ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

「死ぬまで働け一億玉砕」「あの世で貰え国民年金」by安倍晋三

2019年07月19日 | 日本とわたし
安倍首相が海外に出かけて行ってはばら撒いてきたお金(合計60兆円)と用途の一覧表です。

以下の表をご覧になっていただくと、安倍政権、そして自民党公明党与党の政治が、失策続きだったことがよくわかっていただけると思います。
もうやめてもらいましょう。
もうやめさせましょう。





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たった「一票」が、「辛」を「幸」に!

2019年07月19日 | 日本とわたし
高校生がデザインしたポスターなのだそうです。

たった一票が、
「辛い」を「幸せ」に

子どもの未来のために、幸せのために、辛い世の中を変えるために、

一票を投じに行きましょう!
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自由に警察を使う我が世の春の安倍さん…今や緊急事態条項まで手に入れようとしている…絶対に許しちゃいけないよ!

2019年07月19日 | 日本とわたし
今からちょうど6年前、わたしはこの記事を書きました。
その当時はまだ、普段語の大阪弁で書いていたのだなあと、今読み返すと懐かしい思いがします。
もうこの時から始まっていた。
そう思います。
安倍政権が続くことは、この状態がさらに加速していく、ということです。

安倍政権の政策についての抗議を、当人に直接伝えることができる場でやる。
これのどこが間違っているのでしょう?
「増税反対!」と叫ぶ。
「年金100年安心プランどうなった?」と書き込んだプラカードを見せる。
有権者としてできて当然のことです。
その声に、その書き込みに気づいたなら、壇上から答えるのが、国民に養ってもらっている者の義務です。
それがいや、それが怖いなら、壇上からとっとと降りて、議員バッジも外して、お金は潤っているのでしょうから、好きなゴルフをしながら余生を送ればいいのです。

もうこの政権、そして自民党は、その太鼓持ちをし続ける公明党と維新は、政治の世界から追い出さないといけない。
選挙のたびに思ってきましたが、今回はその思いが半端なく強いです。


先日北海道で行われた、安倍首相による候補者応援演説の場で、
「安倍帰れ」「安倍やめろ」と肉声で叫んだ男性、そして年金問題についてのプラカードを掲げた女性が、警察数人に連れ出されるという事件が続きました。

わたしが書いた記事中の女性は、大勢の公安と思われる私服警察官に取り囲まれ、移動させられました。

同じ年の7月4日に、こんな事件も起こっています。
詳細を伝えてくださった方のツイートを紹介します。



そして滋賀県の大津でも。


このように、警察が「トラブル防止」などという名目のもとに、どんな圧迫を加えているか、その実情を詳しく説明してくださった元道警警視庁の原田氏のコラムを紹介します。
一部引用はじめ:
今回の現場を指揮していたのは警備部門だ。
警備部門というのは公安部門ともいわれ、かつての特高の流れを汲む
警備部門が乗り出してきたのは、「安倍晋三総理の街頭演説に伴う警護活動」の一環と考えていたからだろう。
 
現場には、演説妨害を阻止する「制圧班」のほか、録音・録画の「採証班」日ごろから政府批判を繰り返す人物に対する「監視班」、それにこれらを統括する「指揮班」が配置されていたに違いない。
 
「通常の活動」とか「現場の警察官の判断で動いている」という説明も、こうした大規模な体制を組んでいたことを隠すためだろう。
明らかに組織的にやった行為なのに、批判を浴びると現場の責任に転嫁する意図がみられる。
ーーーーーーー ーーーーーーー ーーーーーーー ーーーーーーー
こうした警察のやり方をみると、戦前の行政執行法(明治33年)1条の予防検束「暴行、闘争その他公安を害する虞(おそれ)のある者に対する処分」が復活したような気さえする。
「やりそうなやつの身柄を拘束してしまう」という、特高時代の代物だ。
 
3年前の参院選では、大分県警の別府署が、民進党現職らの支援団体が入居する、大分県別府市の建物の敷地内に無断で立ち入り、隠しカメラを設置して監視していたことが発覚した。これも、法律的な根拠を欠く違法行為だ。
 
警察は、法律の執行機関として、誰よりも厳しく法律を順守する姿勢が求められると思う。
しかし、残念ながら、警察内部には、
「治安維持にためなら、多少の違法行為は許されるのではないか」という、誤った風潮がある。GPS捜査が最高裁で違法とされたのは、その典型だ。
 
最近、共謀罪のように、それまで犯罪ではなかった市民の行為が、犯罪とされる法律ができたが、
こうした警察内部の風潮が、一層強くなっているのではないかと思わざるをえない。
 
