲派):
これ、アメリカのハイスクールの生徒の作文だと申したんですが、みっともない前文なんでありまして、これはぜひ変えて頂きたい


吉村正氏(早稲田大学教授 改憲派):
たとえ内容がいいものであるといたしましても、我が国が完全な独立を回復した今日、我々の手で自主的に作り直すということは、あまりに当然の要求ではないか、というふうに私は考えるのであります。


ナレーション:
押しつけ論に異を唱えたのは、リベラルな学者たちだった。


坂西志保氏(評論家 護憲派):
戦争と敗戦の責任を背負っている私たちが、何を好んで、もう一度大きな危険をおかして、憲法改正ということをやるのか、さっぱり意味が分からないです。
私たちは、もう少し謙虚であっていいと思います。
今になって、口をぬぐって、戦争も敗戦の責任も、自分たちに無いようなことを言う。
そして将来の世代のために、この憲法を改正することが自分たちの使命である、というようなことを聞かされますと、
私は非常に強い憤りを感じるわけなんです。
そういう人たちがなぜ、あの戦争を止めることができなかったか。



細川隆元氏(政治評論家 改憲派):
現実の必要によって小規模に改正すべしという、私は現実的な改正論者です。
中身がいいか悪いかが問題であって、経過というものだどうしてそんなに大事だろうか
外国の干渉があったればこそ、私は出来たと思う。 


吉村正氏(早稲田大学教授 改憲派):
私はもう、完全無欠なものとしても、やはり外国人が作ったものと、我々自身の手で我々が作ったものとは違うんである。


ナレーション:
改憲派の狙いは、戦争放棄を定めた憲法9条だった
日本は戦力を持たないとしたものの、朝鮮戦争を機に、アメリカの要望に応える形で、警察予備隊を創設(1950年)
そして、1954年、自衛隊が誕生した。
時は米ソ冷戦のまっただ中。
改憲派は、非武装中立では現実に対処できない、と主張したのだった。


小暮武太夫参院議員(改憲派):
現在の国際情勢よりみれば、固有的と共に、手段的自衛の必要があると。
第9条は改正して、自衛のため軍隊を保有し、国連平和警察軍への参加を認めるように、国民一般に、明確にわかるよう規定すべきものである。


広瀬久忠氏参院議員(改憲派):
現行憲法の平和主義は非常に高い理想であるが、これは理想倒れであって、実際の政治には合致しない


蝋山政道氏(お茶の水大学名誉教授 護憲派):
やはり海外派兵もできるんだ、核兵器持てるんだと、こういうふうな意味が改正の趣旨だとすれば、大変な相違になってくるんです。


ナレーション:
この9条の議論でも、押し付け論が問題となった
戦争放棄の条文は、誰の提案で生まれたのか
GHQのマッカーサー最高司令官だったのか、それとも当時の幣原総理だったのか。
今回発見した音声データには、憲法調査会が開いた公聴会での、ある証言が残されていた
憲法制定当時、中部日本新聞の政治部長だった、小山武夫氏のものだ。


小山武夫氏(元中部日本新聞の政治部長):
第9条が、誰によって発案されたか、という問題が、当時から、政界の問題になっております。
ま、そこで、幣原さんに、オフレコでお話しを伺ったわけであります。
で、その、第9条の発案者というふうな、限定した質問に対しまして、幣原さんは「それは私であります」と。
「私がマッカーサー元帥に申し上げて、そして、こういうふうな、第9条の条文となったんだ」という事を、はっきり申しておりました。



ナレーション:
調査会は、GHQの最高司令官を務めたマッカーサー本人からも、書簡で直接証言を得ていた


マッカーサー元GHQ最高司令官の書簡和訳:
戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原総理が行ったのです。
私は、総理の提案に驚きましたが、私も心から賛成であると言うと、総理は明らかに安堵の表情を示され、私を感動させました。



ナレーション:
今回、憲法調査会の音声データを発見した、ジャーナリストの鈴木昭典さんは、16歳の時、新聞で初めて、新憲法のことを知った。
当時の一面に、象徴天皇、主権在民、戦争放棄、いわゆる三原則が踊っていた


