憲法第九条『戦争放棄』は、世界史の扉を開くすばらしき狂人、幣原首相によって生まれたもの!
http://linkis.com/blog.goo.ne.jp/mayum/R8fpB
↑この記事は、2013年の5月8日に書いたものです。
当時のわたしは、終戦当時の首相であった幣原喜重郎氏の存在を、全く知らずにいました。
憲法についても、それほど詳しく無く、自分で学んだ記憶もほとんどありませんでした。
そんなわたしでも、『戦争放棄条項・憲法第九条』については、論議が起こるたびに、自分なりに考えてきました。
記事の冒頭部分に書いた言葉を、もう一度ここに書かせてもらいます。
『この日本国憲法のどこが押しつけか?
押しつけ論のウソは、いったい誰が、どんな目的で作り上げたのか。
以下の、幣原首相の言葉は、一言一句、彼のものか、そしてまた事実なのか、美化されたところはないのか、それはわたしには証明できない。
けども、日本自らが、世界平和への鍵をにぎり、そのドアを開けた国であったことがわかり、胸が熱くなった。
「世界は今、狂人を必要としている。
何人かが、自ら買って出て狂人とならない限り、世界は、軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができない。
これは素晴らしい狂人である。
世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を、日本が果たすのだ」』
この幣原首相の言葉が、本当に彼が言ったものなら、そしてだからこそ『戦争放棄条項・憲法第九条』が存在するのなら、どんなに素晴らしいことでしょう!
それが証明できるのならと、この記事を書いてからずっと思っていました。
すると、昨日いきなり、報道ステーションで報道された『岸時代の調査会』という特集が目に入ってきました。
証明されてるじゃないか!
それも、録音テープの肉声で!
驚きと喜びがどっと押し寄せてきました。
文字を起こしましたので、読んでください。
↓以下、文字起こしはじめ
https://www.youtube.com/watch?v=N-VeYDLevyI#t=528
古舘アナウンサー:
特集『安倍総理 憲法改正の原点』です。
あのー、これご覧になったら、何箇所かは、驚かれる部分があると思いますね。
そもそもですね、59年前になりますが、安倍総理のお爺さんであります、当時総理だった岸信介氏が、憲法調査会をスタートさせたわけです。
で、メンバーとしては、国会議員が20人、そして評論家など、有識者の方々が19人、という構成でありました。
さて、その憲法調査会、だいぶん昔でありますが、そもそも、現代になりましてつい最近のことですけれども、
86歳になる、ジャーナリストの鈴木昭典さんという方がいらっしゃいます。
まあこの方は、憲法を研究そして取材、ずうっとやってこられた方なんですが、その方が、こういう設えになっている国立公文書館、
そこに入っていろいろ調べたり取材をしている最中に、あるものを見つけたんです。
ダンボールの箱です。
なんとその中にはですね、全く未整理であった、あの憲法調査会の、議論がもうずーっと行われている、その肉声が入ったテープを見つけたんです。
で、公文書館にお願いをして、鈴木さんはですね、こうやって、現代のCDに全部、60時間以上のその会議の模様を、コピーしていただいたわけですね。
そして、ご本人がずーっと聞いて、60時間以上のものを、ここはというところを11分ちょっとにまとめたことを、これからご覧に入れるんです。
総理の祖父・岸内閣〝改憲の原点〟
独自『憲法調査会』肉声を発見
安倍総理:
まさに、日本が占領下にあって、この憲法が作られたのは事実であろうと。
指一本触れてはならないと考えることによって、思考停止になると。
ナレーション:
今から59年前の1957年、安倍総理の祖父、当時の岸総理は、憲法改正を目指して具体的な検討を始めた。
舞台は、内閣に設けられた憲法調査会。
当時の映像に、音声は残されておらず、詳細は知られていられていなかった。
今回私たちは、実際の議論が録音された貴重な音声データを、国立公文書館で発見した。
60時間以上にわたるその肉声からは、岸総理に近い政治家たちが主導していた、激しい改憲論が聞こえてきた。
国際政治学者 神川彦松氏(改憲派):
これはもう決して感情論ではありません。
敵国の占領統治下という本当の、日本国民にとっては革命時代にできた憲法でありましてね、
