腕のいいペンキ屋さんであり、友人でもあるデイヴから、今仕事をしているお家のピアノを、見に行かないか?と誘われました。
17年前に買ったボールドウィンのベビーグランドピアノ、ということで、伺ってきました。
ボールドウィンは、1862年に設立された、アメリカの老舗ピアノ・オルガンメーカーです。
鍵盤は少し重めで、音質が河合ピアノに似ていて、わたし個人としては好きな方のピアノです。
2009年の11月に、ニューヨークでピアノデュオのピアニストとして活躍していた故カルロス氏のピアノに出会い、
彼の死の悲しみに打ちひしがれながらも、彼の持ち物すべてを処分し、故国ペルーに戻らなければならなかったお母さまの、
「息子の分まで、このピアノを大切にしてください」という言葉と共に、家に引き取らせてもらいました。
それからの経緯を、わたしは何回か、ここに記してきました。
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/2787e511ce875d6b96775251b37adadb
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/1634ff5805cfd273a7975be632e4accc
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/531d36cc1a4c7f7c36a3f90f4d5ffe8a
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/c/57d3acbef8583ba1818bb6947f2811cf/18
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/e1a5caffc16a7fcaebd0463087ae4ca4
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/58f9d3d0cdff7822f5a6bc70bcb9d594
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/4225d7f9cd50c9a607024d2c8a79d0d8
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/db20c5de8d07f21829de1c8e71404947
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/2bcf29e5805cbee09648fff9ba6c0300
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/bf0944ceb13d742c88eb75358bae1e2a
かなり古いピアノであること、体格のいい男性ピアニストが長年弾き続けてきたことから、鍵盤全体がかなり疲弊していましたが、
非常に分厚い一枚板の反響板と、大柄の体から湧き出てくる、温かな深い響きにすっかり魅せられたわたしは、鍵盤を修理することの大変さを、つい甘く考えてしまいました。
ピアノは、専門の運搬会社の専門職の男性が、口を揃えて文句を言うほどにとんでもなく重く、カルロス氏が暮らしていたアパートの部屋から運び出さなければならなかったのは、本当に大変だったのですが、
その時に、考えられない事件が起こりました。
運搬人のひとりが、取り外された鍵盤の上に足を乗せてしまい、破損してしまったのでした。
すでに非常にもろくなっていたとはいえ、ミスはミスとして、会社の保険で直してもらったのですが、
それからというもの、現在に至るまで、鍵盤の修理と調整に、時間とお金を費やさなければなりませんでした。
ところが、どうやっても、またどこかがおかしくなって、まるでモグラ叩きのような状態が続いています。
うちのピアノをずっと調律してくれているアルバートがとうとう、「ピアノを替えた方がいいと思う」と、わたしに忠告してきました。
彼ほど、このピアノの状態を知っている人はいないので、その忠告はズシンと心に響きました。
「まうみの気持ちはわかるけれども、このピアノは、我々の手に負えない問題を抱え過ぎていると思う」
わたしは、大きなミスを犯してしまったのでしょうか。
あの時、あの場所で下した判断は、間違っていたのでしょうか。
実は、とうの昔から、そう感じていたし、認めていました。
でも、気持ちがそれを、どうしても認めたくなかったのです。
そしてまた、このことに費やした時間やお金が無駄になることを、認めるのが恐かったのです。
そしてもちろん、カルロス氏のお母さまとの約束も。
日本で所有していたのは、中学生の時に買ってもらった、ヤマハのグランドピアノC3でした。
このピアノは、波乱万丈のわたしの人生の中で、わたしと同じく、翻弄され続けたピアノでした。
ヤクザの若い衆たちの手で持ち去られたこともあったし、そこから取り戻してくれた友人の家にしばらく居候していたこともありました。
それを、わざわざ床の補強をして仮置きさせてくれた母の家から、とうとう元の持ち主であるわたしの嫁ぎ先に戻ってきたのは、持ち去られてから3年後のことでした。
それからは、もう絶対に手放さないからと固く約束をしたのに、離婚をして、また引っ越しをして、その時も一緒に付いてきてもらったのに、
日本を離れなければならなくなった時、手持ちのお金が本当に無くて、50万円の運搬費をどうしても払えなくて、泣く泣く手放すことにしたのです。
でも、わたしが手放したことで、ピアノはある若い学生の家に引き取られることになり、彼女は今、立派なプロのピアニストになったのだから、それはそれでよかったのだと思っています。
けれども、やっぱり、いいピアノを弾きたい。
この気持ちは、こちらに引っ越して来てからずっと、わたしの中にじくじくと居座り続けています。
練習をしている間中、コンディションの悪さを嘆きながら、それらの問題に目を瞑りながら、良い音を求めることのストレスというのは、なかなかに大変なものですから。
そんなこんなの気持ちを抱えながら、6年以上もの年月が経ちました。
やっと気持ちを整理して、とりあえず1台のピアノのままで、またお金を少しずつ貯めて、修理の不必要なピアノを手に入れようと思います。
というわけで、新たな出会いを求めて、ボールドウィンのピアノを見に行きました。