鈴木昭典(ジャーナリスト):
当時まあ、お腹がすいている、焼け跡だらけで、いったい日本がどうなるかっていうのが分からない時だった。
そこに、やっぱりもう、とにかく戦争をしないわけですから、まあ当時の国民にとっては、すごい贈り物だし、励みにもなった。

(憲法調査会では)新しい時代が始まってるんだっていう感覚が、殆ど無い人たちがしゃべってるわけですし。


ナレーション:
憲法調査会が始まって3年、憲法改正を目指した岸総理は、日米安保条約改定に反対する声が日本を覆う中、退陣に追い込まれた
変わって誕生した池田政権は、所得倍増を掲げた。
時代が安保から経済へうつりゆく中で、憲法調査会はさらに4年続く
しかし、憲法を改正するのかしないのか、結局結論を出さないまま、幕を閉じた
調査会の会長高柳氏は、最終版でこう述べていた。


高柳賢三会長(英米法学者):
第9条は、ユートピアであると見えるかもしないが、戦争放棄を不変ならしめるのでなければ、人類が滅亡してしまうというビジョンが含まれている。
第9条は、一つの政治的宣言であると解釈すべきである。



ナレーション:
憲法調査会が幕を閉じてから半世紀。
再び、反対の声が国会を取り巻く中、安倍総理は、安保法を成立させた。
そして、祖父が果たせなかった、憲法改正への道を突き進む。



岸信介元総理:
占領下にできた憲法を改めて、日本にふさわしい自主憲法を作りたい。


安倍晋三総理:
占領時代に作られた憲法である。
私たちの手で、憲法を変えていくべきだ。



<スタジオ>

古舘アナウンサー:
あの、木村さん、ご専門の立場でぜひ伺いたいところがいっぱいあるんですけど、
私まず驚いたのは、今とあの59年前が、ほんとに合わせ鏡になっているということ。
それからこれは私の感覚ですけれども、戦争責任があると言われていた人たち、あるいは公職追放とか、そういう方々には、私憤や怨念、いろんな思いがGHQに対してもアメリカに対してもあったかもしれない
そういうものが、憲法改正して自分たちの憲法を作るんだっていうとこに、やっぱり感情的に、感情的じゃないと言っても言ってるように聞こえるところもあった。
びっくりすることだらけだったんですけど。


木村草太(首都大学東京准教授・憲法学者):
そうですね、やはりあの、押しつけ憲法論のまま思考停止してしまっている人が、結構いるということではあると思うんですけれども、
また安倍首相も、国会でも、押しつけ憲法論を振りかざすまでに至ってますが、
やはり今の憲法が、GHQの押しつけだというのは、制定過程の理解としては不十分、不正確と言わざるを得ないと思います。


古舘アナウンサー:
やっぱりそうですか。


木村草太氏:
まず日本政府は、太平洋戦争を終結するために、ポツダム宣言を受諾したわけですが、
そのポツダム宣言には、民主主義の復活強化、それから基本的人権の保障の確立ということが条件とされていて、
これは、国際社会の当然の要求であると同時に、当時の国民の希望、願いでもあった
はずです。
GHQは、最初は、日本に、憲法改正を委ねていたわけですけれども、
しかしその内容が、民主主義の復活強化と呼ぶにはあまりにも不十分だったということで、GHQが草案というか、原案を作るに至ったわけですね。


古舘アナウンサー:
一旦変更しているわけですね。


木村草太氏:
そういうことです。
で、またその後に、これ当然英語で書かれていて、また日本法にも明るくないということもありますから、
日本の官僚や政治家が、翻訳作業や、あるいは日本法との整合性を取るための調整作業、
ここでしっかり日本にふさわしい原案を、政府案として作って、帝国議会に提出した
わけです。
さらにその帝国議会は、日本初の、男女普通選挙で選ばれた帝国議会の議員たちが、審議をして制定をしたわけですから、
やはり、これを押しつけだというふうに単純に評価するのは、当時の国会議員、あるいは官僚、そして彼らを選挙で選んだ国民への侮辱になっている、ということに気づくべきだと思いますね。


