とても久しぶりに、隣町のパターソンに行った。
中東からの移民が大勢住んでいる町で、だから本格的な中東料理が格安で楽しめる。
だけど、グルテンフリーとなった今では、大好物のババガナシュやレバナを、ピタ(平らな丸いパン)に乗っけて食べられない。
なので、ライスクラッカー持参で出かけることにした。
食事の後は、市場見学。
大根がDAIKONの名前で、普通に売られている…しかも約1キロが1ドル…感動。
スパイスの豊富なことったら…もちろん量り売り。
そしてその日の夜中に、夫の携帯が鳴った。
夫は、出なけりゃと思いつつ、なんとなく寝てしまった。
朝起きて、携帯を確認すると、バージニアで暮らしている長男くんからの、英文メッセージが入っていた。
「今病院から戻った。大丈夫です」
えっ?
そのメッセージが送られたのは午前3時過ぎ。
いったい何が起こったのかと、すぐにでも連絡して聞きたかったけど、多分疲れてぐっすり眠っているだろうからと夫が言うので、ひとまず昼前まで待つことにした。
「どないしたん?」
「パーティの途中で過呼吸で倒れて、それが前回より増して深刻で、救急車で病院に運ばれて、落ち着いたと思ったら嘔吐と下痢が始まった」
「今どこにいるん?」
「友人のアパート。みんなにはほんまに世話になってしまった」
「ほんまに助けてもらったな。わたしたち親も、すごく感謝してますって伝えといてや」
と、ここまで話している間ずっと、夫もわたしも、彼はてっきりバージニアにいるものだと思っていた。
ところが、それから30分ほどすると、長男くんから電話がかかってきた。
「迎えに来てもらえへんかな」
えっ?
バージニアまではちと遠いがなと思ったら、なんと彼はマンハッタンにいたのだった。
夫は休日ワインを楽しみ始めてたし、朝から霰が降ったり止んだりで、道も木もパキパキに凍っている。
だからすぐには出られなかった。
家までの車中で、我慢に我慢をしていた長男くん、家に着くやいなやトイレに飛び込み激しく嘔吐。
うーん、久しぶりに聞く、可哀想な音だ。
生姜湯を飲んで吐き、お湯を飲んで吐き、重湯を飲んで吐き、頭痛と下痢に襲われながらも、少しずつましになっているようだったので、わたしもとりあえず眠った。
夫は夫で、症状を確認しながら、皮内鍼をあちこちに貼っていった。
一夜明けて、吐き気がほとんど無くなり、食べたいという気持ちが出てきたというので、サツマイモのお味噌汁を作った。
昨日の深夜に食べた重湯に続き、今朝のお味噌汁も、無事にお腹の中に留まってくれたようだ。
いやはや一安心。
彼の医療保険は、我々のそれとは違い、救急の際にも効くようで、救急車搬送の費用にビクビクする必要がない。
ああ羨ましい、といっても、数万円は払わされるみたいだけども…。
我々が、やっとの事で手にしたオバマケアも、あのトランプの大統領令で、この先どうなってしまうことやら…。
長男くんは今、30歳にして、大学院に入って学ぼうと決め、そのための学費や生活費を貯めるために頑張っている。
バカバカしい利息がついた学生ローンの返済も、今年の正月にやり終えた。
入学に必要な学力をつけなければならないし、面倒な手続きもしなければならない。
仕事は仕事で、中堅としての、また日本とアメリカの橋渡し役としての、出張やイベントも少なくない。
それに加え、趣味のクライミングもガンガンやりたいし、ニューヨークの友だちとも遊びたい。
ってなことで、多分彼は、ずっと無理をしていて、その疲れがどっと出たのかもしれない。
もしくは、金曜日に食べたという、カキに当たったのかもしれない。
もちろん、ストレスや疲れが溜まりに溜まっていた、ということもあるかもしれない。
巷で流行っている、ウィルス性の腹痛かもしれないし、新しい食物アレルギーかもしれない。
でも、倒れた時の様子を詳しく聞くと、手の指が妙な形のままつってしまったり、それが全身に広がって、ついには内臓までもがつったような気がしたと言う。
それって、癲癇の症状にも似てないか?
