久しぶりに良く晴れて、けれどもそれほど寒くない天気に誘われて、レッスンの合間に散歩に出た。
これをえらいこっちゃ!と思うべきか、まあなんとかなるっしょ、と思うべきか…というある事について考えるために。
先日のACMAの役員ミーティングで、
「わたしたちはここ数年、カーネギーホールの定例演奏会のことに気持ちが行き過ぎてたと思う。
そのことで疎外感を感じてる、カーネギーで演奏できるほどの力量を持っていない人たちが、増えてきてると思う。
この音楽協会が始まった頃は、メンバーといっても10人ぐらいで、月々の演奏会では、それぞれの演奏について、本人はもちろん、聞き手からの意見や質問が交わされていた。
どんなレベルの人も、引け目を感じることなく、みんな自由に演奏するチャンスを持てた。
そんな頃からずっと、今のように2000人ものメンバーがいる協会に育つまで、支え続けてきてくれた人たちに、何か恩返しのようなことができたらいいなと思う。
で、考えたのだけど、勉強会を開くってのはどうだろうか?
もう随分前のことになるけれど、日本のある音楽振興会で教えていた13年の間に、様々な研修を受ける機会を得ることができた。
その講師陣の中には、世界的に有名な音楽家であるロシア人チェリスト、ロストロポーヴィッチ氏もいらっしゃった。
それらの研修から学んだことを、今度はわたしが、同じ職場の講師たちに教えたり、自分の生徒のレッスンに活かしたりした。
そういう経験があるので、どうかな、お試しで、会員を対象にした勉強会みたいなものを、わたしが始めてみるっていうのは」
そんな軽い気持ちで言ったのだった。
ところが、そのミーティングの後、プレジデントのアルベルトから、メールがゴンゴン送られてきた。
彼は、そうと決めたら猪突猛進、ドドドッと物事を進める人である。
しかも、徹底的に理詰めで説明しないと、納得しない人である。
メールには必ず、10以上の質問が書き込まれていた。
その質問に、ふうふう言いながら答えているうちに、気が付いたら夜中、という日が続いた。
もともと、そんなにきちっと計画を立てるのではなくて、その場の雰囲気と参加者の状況を見ながら、適当にやろうと思っていたので、
いったい何事かと、言い出しっぺのくせにまごまごした。
わたしの頭の中では、普通サイズの、グランドピアノが1台か2台ある教室を使い、人数も多くて30人。
バッハのインヴェンションを使い、参加者に飛び入りで数小節だけ弾いてもらったり、お互いの演奏を聴いて話し合ったりしよう、そんな感じを想像していた。
だが、アルベルトは違った。
彼の頭の中では、300名は軽く入るホールを使い、できるだけ多くの希望者を募り、そのホールの使用量と保険料を賄うのに必要な参加費を取る。
まうみは、英語をサポートしてくれる人が必要だろうから、その人と綿密に打ち合わせをする。
他に、講義に必要なアシスタント役を、我々役員のメンバーが引き受ける。
えぇ~?!なんでそんなデッカイ話になってしまってるの~??