古舘アナウンサー:
ああ、そういう捉え方ですね。


木村草太氏:
もちろん、GHQの占領が終わった段階で、改めて見直そうという動きがあることは理解できるんですけども、
しかしなぜ、改正が行われなかったのか
それは、自民党内の改憲派が望むような改憲案を、国民が支持してこなかったからであって、
70年近くにも渡って憲法が改正されなかったのは、まず、日本国憲法が、世界標準に照らしても、かなり優秀な内容であったということもありますが、
さらに、国民が望むような、より良い憲法にするような提案を、国会議員がしてこなかったということだと思いますね。
国民主権原理のもとでは、憲法というのは、国家が権力を乱用して、国民の自由・権利を侵害することを防ぐ、このためにあるわけです。
ですから、憲法改正を実現したいのであれば、これは押しつけ憲法論というのをアピールするのではなく、
憲法に対する感情的な反発ではない、より国民の望む改憲がどんなことなのか、これを考えてアピールすべき
だと思いますね。


古舘アナウンサー:
そこですよね。
さっきのああいう議論を聞いてますと、女性の方が、
あの戦争の悲惨さ、国民がどういう味わい方をしたか、それが今、どういう心境になっているかとおっしゃっていて、非常に印象に残りました、分かりやすくて。
その他の改憲の方々の話聞いてると、やっぱり、国家と自分てのが合一していて、まず国家としてどうなんだ、ってなるんですけど、
それも大事かもしれませんが、国民ひとりで構成されている国民のための国家だと考えた時に、
戦争に行って死んだ人、悲しい人、そして行かなかったけどもどれだけ苦労したか、そして身内を失ったか、
そういう人たちの、悲しみの総和ってものを考えたら、そう簡単にいろんなことが改正できなかったんじゃないか
な、って気がするんですけどね。


木村草太氏:
そうですね。
やはり憲法というのは、その国をその国たらしめてるルールです。
将棋が将棋のルール無しに存在しないように、国家というのは憲法無しには存在しないわけですし、
国家を大事にするというのは、憲法を大事にすることでもあると。
やはり、今の憲法に憎しみを持っている方は、それを解放しないと、それから解放されないと、建設的な改憲論は永遠に不可能だ。
これをまず、自覚するべきだと思いますね。


古舘アナウンサー:
まずその、どうしても人間ですから、感情ってものがありますからね。
それ(負の感情)を抜いた上でやっていくというような、ある種の気が遠くなるような作業を経ないと、
こういうものってのは簡単に決められない
、ということに戻ってきますね。
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今後も続く日本社会の様々な危機的局面において「死命を分ける」のは、あなた自身の情報の選別と判断能力

2016年02月26日 | 日本とわたし
長谷川宏氏の、とても貴重な論文の最終部分です。
転載の許可をくださったことに、心から感謝しています。

4.劣化ウラン問題と、鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー
3.11の東日本大震災が起こったとき、真っ先に私の心をよぎった懸念のひとつは、「六ヶ所村は大丈夫なのか?」ということであった。
青森県六ヶ所村には、使用済み核燃料の再処理工場が建設されているが、
これが大変な危険・問題を抱えた施設であることを私に教えてくれたのは、鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー映画「六ヶ所村ラプソディ」であった。
鎌仲ひとみ監督との出会いは、「劣化ウラン廃絶キャンペーン(CADU-JP)」という、市民グループでの活動にさかのぼる。
私がこの市民グループにかかわるようになったのは、2005年のことだった。
その数年前から、フォトジャーナリスト森住卓氏の著作・レポートを通して、
湾岸戦争で米軍がイラクに対し使用した、劣化ウラン弾によると考えられる健康被害について知り、 関心と懸念をもつようになっていた。
イラク戦争の開戦直前の2003年には、東京都立大学教職員組合の委員であったことから、
大学内において、森住卓氏の写真展や、森住氏を招いてのスライド上映会・講演会を開催することに注力し、
劣化ウラン弾がイラクにもたらした深刻な被害の、生々しい実態を目の当たりにすることとなった。*20
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*20 東京都立大において行われた、森住卓氏写真展「イラク・湾岸戦争の子どもたち」については、「◆写真展 の報告◆東京都立大学(1/30、2/3)長谷川 宏さんより」参照
URL:http://www.morizumi-pj.com/shashinten/toritudai.htm
イラクにおける劣化ウランの被害については、森住(2002)参照