刻印が非常に渋いので、これは少なくとも60年以上は前に作られたものだと思います。



ピンが少し傾斜しているのは、1960年代に作られたピアノの特徴だと、アルバートが教えてくれました。

かなり古いピアノです。


ナットも渋い。

鍵盤は重く、ベビーグランドにしては音の広がりに奥行きがあります。

残念ながら、わたしが欲しいと思うものではありませんでしたが、持ち主さんから希望の売値を知らせてもらったら、生徒たちに写真と一緒にメールしようと思います。
17年前に買ったボールドウィンのベビーグランドピアノ、ということで、伺ってきました。
ボールドウィンは、1862年に設立された、アメリカの老舗ピアノ・オルガンメーカーです。
鍵盤は少し重めで、音質が河合ピアノに似ていて、わたし個人としては好きな方のピアノです。
2009年の11月に、ニューヨークでピアノデュオのピアニストとして活躍していた故カルロス氏のピアノに出会い、
彼の死の悲しみに打ちひしがれながらも、彼の持ち物すべてを処分し、故国ペルーに戻らなければならなかったお母さまの、
「息子の分まで、このピアノを大切にしてください」という言葉と共に、家に引き取らせてもらいました。
それからの経緯を、わたしは何回か、ここに記してきました。
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/2787e511ce875d6b96775251b37adadb
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/1634ff5805cfd273a7975be632e4accc
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/531d36cc1a4c7f7c36a3f90f4d5ffe8a
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/c/57d3acbef8583ba1818bb6947f2811cf/18
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http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/4225d7f9cd50c9a607024d2c8a79d0d8
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http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/2bcf29e5805cbee09648fff9ba6c0300
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/bf0944ceb13d742c88eb75358bae1e2a
かなり古いピアノであること、体格のいい男性ピアニストが長年弾き続けてきたことから、鍵盤全体がかなり疲弊していましたが、
非常に分厚い一枚板の反響板と、大柄の体から湧き出てくる、温かな深い響きにすっかり魅せられたわたしは、鍵盤を修理することの大変さを、つい甘く考えてしまいました。
ピアノは、専門の運搬会社の専門職の男性が、口を揃えて文句を言うほどにとんでもなく重く、カルロス氏が暮らしていたアパートの部屋から運び出さなければならなかったのは、本当に大変だったのですが、
その時に、考えられない事件が起こりました。
運搬人のひとりが、取り外された鍵盤の上に足を乗せてしまい、破損してしまったのでした。
すでに非常にもろくなっていたとはいえ、ミスはミスとして、会社の保険で直してもらったのですが、
それからというもの、現在に至るまで、鍵盤の修理と調整に、時間とお金を費やさなければなりませんでした。
ところが、どうやっても、またどこかがおかしくなって、まるでモグラ叩きのような状態が続いています。
うちのピアノをずっと調律してくれているアルバートがとうとう、「ピアノを替えた方がいいと思う」と、わたしに忠告してきました。
彼ほど、このピアノの状態を知っている人はいないので、その忠告はズシンと心に響きました。
「まうみの気持ちはわかるけれども、このピアノは、我々の手に負えない問題を抱え過ぎていると思う」
わたしは、大きなミスを犯してしまったのでしょうか。
あの時、あの場所で下した判断は、間違っていたのでしょうか。
実は、とうの昔から、そう感じていたし、認めていました。
でも、気持ちがそれを、どうしても認めたくなかったのです。
そしてまた、このことに費やした時間やお金が無駄になることを、認めるのが恐かったのです。
そしてもちろん、カルロス氏のお母さまとの約束も。
日本で所有していたのは、中学生の時に買ってもらった、ヤマハのグランドピアノC3でした。
このピアノは、波乱万丈のわたしの人生の中で、わたしと同じく、翻弄され続けたピアノでした。
ヤクザの若い衆たちの手で持ち去られたこともあったし、そこから取り戻してくれた友人の家にしばらく居候していたこともありました。
それを、わざわざ床の補強をして仮置きさせてくれた母の家から、とうとう元の持ち主であるわたしの嫁ぎ先に戻ってきたのは、持ち去られてから3年後のことでした。
それからは、もう絶対に手放さないからと固く約束をしたのに、離婚をして、また引っ越しをして、その時も一緒に付いてきてもらったのに、
日本を離れなければならなくなった時、手持ちのお金が本当に無くて、50万円の運搬費をどうしても払えなくて、泣く泣く手放すことにしたのです。
でも、わたしが手放したことで、ピアノはある若い学生の家に引き取られることになり、彼女は今、立派なプロのピアニストになったのだから、それはそれでよかったのだと思っています。
けれども、やっぱり、いいピアノを弾きたい。
この気持ちは、こちらに引っ越して来てからずっと、わたしの中にじくじくと居座り続けています。
練習をしている間中、コンディションの悪さを嘆きながら、それらの問題に目を瞑りながら、良い音を求めることのストレスというのは、なかなかに大変なものですから。
そんなこんなの気持ちを抱えながら、6年以上もの年月が経ちました。
やっと気持ちを整理して、とりあえず1台のピアノのままで、またお金を少しずつ貯めて、修理の不必要なピアノを手に入れようと思います。
というわけで、新たな出会いを求めて、ボールドウィンのピアノを見に行きました。



刻印が非常に渋いので、これは少なくとも60年以上は前に作られたものだと思います。



ピンが少し傾斜しているのは、1960年代に作られたピアノの特徴だと、アルバートが教えてくれました。

かなり古いピアノです。


ナットも渋い。

鍵盤は重く、ベビーグランドにしては音の広がりに奥行きがあります。

残念ながら、わたしが欲しいと思うものではありませんでしたが、持ち主さんから希望の売値を知らせてもらったら、生徒たちに写真と一緒にメールしようと思います。