私は、演説を聴きにきた人がヤジを飛ばすことも、選挙への参加のひとつの形態だと思う。
ヤジを飛ばすというのは、政権に対する一つの批判行為かもしれないけれども、
札幌の人にとっては、首相に対して直接抗議する唯一の場、選挙に参加する行為ともいえよう。
品があまりよくないかもしれないが、有権者がヤジも飛ばせないような選挙は、民主主義の選挙ではないと思う。
警察が、過剰な警備で、市民を選挙から「けしからん」と一方的に排除するのは、民主警察のやることではない。





みなさん、投票に行ってください!
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山本太郎・福島での街頭演説より「あなたは存在してるだけで価値があるっていう社会作るのが政治なんじゃないですか?」

2019年07月19日 | 日本とわたし

短いとは言えません。

けれどもぜひ、時間を見つけて聞いて、読んでください。

れいわ新選組 山本太郎 街頭演説会 福島駅東口

これを夜中に聞いてしまって、ドキドキし過ぎて眠れなかった。
原発事故が起こった時、わたしは動転してしまい、2週間ほどパソコンの前に座り続けた。
どんなに報道を追いかけても、住民のみなさんをほとんど棄てているような国と東電の対処にイライラした。
だからといって、自分に何ができるかというと、端金を寄付したり、アメリカの原子力規制委員会のデータや記事を翻訳して伝えることぐらい。
とにかく逃げて欲しい。
特に小さな子どもがいる家庭は逃げて欲しい。
そう呼びかけることが多くなり、それにつれてコメント欄に、何も起こらず不自由も無い場所に居て何がわかる、日本に住んでない人間は黙れ、という内容のコメントが続々と寄せられるようになった。
そういう人たちと何度か受け答えしているうちに、いろいろな立場や環境で暮らしている人たちのいろいろな気持ちを知り、未熟だった自分を反省したものだ。
 
太郎さんは、演説を聞いてもらうだけじゃなく、集まった人たちにマイクを渡した。
太郎さんに向けられる福島の方々の生の気持ちを思うと、ドキドキした。
わたしは太郎さんのように現場に足繁く通い、そこに暮らす人々の生活や現実を知る努力もしていないから、
だからものすごく怖かった。
 
でも当然のことだけど、太郎さんは違った。
一つ一つの言葉に、それがどんな表現でどんな内容のものであっても、しっかりと耳を傾け受け止めた。

アパートのオーナーさん、米沢に避難した人、
そして…、
「ようこそ福島へ。えー山本太郎さん、今、怖いですか?ここにいるの」と、話し始めた男性。
 
「189万の県民、真面目に働いてるんですよ。真面目に物を作って、真面目に米を作って、でも米売れないんですよ。それはなぜか?風評被害があるからです」
「真面目に働いても、結局2000人の、避難して毎日毎日裁判起こしてる人間せいで、真面目に仕事しても売れないんです」
「大部分の県民はね、放射能のホの字なんか、毎日気にして生きてないです」
そうやって風評被害を煽ることが政治家の役目ですか?」
「山本太郎さんのを見てると、結局、その東電の事故をネタに、福島県から票を取りましょうとすることしか見えないんです」
「189万人の福島県民のほとんどが、放射能なんてちっとも意識しないで生きているのに、政治家が怖い危ないと危険を煽る」
「そのせいで、全国民は福島は危ないところなんだって思ってしまう」
 
そういった意見を言ったあと、全国一律1500円の最低賃金について尋ね、裁判を起こしている県民に数千万円の補償金が支払われることへの不満などを話した。
 
周りの聴衆からは、だんだんと興奮してくるヤジや賛同の声が飛び交う。
その中には、
「いつまでも、被害者面して裁判で金儲けしてんじゃねぇ!」
「福島の恥だ!」
などという、強い物言いもあった。
 
福島の人たちは我慢に我慢を重ねてきた。
人生を奪われ、生業を奪われた上に、泣き寝入りを強いられ、国が言う『大丈夫』『問題ない』を無理やり信じるしか前に進めない状態にされたまま放置されている。
 
聴衆からの訴えや質問に混じる怒りや苛立ちを前にしても、それらに巻き込まれることなく、言葉を選びながら答える太郎さんの誠実な姿勢は、わたしなどには到底真似ができるものでは無い。
太郎さんは、被害者である福島の人々が、加害者である国や東電に対してではなく、被害者同士で批判し合うのは間違いだと言った。
そして自分は、国や東電に対する追求を諦めないと言った。

この6年、太郎さんの人間愛の深みは、膨大な社会問題を取り上げ、学び、追求し続けてきた積み重ねによって育まれたのだと思う。
そしてその人間愛というものは、政治家にとって最も必要なものだとわたしは思う。
本当にすばらしい政治家をみんなの手で国会に送ることができるこの選挙を、絶対に無駄にしないで欲しい。
 
文字起こしはこちらから
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