また、フォトジャーナリスト広河隆一氏による、チェルノブイリ原発事故が引き起こした被害のレポートも、
原発事故と放射能被ばくの危険性とその恐ろしさ、そして、その被害が何百キロも遠く離れた地域にまで及ぶことを、強く私に印象付けた。*21
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*21 チェルノブイリ事故による放射能被害の最新のレポートについては、『調査報告 チェルノブイリ被害の 全貌』(岩波書店)参照

CADU-JPの活動にかかわるようになった2005 年には、米軍がイラクで使用した、劣化ウラン弾が原因と思われる健康被害に苦しむ米帰還兵ジェラルド・マシューさんの来日講演会や、
外国人記者クラブでの記者会見等の付き添いや、資料作成のお手伝いをし、放射能被ばくによる健康被害の恐ろしい現実を肌で感じながら学んでいった。*22
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*22 2005年11月7日マシューさん講演資料参照
URL:http://www.cadu-jp.org/photos/051107pmph.jpg
および2005年11月20日付 Japan Times 記事(“DU vet: ‘My days are numbered’”)参照
URL:http://www.japantimes.co.jp/life/2005/11/20/to-be-sorted/du-vet-my-days-are-numbered/


また、鎌仲ひとみ氏と、福島事故後、やはり「時の人」となる肥田舜太郎医師との共著になる『内部被曝の脅威』が、2005年に出版され、
内部被曝のメカニズムとその危険性を、早くから詳細に知ることができた。
2007年夏には、広島で開催された「ウラン兵器禁止を求める国際連合(ICBUW)」の、世界大会に参加した。
劣化ウラン兵器の数多くの被害者、この問題に取り組む科学者や市民活動家が、世界各国から集まって開催されたこの大会では、
世界各地における、劣化ウランのさまざまな被害が報告され、劣化ウランによる内部被ばくが原因と考えられる健康被害の分析に関して、 科学的な議論が活発に交わされた。
放射性物質による内部被ばくの、科学的・医学的メカニズムと、それがもたらす健康被害について、世界でも最先端・最高レベルの知見を吸収するチャンス を得られたことは、
その後起こる原発事故への対応という点から言っても、その当時感じていた以上に、貴重な経験であった。*23
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*23 『ウラン兵器なき世界をめざして―ICBUWの挑戦』(合同出版)は、その貴重な会議録である。
京大の小出裕章氏はじめ、世界各国の科学者が参加した第3セッションでは、
劣化ウランによる内部被曝の、科学的・ 医学的メカニズムに関する筆者の質問をきっかけに、科学者たちの間で活発な議論が交わされる様子も、記録されている(p.111-113参照)。
なお、劣化ウランによる健康被害については、ウランの放射性以外に、その重金属としての化学毒性が作用している可能性も指摘されており
たとえば、セシウムによる健康被害とは、必ずしも同列には論じられないことには注意が必要である。


2006年に初公開され、青山で開催された上映会のスタッフとして、私もその上映に協力した鎌仲ひとみ監督の映画「六ヶ所村ラプソディー」は、
何兆円もの国家予算を注ぎ込みながら、さまざまな問題を抱え難航する「核燃サイクル事業」の、
中核的施設である青森県六ヶ所村の再処理工場の、当時知られていなかった(そして今もあまり知られていない)実態を追ったドキュメ ンタリー
である。*24
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*24 原発事故後有名になった、あの斑目春樹氏もインタビュー出演し、
「結局は金の問題でしょ」「いやですよ、 あんな気味の悪いもの」という、救いがたい発言をしていた。
DVD『六ヶ所村ラプソディ』(紀伊國屋書店) 参照。