この憲法は明治憲法とは違うわけであります。
外国の、とにかく権力者が作った憲法でありますから。
広瀬久忠参院議員(改憲派):
我が国の政治が、誤って軍国主義に行き過ぎた、それに対する(GHQ)司令部の一部のものの反発というものが、非常に強かった。
それが現れてきているのに、我々はもう今日それに引きずられる理由は無い。
ナレーション:
当時まだ40代の、中曽根元総理と、調査会会長との激論もあった。
会長は、英米法学者の高柳賢三氏で、憲法制定に実際関わった人物だ。
中曽根康弘衆議院議員(改憲派):
異常な状態で作られた、世界でも稀な占領下の憲法という、特殊事態を全然しらん連中の話であります。
何のためにじゃあこの憲法調査会が作られているかっていう、因縁がわかりもしないで、この憲法をどうするかという議論が始まるはずがない。
高柳賢三会長(憲法改正に関わった英米法学者):
憲法改正というのは、子孫に永く伝わる問題で、これをですね、我々現代に住んでおる人だけでもって、軽々しく決めるというと、とんだことになる恐れもある。
(中曽根議員を指して)あなたは、学者というものを非常に軽んじて、政治家の道具みたいに考えておられるけれども、これは、あなた間違い。
ナレーション:
憲法調査会が始まったのは、GHQによる占領が終わり、日本が独立を回復して5年後のことだ。
永久戦犯となった岸信介氏をはじめ、戦時中大臣などを務め追放された政治家が、次々と政界復帰していた頃でもある。
こうした公職追放組が、憲法の中身よりも成立過程を問題視する、いわゆる押し付け論を展開した。
広瀬久忠参院議員(改憲派):
非常に重大なことは(憲法)成立するその当時、その時のこと。
その時に受け取った日本の有識者が、ただ安閑としておったということは無いと思う。
必ずや将来の再検討を、腹の中じゃ考えておったと思う。
ナレーション:
岸総理が始めた憲法調査会で、改憲派は、「憲法を日本人が全面的に書き直すべきだ」と主張したのだ。
潮田江次氏(政治学者 改憲派):
これ、アメリカのハイスクールの生徒の作文だと申したんですが、みっともない前文なんでありまして、これはぜひ変えて頂きたい。
吉村正氏(早稲田大学教授 改憲派):
たとえ内容がいいものであるといたしましても、我が国が完全な独立を回復した今日、我々の手で自主的に作り直すということは、あまりに当然の要求ではないか、というふうに私は考えるのであります。
ナレーション:
押しつけ論に異を唱えたのは、リベラルな学者たちだった。
坂西志保氏(評論家 護憲派):
戦争と敗戦の責任を背負っている私たちが、何を好んで、もう一度大きな危険をおかして、憲法改正ということをやるのか、さっぱり意味が分からないです。
私たちは、もう少し謙虚であっていいと思います。
今になって、口をぬぐって、戦争も敗戦の責任も、自分たちに無いようなことを言う。
そして将来の世代のために、この憲法を改正することが自分たちの使命である、というようなことを聞かされますと、
私は非常に強い憤りを感じるわけなんです。
そういう人たちがなぜ、あの戦争を止めることができなかったか。
細川隆元氏(政治評論家 改憲派):
現実の必要によって小規模に改正すべしという、私は現実的な改正論者です。
中身がいいか悪いかが問題であって、経過というものだどうしてそんなに大事だろうか。
外国の干渉があったればこそ、私は出来たと思う。
吉村正氏(早稲田大学教授 改憲派):
私はもう、完全無欠なものとしても、やはり外国人が作ったものと、我々自身の手で我々が作ったものとは違うんである。
ナレーション:
改憲派の狙いは、戦争放棄を定めた憲法9条だった。
日本は戦力を持たないとしたものの、朝鮮戦争を機に、アメリカの要望に応える形で、警察予備隊を創設(1950年)。
そして、1954年、自衛隊が誕生した。
時は米ソ冷戦のまっただ中。
改憲派は、非武装中立では現実に対処できない、と主張したのだった。
小暮武太夫参院議員(改憲派):
現在の国際情勢よりみれば、固有的と共に、手段的自衛の必要があると。
第9条は改正して、自衛のため軍隊を保有し、国連平和警察軍への参加を認めるように、国民一般に、明確にわかるよう規定すべきものである。
広瀬久忠氏参院議員(改憲派):
現行憲法の平和主義は非常に高い理想であるが、これは理想倒れであって、実際の政治には合致しない。
蝋山政道氏(お茶の水大学名誉教授 護憲派):