やっぱり一度、詳しく調べてもらった方がいいのかもしれない。
とにかく、もうちょっとでいいから、走るスピードを緩めていこうよ。
遠くに(といっても、アメリカサイズで言えば車で行き来できるのでそれほどでもないが)暮らす息子に、わたしたちができることなど何も無いけど、
無事を祈る気持ちの強さは、誰にも負けないんだからね。
それにしても、いくら知らなかったとはいえ、夜中の電話に出ないわ、出なかったから詳しい事情を知らずに、救急搬送から翌日の昼までの世話やらを息子の友人さんたちに任せきりだった我々の呑気さを、今更ながらに反省している。
中東からの移民が大勢住んでいる町で、だから本格的な中東料理が格安で楽しめる。
だけど、グルテンフリーとなった今では、大好物のババガナシュやレバナを、ピタ(平らな丸いパン)に乗っけて食べられない。
なので、ライスクラッカー持参で出かけることにした。
食事の後は、市場見学。
大根がDAIKONの名前で、普通に売られている…しかも約1キロが1ドル…感動。
スパイスの豊富なことったら…もちろん量り売り。
そしてその日の夜中に、夫の携帯が鳴った。
夫は、出なけりゃと思いつつ、なんとなく寝てしまった。
朝起きて、携帯を確認すると、バージニアで暮らしている長男くんからの、英文メッセージが入っていた。
「今病院から戻った。大丈夫です」
えっ?
そのメッセージが送られたのは午前3時過ぎ。
いったい何が起こったのかと、すぐにでも連絡して聞きたかったけど、多分疲れてぐっすり眠っているだろうからと夫が言うので、ひとまず昼前まで待つことにした。
「どないしたん?」
「パーティの途中で過呼吸で倒れて、それが前回より増して深刻で、救急車で病院に運ばれて、落ち着いたと思ったら嘔吐と下痢が始まった」
「今どこにいるん?」
「友人のアパート。みんなにはほんまに世話になってしまった」
「ほんまに助けてもらったな。わたしたち親も、すごく感謝してますって伝えといてや」
と、ここまで話している間ずっと、夫もわたしも、彼はてっきりバージニアにいるものだと思っていた。
ところが、それから30分ほどすると、長男くんから電話がかかってきた。
「迎えに来てもらえへんかな」
えっ?
バージニアまではちと遠いがなと思ったら、なんと彼はマンハッタンにいたのだった。
夫は休日ワインを楽しみ始めてたし、朝から霰が降ったり止んだりで、道も木もパキパキに凍っている。
だからすぐには出られなかった。
家までの車中で、我慢に我慢をしていた長男くん、家に着くやいなやトイレに飛び込み激しく嘔吐。
うーん、久しぶりに聞く、可哀想な音だ。
生姜湯を飲んで吐き、お湯を飲んで吐き、重湯を飲んで吐き、頭痛と下痢に襲われながらも、少しずつましになっているようだったので、わたしもとりあえず眠った。
夫は夫で、症状を確認しながら、皮内鍼をあちこちに貼っていった。
一夜明けて、吐き気がほとんど無くなり、食べたいという気持ちが出てきたというので、サツマイモのお味噌汁を作った。
昨日の深夜に食べた重湯に続き、今朝のお味噌汁も、無事にお腹の中に留まってくれたようだ。
いやはや一安心。
彼の医療保険は、我々のそれとは違い、救急の際にも効くようで、救急車搬送の費用にビクビクする必要がない。
ああ羨ましい、といっても、数万円は払わされるみたいだけども…。
我々が、やっとの事で手にしたオバマケアも、あのトランプの大統領令で、この先どうなってしまうことやら…。
長男くんは今、30歳にして、大学院に入って学ぼうと決め、そのための学費や生活費を貯めるために頑張っている。
バカバカしい利息がついた学生ローンの返済も、今年の正月にやり終えた。
入学に必要な学力をつけなければならないし、面倒な手続きもしなければならない。
仕事は仕事で、中堅としての、また日本とアメリカの橋渡し役としての、出張やイベントも少なくない。
それに加え、趣味のクライミングもガンガンやりたいし、ニューヨークの友だちとも遊びたい。
ってなことで、多分彼は、ずっと無理をしていて、その疲れがどっと出たのかもしれない。
もしくは、金曜日に食べたという、カキに当たったのかもしれない。
もちろん、ストレスや疲れが溜まりに溜まっていた、ということもあるかもしれない。
巷で流行っている、ウィルス性の腹痛かもしれないし、新しい食物アレルギーかもしれない。
でも、倒れた時の様子を詳しく聞くと、手の指が妙な形のままつってしまったり、それが全身に広がって、ついには内臓までもがつったような気がしたと言う。
それって、癲癇の症状にも似てないか?
やっぱり一度、詳しく調べてもらった方がいいのかもしれない。
とにかく、もうちょっとでいいから、走るスピードを緩めていこうよ。
遠くに(といっても、アメリカサイズで言えば車で行き来できるのでそれほどでもないが)暮らす息子に、わたしたちができることなど何も無いけど、
無事を祈る気持ちの強さは、誰にも負けないんだからね。
それにしても、いくら知らなかったとはいえ、夜中の電話に出ないわ、出なかったから詳しい事情を知らずに、救急搬送から翌日の昼までの世話やらを息子の友人さんたちに任せきりだった我々の呑気さを、今更ながらに反省している。