ということで、またまたメールの送り合いが始まった。
最初っからドカンと大玉花火を上げるのではなくて、とにかくみんなが気軽に来られるような場と時間があったらいいな~という感じで始めたい。
それで、参加してくれた人の中に、自分ならこうする、自分はこんな感じでやってみたい、という人が出てきて、そうやって次に繋がっていって欲しい。
そうしたら協会の中にまた、音楽への熱い気持ちや喜びが、じわじわと蘇ってくると思う。
そして、カーネギーでの演奏権獲得のためにだけ必死になっている人たちが、それだけじゃないでしょ音楽は、ということに気づいてくれるかもしれない。
子どもたちのにぎやかな声が聞こえてくると思ったら、近所にちっちゃな小学校があった。
運動場の横には、すっかり汚れてしまった巨大な雪(氷)山が、デンデンと居座っていた。
とりあえず、アルベルトが作成してくれた案内文が、会員全員に送られた。
集まる人数によって、わたしも計画を練らなければならない。
う~んう~ん…相手は曲者ぞろいのニューヨーカーたち。
伝えたいことは、歌うこと、聞くこと、右手と左手のための分離した脳に改造すること。
そして、アンサンブルがいかにスリリングで楽しくて難しくて素晴らしいか、それを実感してもらうこと。
バッハのインヴェンションを教材に選んだのには、理由がある。
初めてインヴェンションを弾いた時、わたしは小学生だったのだけど、その異様な作られ方にまずショックを受けた。
異様というのはきっと、それまで経験したことがないものだったから、そう思ったのだろう。
右手と左手が、共にメロディーを担当していて、入れ違いに入ってきたりする。
どちらの手にせよ、最初に弾いた方の弾き方や歌い方が基礎となる。
もちろん、その時々の調子や感情の違いで、変化をつけることもあるけれど。
どうしても、どんなに頑張っても、右手と左手が別個に独立して弾いてくれないので、新しい練習方法をうんうん唸って考えた。
そのアイディアを思いつくまで、数日かかったことを覚えている。
もう50年近く(きゃ~!!)も前のことなのに…。
それは、片手練習をする際に、右手で弾いている時に同時に左手のパートを歌い、左手で弾いている時は右手のパートを歌う。
これが完全にできたらきっと、わたしの脳は、右手のための脳と左手のための脳に分かれてくれるに違いない。
そう思った。
その練習中、自分の脳が苦しんで、だけども変化していくのを、はっきりと感じることができた。
わたしは今、手でメロディを弾き、口で別のメロディを歌い、耳でその二つのメロディを聴き、目で両方のメロディを読み、心ですべての音を感じている。
ずいぶん時間がかかったけれど、その全部がちゃんとできていることを実感した時のあのすごい興奮を、今もはっきりと思い出すことができるほど、センセーショナルな経験だった。
それからずっと、わたしはバッハが大好きになった。
それまで一回も褒めてくれたことが無かった先生が、初めて褒めてくれた。
アンサンブルへの興味が膨らんだ。
シンプルだけども深い。シンプルだからたくさん学べる。
いろんな弾き方や意見が飛び交う会になったらいいなあ。
これをえらいこっちゃ!と思うべきか、まあなんとかなるっしょ、と思うべきか…というある事について考えるために。
先日のACMAの役員ミーティングで、
「わたしたちはここ数年、カーネギーホールの定例演奏会のことに気持ちが行き過ぎてたと思う。
そのことで疎外感を感じてる、カーネギーで演奏できるほどの力量を持っていない人たちが、増えてきてると思う。
この音楽協会が始まった頃は、メンバーといっても10人ぐらいで、月々の演奏会では、それぞれの演奏について、本人はもちろん、聞き手からの意見や質問が交わされていた。
どんなレベルの人も、引け目を感じることなく、みんな自由に演奏するチャンスを持てた。
そんな頃からずっと、今のように2000人ものメンバーがいる協会に育つまで、支え続けてきてくれた人たちに、何か恩返しのようなことができたらいいなと思う。
で、考えたのだけど、勉強会を開くってのはどうだろうか?
もう随分前のことになるけれど、日本のある音楽振興会で教えていた13年の間に、様々な研修を受ける機会を得ることができた。
その講師陣の中には、世界的に有名な音楽家であるロシア人チェリスト、ロストロポーヴィッチ氏もいらっしゃった。
それらの研修から学んだことを、今度はわたしが、同じ職場の講師たちに教えたり、自分の生徒のレッスンに活かしたりした。
そういう経験があるので、どうかな、お試しで、会員を対象にした勉強会みたいなものを、わたしが始めてみるっていうのは」
そんな軽い気持ちで言ったのだった。
ところが、そのミーティングの後、プレジデントのアルベルトから、メールがゴンゴン送られてきた。
彼は、そうと決めたら猪突猛進、ドドドッと物事を進める人である。
しかも、徹底的に理詰めで説明しないと、納得しない人である。
メールには必ず、10以上の質問が書き込まれていた。
その質問に、ふうふう言いながら答えているうちに、気が付いたら夜中、という日が続いた。
もともと、そんなにきちっと計画を立てるのではなくて、その場の雰囲気と参加者の状況を見ながら、適当にやろうと思っていたので、
いったい何事かと、言い出しっぺのくせにまごまごした。
わたしの頭の中では、普通サイズの、グランドピアノが1台か2台ある教室を使い、人数も多くて30人。
バッハのインヴェンションを使い、参加者に飛び入りで数小節だけ弾いてもらったり、お互いの演奏を聴いて話し合ったりしよう、そんな感じを想像していた。
だが、アルベルトは違った。
彼の頭の中では、300名は軽く入るホールを使い、できるだけ多くの希望者を募り、そのホールの使用量と保険料を賄うのに必要な参加費を取る。
まうみは、英語をサポートしてくれる人が必要だろうから、その人と綿密に打ち合わせをする。
他に、講義に必要なアシスタント役を、我々役員のメンバーが引き受ける。
えぇ~?!なんでそんなデッカイ話になってしまってるの~??