やはり海外派兵もできるんだ、核兵器持てるんだと、こういうふうな意味が改正の趣旨だとすれば、大変な相違になってくるんです。
ナレーション:
この9条の議論でも、押し付け論が問題となった。
戦争放棄の条文は、誰の提案で生まれたのか。
GHQのマッカーサー最高司令官だったのか、それとも当時の幣原総理だったのか。
今回発見した音声データには、憲法調査会が開いた公聴会での、ある証言が残されていた。
憲法制定当時、中部日本新聞の政治部長だった、小山武夫氏のものだ。
小山武夫氏(元中部日本新聞の政治部長):
第9条が、誰によって発案されたか、という問題が、当時から、政界の問題になっております。
ま、そこで、幣原さんに、オフレコでお話しを伺ったわけであります。
で、その、第9条の発案者というふうな、限定した質問に対しまして、幣原さんは「それは私であります」と。
「私がマッカーサー元帥に申し上げて、そして、こういうふうな、第9条の条文となったんだ」という事を、はっきり申しておりました。
ナレーション:
調査会は、GHQの最高司令官を務めたマッカーサー本人からも、書簡で直接証言を得ていた。
マッカーサー元GHQ最高司令官の書簡和訳:
戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原総理が行ったのです。
私は、総理の提案に驚きましたが、私も心から賛成であると言うと、総理は明らかに安堵の表情を示され、私を感動させました。
ナレーション:
今回、憲法調査会の音声データを発見した、ジャーナリストの鈴木昭典さんは、16歳の時、新聞で初めて、新憲法のことを知った。
当時の一面に、象徴天皇、主権在民、戦争放棄、いわゆる三原則が踊っていた。
鈴木昭典(ジャーナリスト):
当時まあ、お腹がすいている、焼け跡だらけで、いったい日本がどうなるかっていうのが分からない時だった。
そこに、やっぱりもう、とにかく戦争をしないわけですから、まあ当時の国民にとっては、すごい贈り物だし、励みにもなった。
(憲法調査会では)新しい時代が始まってるんだっていう感覚が、殆ど無い人たちがしゃべってるわけですし。
ナレーション:
憲法調査会が始まって3年、憲法改正を目指した岸総理は、日米安保条約改定に反対する声が日本を覆う中、退陣に追い込まれた。
変わって誕生した池田政権は、所得倍増を掲げた。
時代が安保から経済へうつりゆく中で、憲法調査会はさらに4年続く。
しかし、憲法を改正するのかしないのか、結局結論を出さないまま、幕を閉じた。
調査会の会長高柳氏は、最終版でこう述べていた。
高柳賢三会長(英米法学者):
第9条は、ユートピアであると見えるかもしないが、戦争放棄を不変ならしめるのでなければ、人類が滅亡してしまうというビジョンが含まれている。
第9条は、一つの政治的宣言であると解釈すべきである。」
ナレーション:
憲法調査会が幕を閉じてから半世紀。
再び、反対の声が国会を取り巻く中、安倍総理は、安保法を成立させた。
そして、祖父が果たせなかった、憲法改正への道を突き進む。
岸信介元総理:
占領下にできた憲法を改めて、日本にふさわしい自主憲法を作りたい。
安倍晋三総理:
占領時代に作られた憲法である。
私たちの手で、憲法を変えていくべきだ。
<スタジオ>
古舘アナウンサー:
あの、木村さん、ご専門の立場でぜひ伺いたいところがいっぱいあるんですけど、
私まず驚いたのは、今とあの59年前が、ほんとに合わせ鏡になっているということ。
それからこれは私の感覚ですけれども、戦争責任があると言われていた人たち、あるいは公職追放とか、そういう方々には、私憤や怨念、いろんな思いがGHQに対してもアメリカに対してもあったかもしれない。
そういうものが、憲法改正して自分たちの憲法を作るんだっていうとこに、やっぱり感情的に、感情的じゃないと言っても言ってるように聞こえるところもあった。
びっくりすることだらけだったんですけど。
木村草太(首都大学東京准教授・憲法学者):
そうですね、やはりあの、押しつけ憲法論のまま思考停止してしまっている人が、結構いるということではあると思うんですけれども、
また安倍首相も、国会でも、押しつけ憲法論を振りかざすまでに至ってますが、
やはり今の憲法が、GHQの押しつけだというのは、制定過程の理解としては不十分、不正確と言わざるを得ないと思います。
古舘アナウンサー:
やっぱりそうですか。
木村草太氏:
まず日本政府は、太平洋戦争を終結するために、ポツダム宣言を受諾したわけですが、