この事業が、市民の払う税金や、電気料金から支出される費用を、市民の知らぬ間に何兆円単位で費やしながら
少しもうまくいかないばかりでなく、日本のみならず、世界規模の危機を引き起こしかねない、計り知れない潜在的危険をもたらすものであることを知り、
政府と電力会社が一体となった原子力事業推進政策の、途方もない矛盾と不正に、めまいがする思いだった
*25
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*25 2004年に、当時の経産省の若手官僚が作成した文書「19兆円の請求書」参照
URL:http://kakujoho.net/rokkasho/19chou040317.pdf
この文書をめぐる動きに関しては、共同通信 【日本を創る(原発と国家)】第3部「電力改革の攻防」Vol.3『試運転直前のクーデター(「19 兆円の請求書」頓挫した官僚の決起)』
URL:http://www.47news.jp/47topics/tsukuru/article/post_31.html
およ び朝日新聞『(プロメテウスの罠)原発維持せよ:8 「19 兆円の請求書」』参照
URL:http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201304200448.html


その鎌仲ひとみ監督の次の映画が、2010年公開の「ミツバチの羽音と地球の回転」だった。
渋谷の映画館で上映されたこのドキュメンタリーは、上関原発建設に反対する、祝島の人々の姿を通して、原発事業の問題点を明らかにするだけでなく、
ヨーロッパにおける自然エネルギー・ 再生可能エネルギー利用の最先端を追った、当時としては画期的な映画
だった。
しかし、どちらかといえば地味なドキュメンタリーであるせいか、私が見に行った2010年後半の上映期間は、集客に少々苦戦していた。
その後数か月で、この映画が話題の映画となり、鎌仲監督が「時の人」 となるとは、予想すらできなかった。*26
------------------------------------------------------------------------
*26 なお、鎌仲ひとみ監督の最新映画「小さき声のカノン」(仮題)が、2014年の公開を目指して現在製作中である。
URL:http://kamanaka.com/works/


いずれにせよ、このような市民活動等を通して得た、原発や放射能被ばくの危険性についてのさまざまな知識・知見が、
その後起こった福島原発事故への対応を考える上で、重要な判断材料・科学的根拠を与えてくれた
のである。


5. おわりに
それまでの知識の蓄積を生かしつつ、さらに情報を収集しながら、原発事故への対応を判断し、それを行動に移していく中で感じたことは、
「情報を収集し選別する『メディア・リテラシー』」 と、「科学的思考と『科学的直観』に基づく判断」の重要性である。
冷却できず、高温で溶融した核燃料が、原子炉容器を突き破って溶け出す「メルトスルー」が起きていたことなど、事実が徐々に明らかになるにつれて、
事故直後の大手メディアによる「安全・安心デマ」報道が、信頼できないものであったことは、多くの人々の目に明らかとなった。
しかし、事故初期の、最悪の時期が過ぎたずっと後になってから、そのようなことに気づいても「後の祭り」である。
そのようなことにならないために、重要なことのひとつは、一人一人の市民が、「メディア・リテラシー」を磨いておくことである。
「原子力ムラ」の学者たちを出演させた、事故初期の大手メディアの「安全・安心報道」に接して、
それを鵜呑みにしてしまうか、それとも「健全な懐疑」をもつかを分ける問題意識のひとつは、
「メディアは、強大な(政治的・経済的)力を持つものの利益に反する情報を、伝えることを抑制する」という、
メディア・リテラシーの基本を押さえているかどうか、ではないだろうか。
日本の社会で強大な力をもつ、政・財・官・学・メディアが一体となった、「原子力ムラ」の利権の構造は、原発事故後多くの人々の知るところとなった。
深刻な事態が起こっていると思われるにもかかわらず、それを必死で隠蔽し、「安全・安心」をふりまく報道に対しては、
「メディアが真実を伝えると都合の悪い勢力が、社会の中で力をもっているのではないか」という疑念をもち
市民一人一人が自ら努力して、情報を収集し、自分なりの健全な判断をくだすことが求められている*27

------------------------------------------------------------------------
*27 このメディア・リテラシーの問題については、ノーム・チョムスキー氏のメディア論を取り上げた拙稿 「ノーム・チョムスキー―その言語理論と政治思想をめぐって」の『3.チョムスキーの政治思想』参照。

