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ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

忙しい時こそ心に栄養を!

2016年10月30日 | 音楽とわたし
うちから車で15分のところにあるNJPAC(NEW JERSEY PAFORMING ARTS CENTER)。
ここに来るたびに、ああ、もっと来るべきだよねーという気持ちになる、とてもいいホールだ。
今夜は、ずぅっと楽しみにしていたYuja WangとLondon Symphony Orchestraの共演。
ワーグナーの Overture to Die Meistersinger とショスタコーヴィチの Symphony No.5 をオーケストラだけで、そしてラヴェルの Piano Concert in G を共演で、というプログラムだった。

この日演奏されたワーグナーとショスタコーヴィチの曲は、偶然にも、高校から始めたブラスバンドの、コンクールや演奏会の演目だった曲で、
難しくて吹けなくて、それがまた悔しくて、唇を何度も何度も切りながら練習をしていた自分がぐんぐんと蘇ってきて、別の意味で感無量だった。
お味噌汁を飲むのが辛くて、ストロー使ってたよなぁ…。
このフレーズのあの部分が、朝練しても昼練しても夜練しても吹けなくて、家に帰って掛け布団被って練習したっけ…。

特にショスタコーヴィチのシンフォニー5番は、
すでに「体制への反逆者」として貶められていた彼が、スターリンの大粛清によって、友人・親類たちが、次々に逮捕・処刑されていく最中に作曲されたもので、
そのために、思想の発露は抑えめに、または隠して、それでもなお溢れ出る思い、願い、怒りや悲しみが込められている。
演奏していた時は、そのような話を聞いてもピンと来ず、ただただ必死に、曲の難しさに挑戦していたのだが、
社会の歪みや問題が、毎日毎晩、これでもか、これでもかというように現れてくるのを目の当たりにして、
この世にはなぜ、どう考えても間違っていること、存在してはならないことが、堂々とまかり通っているのだろう、
自分はそれらのことに対して、あまりにも無力だけれども、でもどうにかして対峙できる力を身につけたいと切に願うようになったわたしには、
この曲のメロディそれぞれが、各パートが奏でるハーモニーが、パーカッショニストが打つ響きが、
体制に虐げられている、あるいは虐げられていることにも気づいていない人たちのいろんな感情となって、わたしの胸の奥深くにまでしみてきて、何度も涙ぐんでしまった。

ユジャは、またまたさらに進化していて、もうほんとに、言葉で言い表すのが大変。
今回は(も)、三階席の真ん中($25)だったのですが、彼女の恐ろしいほどに美しいピアニッシモを、十分楽しませてもらった。
ただ弱いのではなく、そよそよと吹く風のようであったり、木霊のささやきのようであったり、月の光のようであったり、深海の闇のようであったりする。
そしてもちろん、あの超絶技巧をふふん♪♪と軽く弾いて見せるテクニック…ほんと、マジで人間とは思えない。
オーケストラとの共演が終わった後、休憩に入る予定だったのですが、アンコールを切望するわたしたちに、なんと3曲もサービスしてくれた。
ユジャ、また追っかけするからね!


撮影禁止なのですが、係員がいなくなった隙に携帯でこっそり。
ワーグナーの演奏前。


ラヴェルの演奏前。


ショスタコーヴィチの演奏前。


至福の時を過ごさせてもらった。
コメント
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