そのポツダム宣言には、民主主義の復活強化、それから基本的人権の保障の確立ということが条件とされていて、
これは、国際社会の当然の要求であると同時に、当時の国民の希望、願いでもあったはずです。
GHQは、最初は、日本に、憲法改正を委ねていたわけですけれども、
しかしその内容が、民主主義の復活強化と呼ぶにはあまりにも不十分だったということで、GHQが草案というか、原案を作るに至ったわけですね。
古舘アナウンサー:
一旦変更しているわけですね。
木村草太氏:
そういうことです。
で、またその後に、これ当然英語で書かれていて、また日本法にも明るくないということもありますから、
日本の官僚や政治家が、翻訳作業や、あるいは日本法との整合性を取るための調整作業、
ここでしっかり日本にふさわしい原案を、政府案として作って、帝国議会に提出したわけです。
さらにその帝国議会は、日本初の、男女普通選挙で選ばれた帝国議会の議員たちが、審議をして制定をしたわけですから、
やはり、これを押しつけだというふうに単純に評価するのは、当時の国会議員、あるいは官僚、そして彼らを選挙で選んだ国民への侮辱になっている、ということに気づくべきだと思いますね。
古舘アナウンサー:
ああ、そういう捉え方ですね。
木村草太氏:
もちろん、GHQの占領が終わった段階で、改めて見直そうという動きがあることは理解できるんですけども、
しかしなぜ、改正が行われなかったのか。
それは、自民党内の改憲派が望むような改憲案を、国民が支持してこなかったからであって、
70年近くにも渡って憲法が改正されなかったのは、まず、日本国憲法が、世界標準に照らしても、かなり優秀な内容であったということもありますが、
さらに、国民が望むような、より良い憲法にするような提案を、国会議員がしてこなかったということだと思いますね。
国民主権原理のもとでは、憲法というのは、国家が権力を乱用して、国民の自由・権利を侵害することを防ぐ、このためにあるわけです。
ですから、憲法改正を実現したいのであれば、これは押しつけ憲法論というのをアピールするのではなく、
憲法に対する感情的な反発ではない、より国民の望む改憲がどんなことなのか、これを考えてアピールすべきだと思いますね。
古舘アナウンサー:
そこですよね。
さっきのああいう議論を聞いてますと、女性の方が、
あの戦争の悲惨さ、国民がどういう味わい方をしたか、それが今、どういう心境になっているかとおっしゃっていて、非常に印象に残りました、分かりやすくて。
その他の改憲の方々の話聞いてると、やっぱり、国家と自分てのが合一していて、まず国家としてどうなんだ、ってなるんですけど、
それも大事かもしれませんが、国民ひとりで構成されている国民のための国家だと考えた時に、
戦争に行って死んだ人、悲しい人、そして行かなかったけどもどれだけ苦労したか、そして身内を失ったか、
そういう人たちの、悲しみの総和ってものを考えたら、そう簡単にいろんなことが改正できなかったんじゃないかな、って気がするんですけどね。
木村草太氏:
そうですね。
やはり憲法というのは、その国をその国たらしめてるルールです。
将棋が将棋のルール無しに存在しないように、国家というのは憲法無しには存在しないわけですし、
国家を大事にするというのは、憲法を大事にすることでもあると。
やはり、今の憲法に憎しみを持っている方は、それを解放しないと、それから解放されないと、建設的な改憲論は永遠に不可能だ。
これをまず、自覚するべきだと思いますね。
古舘アナウンサー:
まずその、どうしても人間ですから、感情ってものがありますからね。
それ(負の感情)を抜いた上でやっていくというような、ある種の気が遠くなるような作業を経ないと、
こういうものってのは簡単に決められない、ということに戻ってきますね。
http://linkis.com/blog.goo.ne.jp/mayum/R8fpB
↑この記事は、2013年の5月8日に書いたものです。
当時のわたしは、終戦当時の首相であった幣原喜重郎氏の存在を、全く知らずにいました。
憲法についても、それほど詳しく無く、自分で学んだ記憶もほとんどありませんでした。
そんなわたしでも、『戦争放棄条項・憲法第九条』については、論議が起こるたびに、自分なりに考えてきました。
記事の冒頭部分に書いた言葉を、もう一度ここに書かせてもらいます。
『この日本国憲法のどこが押しつけか?