ということで、またまたメールの送り合いが始まった。
最初っからドカンと大玉花火を上げるのではなくて、とにかくみんなが気軽に来られるような場と時間があったらいいな~という感じで始めたい。
それで、参加してくれた人の中に、自分ならこうする、自分はこんな感じでやってみたい、という人が出てきて、そうやって次に繋がっていって欲しい。
そうしたら協会の中にまた、音楽への熱い気持ちや喜びが、じわじわと蘇ってくると思う。
そして、カーネギーでの演奏権獲得のためにだけ必死になっている人たちが、それだけじゃないでしょ音楽は、ということに気づいてくれるかもしれない。
子どもたちのにぎやかな声が聞こえてくると思ったら、近所にちっちゃな小学校があった。
運動場の横には、すっかり汚れてしまった巨大な雪(氷)山が、デンデンと居座っていた。
とりあえず、アルベルトが作成してくれた案内文が、会員全員に送られた。
集まる人数によって、わたしも計画を練らなければならない。
う~んう~ん…相手は曲者ぞろいのニューヨーカーたち。
伝えたいことは、歌うこと、聞くこと、右手と左手のための分離した脳に改造すること。
そして、アンサンブルがいかにスリリングで楽しくて難しくて素晴らしいか、それを実感してもらうこと。
バッハのインヴェンションを教材に選んだのには、理由がある。
初めてインヴェンションを弾いた時、わたしは小学生だったのだけど、その異様な作られ方にまずショックを受けた。
異様というのはきっと、それまで経験したことがないものだったから、そう思ったのだろう。
右手と左手が、共にメロディーを担当していて、入れ違いに入ってきたりする。
どちらの手にせよ、最初に弾いた方の弾き方や歌い方が基礎となる。
もちろん、その時々の調子や感情の違いで、変化をつけることもあるけれど。
どうしても、どんなに頑張っても、右手と左手が別個に独立して弾いてくれないので、新しい練習方法をうんうん唸って考えた。
そのアイディアを思いつくまで、数日かかったことを覚えている。
もう50年近く(きゃ~!!)も前のことなのに…。
それは、片手練習をする際に、右手で弾いている時に同時に左手のパートを歌い、左手で弾いている時は右手のパートを歌う。
これが完全にできたらきっと、わたしの脳は、右手のための脳と左手のための脳に分かれてくれるに違いない。
そう思った。
その練習中、自分の脳が苦しんで、だけども変化していくのを、はっきりと感じることができた。
わたしは今、手でメロディを弾き、口で別のメロディを歌い、耳でその二つのメロディを聴き、目で両方のメロディを読み、心ですべての音を感じている。
ずいぶん時間がかかったけれど、その全部がちゃんとできていることを実感した時のあのすごい興奮を、今もはっきりと思い出すことができるほど、センセーショナルな経験だった。
それからずっと、わたしはバッハが大好きになった。
それまで一回も褒めてくれたことが無かった先生が、初めて褒めてくれた。
アンサンブルへの興味が膨らんだ。
シンプルだけども深い。シンプルだからたくさん学べる。
いろんな弾き方や意見が飛び交う会になったらいいなあ。