しかし、インターネットなどで、情報を自ら収集しようとしたとき、ネット上には、信頼できる情報と不正確な情報が、混在しつつ大量に溢れている
そこで、正しい情報を探し出し選別する確かな目を、市民一人一人がもたなければならない
その場合の根拠の一つとなるのは、科学的な知識・思考である。
その情報が正確なものか、それとも根拠のない「安全・安心」をふりまいたり、逆に危険を煽ったりするだけのデマかどうかは、
(信頼できる専門家等の意見はもちろん参考にするにしても)結局は、自分の知識に照らして、科学的に考え判断するしかない
そして、福島事故初期のように、判断に必要な科学的データ・根拠が不足している場合、最後は自分の「科学的直観」に頼らざるを得ない
これは、科学的な研究をしていると、自然とある程度は身についてくるものである。
つまり、データ等が十分そろっていない段階で、「これはこういうことなのではないか」という、科学的思考に基づく「見通し」のようなものを立てるのである。
(それをしないと科学的な研究を前に進めることができない。)
そして、その「見通し」が正しいかどうかを、さらなるデータと突き合わせながら検証していくのである。
このような経験を繰り返すことによって、正しい「見通し」を立てる能力が向上するし、
科学的な「見通し」と矛盾する情報が入ってきたときに、「これはおかしいのではないか」という判断をしたり
必要に応じて、見通しを修正したりすることができるようになる*28
------------------------------------------------------------------------
*28 注の*15で述べた、コスモ石油火災に関する「デマ」が、本当に「デマ」なのか、という健全な懐疑も、
情報を選別し判断するメディア・リテラシーと、それまでの科学的知識や思考の積み重ねによって、生まれてくるものである。


必ずしも科学的な訓練を十分に受けているとは限らない一般の市民にも、このようなことを要求するのはむずかしいかも知れない。
しかし、それでもなお、市民一人一人が努力し知識を積み重ねながら、ある程度そのような「科学的直観」を働かせる能力を向上させていくことが、
今後も続くであろう、日本社会のさまざまな危機的局面において、それこそ「死命を分ける」ことにもなりうることを認識しておかなければならないと思う。



参考文献

肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威』ちくま新書・2005

大井万紀人「福島原発事故による放射能汚染の広がり:二年目の報告および内部被曝の影響について」専修自然科学紀要、第44号、pp.1-19・2013

平智之・鳩山由紀夫「福島第一原発を国有化せよ」Nature
日本語サイトURL:http://www.natureasia.com/ja-jp/nature/specials/contents/earthquake/id/nature-comment-121511・2011

長谷川 宏「ノーム・チョムスキー―その言語理論と政治思想をめぐって」専修大学人文科学年報、第42号、pp.153-177・2012

長谷川 宏「原発事故と復興のはざまで―福島県相馬市・南相馬市訪問記」ニュース専修4月号
URL:http://www.senshu-u.ac.jp/library/00_spdata/koho/nsweb/pdf/1304/nsweb_2013_04_00 8.pdf・2013

森住卓『イラク・湾岸戦争の子どもたち―劣化ウラン弾は何をもたらしたか』高文研・2002

アレクセイ・V・ヤブロコフ他著、星川淳監訳『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』岩波書店・2013

NO DU ヒロシマ・プロジェクト/ICBUW、嘉指 信雄他編『ウラン兵器なき世界をめざして―ICBUWの挑戦』合同出版・2008

Taira, Tomoyuki & Yukio Hatoyama. 2011. “Nuclear energy: Nationalize the FukushimaDaiichi atomic plant,” Nature Volume 480、pp.313–314
URL::http://www.nature.com/nature/journal/v480/n7377/full/480313a.html

Zhang, Weihua, Judah Friese, and Kurt Ungar. 2013
”Study: Fukushima fallout at Canadian embassy in Tokyo was 225,000 Bq/m2 ― Far in excess of limit set for radiation control zones,” Journal of Radioanalytical and Nuclear Chemistry, Volume 296, Issue 1, pp. 69-73
URL:http://enenews.com/study-fukushima-fallout-at-tokyo-embassy-was-225000-bqm%C2% B2-exceeds-limit-set-for-radiation-control-zones

DVD
『六ヶ所村ラプソディ』鎌仲ひとみ監督、グループ現代・2008
『ミツバチの羽音と地球の回転』鎌仲ひとみ監督、紀伊國屋書店・2012
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