押しつけ論のウソは、いったい誰が、どんな目的で作り上げたのか。
以下の、幣原首相の言葉は、一言一句、彼のものか、そしてまた事実なのか、美化されたところはないのか、それはわたしには証明できない。
けども、日本自らが、世界平和への鍵をにぎり、そのドアを開けた国であったことがわかり、胸が熱くなった。
「世界は今、狂人を必要としている。
何人かが、自ら買って出て狂人とならない限り、世界は、軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができない。
これは素晴らしい狂人である。
世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を、日本が果たすのだ」』
この幣原首相の言葉が、本当に彼が言ったものなら、そしてだからこそ『戦争放棄条項・憲法第九条』が存在するのなら、どんなに素晴らしいことでしょう!
それが証明できるのならと、この記事を書いてからずっと思っていました。
すると、昨日いきなり、報道ステーションで報道された『岸時代の調査会』という特集が目に入ってきました。
証明されてるじゃないか!
それも、録音テープの肉声で!
驚きと喜びがどっと押し寄せてきました。
文字を起こしましたので、読んでください。
↓以下、文字起こしはじめ
https://www.youtube.com/watch?v=N-VeYDLevyI#t=528
古舘アナウンサー:
特集『安倍総理 憲法改正の原点』です。
あのー、これご覧になったら、何箇所かは、驚かれる部分があると思いますね。
そもそもですね、59年前になりますが、安倍総理のお爺さんであります、当時総理だった岸信介氏が、憲法調査会をスタートさせたわけです。
で、メンバーとしては、国会議員が20人、そして評論家など、有識者の方々が19人、という構成でありました。
さて、その憲法調査会、だいぶん昔でありますが、そもそも、現代になりましてつい最近のことですけれども、
86歳になる、ジャーナリストの鈴木昭典さんという方がいらっしゃいます。
まあこの方は、憲法を研究そして取材、ずうっとやってこられた方なんですが、その方が、こういう設えになっている国立公文書館、
そこに入っていろいろ調べたり取材をしている最中に、あるものを見つけたんです。
ダンボールの箱です。
なんとその中にはですね、全く未整理であった、あの憲法調査会の、議論がもうずーっと行われている、その肉声が入ったテープを見つけたんです。
で、公文書館にお願いをして、鈴木さんはですね、こうやって、現代のCDに全部、60時間以上のその会議の模様を、コピーしていただいたわけですね。
そして、ご本人がずーっと聞いて、60時間以上のものを、ここはというところを11分ちょっとにまとめたことを、これからご覧に入れるんです。
総理の祖父・岸内閣〝改憲の原点〟
独自『憲法調査会』肉声を発見
安倍総理:
まさに、日本が占領下にあって、この憲法が作られたのは事実であろうと。
指一本触れてはならないと考えることによって、思考停止になると。
ナレーション:
今から59年前の1957年、安倍総理の祖父、当時の岸総理は、憲法改正を目指して具体的な検討を始めた。
舞台は、内閣に設けられた憲法調査会。
当時の映像に、音声は残されておらず、詳細は知られていられていなかった。
今回私たちは、実際の議論が録音された貴重な音声データを、国立公文書館で発見した。
60時間以上にわたるその肉声からは、岸総理に近い政治家たちが主導していた、激しい改憲論が聞こえてきた。
国際政治学者 神川彦松氏(改憲派):
これはもう決して感情論ではありません。
敵国の占領統治下という本当の、日本国民にとっては革命時代にできた憲法でありましてね、
この憲法は明治憲法とは違うわけであります。
外国の、とにかく権力者が作った憲法でありますから。
広瀬久忠参院議員(改憲派):
我が国の政治が、誤って軍国主義に行き過ぎた、それに対する(GHQ)司令部の一部のものの反発というものが、非常に強かった。
それが現れてきているのに、我々はもう今日それに引きずられる理由は無い。
ナレーション:
当時まだ40代の、中曽根元総理と、調査会会長との激論もあった。
会長は、英米法学者の高柳賢三氏で、憲法制定に実際関わった人物だ。
中曽根康弘衆議院議員(改憲派):
異常な状態で作られた、世界でも稀な占領下の憲法という、特殊事態を全然しらん連中の話であります。
何のためにじゃあこの憲法調査会が作られているかっていう、因縁がわかりもしないで、この憲法をどうするかという議論が始まるはずがない。
高柳賢三会長(憲法改正に関わった英米法学者):
憲法改正というのは、子孫に永く伝わる問題で、これをですね、我々現代に住んでおる人だけでもって、軽々しく決めるというと、とんだことになる恐れもある。
(中曽根議員を指して)あなたは、学者というものを非常に軽んじて、政治家の道具みたいに考えておられるけれども、これは、あなた間違い。
ナレーション:
憲法調査会が始まったのは、GHQによる占領が終わり、日本が独立を回復して5年後のことだ。
永久戦犯となった岸信介氏をはじめ、戦時中大臣などを務め追放された政治家が、次々と政界復帰していた頃でもある。
こうした公職追放組が、憲法の中身よりも成立過程を問題視する、いわゆる押し付け論を展開した。
広瀬久忠参院議員(改憲派):
非常に重大なことは(憲法)成立するその当時、その時のこと。
その時に受け取った日本の有識者が、ただ安閑としておったということは無いと思う。
必ずや将来の再検討を、腹の中じゃ考えておったと思う。
ナレーション:
岸総理が始めた憲法調査会で、改憲派は、「憲法を日本人が全面的に書き直すべきだ」と主張したのだ。
潮田江次氏(政治学者 改憲派):
これ、アメリカのハイスクールの生徒の作文だと申したんですが、みっともない前文なんでありまして、これはぜひ変えて頂きたい。
吉村正氏(早稲田大学教授 改憲派):
たとえ内容がいいものであるといたしましても、我が国が完全な独立を回復した今日、我々の手で自主的に作り直すということは、あまりに当然の要求ではないか、というふうに私は考えるのであります。
ナレーション:
押しつけ論に異を唱えたのは、リベラルな学者たちだった。
坂西志保氏(評論家 護憲派):
戦争と敗戦の責任を背負っている私たちが、何を好んで、もう一度大きな危険をおかして、憲法改正ということをやるのか、さっぱり意味が分からないです。
私たちは、もう少し謙虚であっていいと思います。
今になって、口をぬぐって、戦争も敗戦の責任も、自分たちに無いようなことを言う。
そして将来の世代のために、この憲法を改正することが自分たちの使命である、というようなことを聞かされますと、
私は非常に強い憤りを感じるわけなんです。
そういう人たちがなぜ、あの戦争を止めることができなかったか。
細川隆元氏(政治評論家 改憲派):
現実の必要によって小規模に改正すべしという、私は現実的な改正論者です。
中身がいいか悪いかが問題であって、経過というものだどうしてそんなに大事だろうか。
外国の干渉があったればこそ、私は出来たと思う。
吉村正氏(早稲田大学教授 改憲派):
私はもう、完全無欠なものとしても、やはり外国人が作ったものと、我々自身の手で我々が作ったものとは違うんである。
ナレーション:
改憲派の狙いは、戦争放棄を定めた憲法9条だった。
日本は戦力を持たないとしたものの、朝鮮戦争を機に、アメリカの要望に応える形で、警察予備隊を創設(1950年)。
そして、1954年、自衛隊が誕生した。
時は米ソ冷戦のまっただ中。
改憲派は、非武装中立では現実に対処できない、と主張したのだった。
小暮武太夫参院議員(改憲派):
現在の国際情勢よりみれば、固有的と共に、手段的自衛の必要があると。
第9条は改正して、自衛のため軍隊を保有し、国連平和警察軍への参加を認めるように、国民一般に、明確にわかるよう規定すべきものである。
広瀬久忠氏参院議員(改憲派):
現行憲法の平和主義は非常に高い理想であるが、これは理想倒れであって、実際の政治には合致しない。
蝋山政道氏(お茶の水大学名誉教授 護憲派):
やはり海外派兵もできるんだ、核兵器持てるんだと、こういうふうな意味が改正の趣旨だとすれば、大変な相違になってくるんです。
ナレーション:
この9条の議論でも、押し付け論が問題となった。
戦争放棄の条文は、誰の提案で生まれたのか。
GHQのマッカーサー最高司令官だったのか、それとも当時の幣原総理だったのか。
今回発見した音声データには、憲法調査会が開いた公聴会での、ある証言が残されていた。
憲法制定当時、中部日本新聞の政治部長だった、小山武夫氏のものだ。
小山武夫氏(元中部日本新聞の政治部長):
第9条が、誰によって発案されたか、という問題が、当時から、政界の問題になっております。
ま、そこで、幣原さんに、オフレコでお話しを伺ったわけであります。
で、その、第9条の発案者というふうな、限定した質問に対しまして、幣原さんは「それは私であります」と。
「私がマッカーサー元帥に申し上げて、そして、こういうふうな、第9条の条文となったんだ」という事を、はっきり申しておりました。
ナレーション:
調査会は、GHQの最高司令官を務めたマッカーサー本人からも、書簡で直接証言を得ていた。
マッカーサー元GHQ最高司令官の書簡和訳:
戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原総理が行ったのです。
私は、総理の提案に驚きましたが、私も心から賛成であると言うと、総理は明らかに安堵の表情を示され、私を感動させました。
ナレーション:
今回、憲法調査会の音声データを発見した、ジャーナリストの鈴木昭典さんは、16歳の時、新聞で初めて、新憲法のことを知った。
当時の一面に、象徴天皇、主権在民、戦争放棄、いわゆる三原則が踊っていた。
鈴木昭典(ジャーナリスト):
当時まあ、お腹がすいている、焼け跡だらけで、いったい日本がどうなるかっていうのが分からない時だった。
そこに、やっぱりもう、とにかく戦争をしないわけですから、まあ当時の国民にとっては、すごい贈り物だし、励みにもなった。
(憲法調査会では)新しい時代が始まってるんだっていう感覚が、殆ど無い人たちがしゃべってるわけですし。
ナレーション:
憲法調査会が始まって3年、憲法改正を目指した岸総理は、日米安保条約改定に反対する声が日本を覆う中、退陣に追い込まれた。
変わって誕生した池田政権は、所得倍増を掲げた。
時代が安保から経済へうつりゆく中で、憲法調査会はさらに4年続く。
しかし、憲法を改正するのかしないのか、結局結論を出さないまま、幕を閉じた。
調査会の会長高柳氏は、最終版でこう述べていた。
高柳賢三会長(英米法学者):
第9条は、ユートピアであると見えるかもしないが、戦争放棄を不変ならしめるのでなければ、人類が滅亡してしまうというビジョンが含まれている。
第9条は、一つの政治的宣言であると解釈すべきである。」
ナレーション:
憲法調査会が幕を閉じてから半世紀。
再び、反対の声が国会を取り巻く中、安倍総理は、安保法を成立させた。
そして、祖父が果たせなかった、憲法改正への道を突き進む。
岸信介元総理:
占領下にできた憲法を改めて、日本にふさわしい自主憲法を作りたい。
安倍晋三総理:
占領時代に作られた憲法である。
私たちの手で、憲法を変えていくべきだ。
<スタジオ>
古舘アナウンサー:
あの、木村さん、ご専門の立場でぜひ伺いたいところがいっぱいあるんですけど、
私まず驚いたのは、今とあの59年前が、ほんとに合わせ鏡になっているということ。
それからこれは私の感覚ですけれども、戦争責任があると言われていた人たち、あるいは公職追放とか、そういう方々には、私憤や怨念、いろんな思いがGHQに対してもアメリカに対してもあったかもしれない。
そういうものが、憲法改正して自分たちの憲法を作るんだっていうとこに、やっぱり感情的に、感情的じゃないと言っても言ってるように聞こえるところもあった。
びっくりすることだらけだったんですけど。
木村草太(首都大学東京准教授・憲法学者):
そうですね、やはりあの、押しつけ憲法論のまま思考停止してしまっている人が、結構いるということではあると思うんですけれども、
また安倍首相も、国会でも、押しつけ憲法論を振りかざすまでに至ってますが、
やはり今の憲法が、GHQの押しつけだというのは、制定過程の理解としては不十分、不正確と言わざるを得ないと思います。
古舘アナウンサー:
やっぱりそうですか。
木村草太氏:
まず日本政府は、太平洋戦争を終結するために、ポツダム宣言を受諾したわけですが、
そのポツダム宣言には、民主主義の復活強化、それから基本的人権の保障の確立ということが条件とされていて、
これは、国際社会の当然の要求であると同時に、当時の国民の希望、願いでもあったはずです。
GHQは、最初は、日本に、憲法改正を委ねていたわけですけれども、
しかしその内容が、民主主義の復活強化と呼ぶにはあまりにも不十分だったということで、GHQが草案というか、原案を作るに至ったわけですね。
古舘アナウンサー:
一旦変更しているわけですね。
木村草太氏:
そういうことです。
で、またその後に、これ当然英語で書かれていて、また日本法にも明るくないということもありますから、
日本の官僚や政治家が、翻訳作業や、あるいは日本法との整合性を取るための調整作業、
ここでしっかり日本にふさわしい原案を、政府案として作って、帝国議会に提出したわけです。
さらにその帝国議会は、日本初の、男女普通選挙で選ばれた帝国議会の議員たちが、審議をして制定をしたわけですから、
やはり、これを押しつけだというふうに単純に評価するのは、当時の国会議員、あるいは官僚、そして彼らを選挙で選んだ国民への侮辱になっている、ということに気づくべきだと思いますね。
古舘アナウンサー:
ああ、そういう捉え方ですね。
木村草太氏:
もちろん、GHQの占領が終わった段階で、改めて見直そうという動きがあることは理解できるんですけども、
しかしなぜ、改正が行われなかったのか。
それは、自民党内の改憲派が望むような改憲案を、国民が支持してこなかったからであって、
70年近くにも渡って憲法が改正されなかったのは、まず、日本国憲法が、世界標準に照らしても、かなり優秀な内容であったということもありますが、
さらに、国民が望むような、より良い憲法にするような提案を、国会議員がしてこなかったということだと思いますね。
国民主権原理のもとでは、憲法というのは、国家が権力を乱用して、国民の自由・権利を侵害することを防ぐ、このためにあるわけです。
ですから、憲法改正を実現したいのであれば、これは押しつけ憲法論というのをアピールするのではなく、
憲法に対する感情的な反発ではない、より国民の望む改憲がどんなことなのか、これを考えてアピールすべきだと思いますね。
古舘アナウンサー:
そこですよね。
さっきのああいう議論を聞いてますと、女性の方が、
あの戦争の悲惨さ、国民がどういう味わい方をしたか、それが今、どういう心境になっているかとおっしゃっていて、非常に印象に残りました、分かりやすくて。
その他の改憲の方々の話聞いてると、やっぱり、国家と自分てのが合一していて、まず国家としてどうなんだ、ってなるんですけど、
それも大事かもしれませんが、国民ひとりで構成されている国民のための国家だと考えた時に、
戦争に行って死んだ人、悲しい人、そして行かなかったけどもどれだけ苦労したか、そして身内を失ったか、
そういう人たちの、悲しみの総和ってものを考えたら、そう簡単にいろんなことが改正できなかったんじゃないかな、って気がするんですけどね。
木村草太氏:
そうですね。
やはり憲法というのは、その国をその国たらしめてるルールです。
将棋が将棋のルール無しに存在しないように、国家というのは憲法無しには存在しないわけですし、
国家を大事にするというのは、憲法を大事にすることでもあると。
やはり、今の憲法に憎しみを持っている方は、それを解放しないと、それから解放されないと、建設的な改憲論は永遠に不可能だ。
これをまず、自覚するべきだと思いますね。
古舘アナウンサー:
まずその、どうしても人間ですから、感情ってものがありますからね。
それ(負の感情)を抜いた上でやっていくというような、ある種の気が遠くなるような作業を経ないと、
こういうものってのは簡単に決められない、ということに戻ってきますね。