こちらに来て18年と8ヶ月。
日本にいた頃と同様、相変わらずのピアノ教師をしてきた。
借金取りのヤクザに追いかけられてた(借金はわたしじゃなくて親のものだったけど)頃に、それならいっそ、違う組の暴力団幹部の子どもの家庭教師になったら?と、当時お世話になっていた教授が紹介してくれてピアノを教え始めた。
若い頃は、その日の気分で教え方が変わったり、ちょっとしたことで腹を立てたりしたから、生徒たちは大変だったろう。
歳を重ねてもなお、やっぱり怒りっぽくて、レッスン中に笑顔を浮かべることも少なかったから、いやな感じだなあって思ってた生徒は多かったろう。
そんなわたしがこちらに来てまず驚いたのは、生徒たちが自由に気持ちを話すことだった。
いやなことはいや、嬉しいことは嬉しい。
わたしが使った言葉が気に入らなかったり、意味がわからなかったり、言い過ぎたりした時には必ず、すかさず何か言ってくる。
わたしが褒めると、ありがとうと言って嬉しそうに笑う。
日本で23年間教えてきて、めったに味わえなかった会話が、ここでは例え7歳の子どもであっても存在する。
はじめは面食らってたじろいでいたけれど、そのうちに楽しむようになった。
そしてはじめて考えた。
日本の子どもたちもきっと、こちらの子どもたちのように、言いたいことがいっぱいあったんだろうな、と。
何年やろうが、学ぶことは後からどんどん出てくる。
やればやるほど、もっと学ばなければと思う。
17年目の去年の夏に、生徒たちの世代交代があった。
まだ6歳の、ピアノの鍵盤を押し込むことさえできないような小ちゃな手で、ドレミから始めた子たちが、気がつくとわたしよりうんと背が高くなり、声も低くなって、
「続けたい気持ちは山々なんだけど、もう物理的にどうしようもないので、レッスンをやめます」と、次々に離れていった。
10年以上も教えてたし、弾ける曲もうんと増えてきてたし、教える方としては「よし!これからがうんと楽しみだ!」と思っていたので、そういう子たちがごっそり抜けたのはショックだった。
でも、そういう覚悟はしていなければならなかったんだ。
『いつまでも 続くと思うな ピアノの生徒』なんだから。
というわけで、一気に10人近く減ったので、夏休みが終わってもずっとまだ夏休みが続いているような感じで、生活はじわじわと苦しくなった。
けれども一年の締めくくりとしての発表会はやりたい、どうしよう…と悩んでいた。
いつもの会場を借りると、割り勘の金額がかなり増える。
どうしよう、どうしよう、どうしよう…。
決められないまま11月になってしまった。
11月の中頃に、生徒たちの中で一番古株の兄弟が、発表会に出るのは負担が大き過ぎるので、欠席したいと言ってきた。
それで決心がついた。
よし、家でやろう。
生徒数は14人、兄弟姉妹がいるので家族は9家族。
両親だけが来ると仮定しても最低32人、もしも親族友人を誘って来たら40人を超えてしまうかもしれない。
うちの折りたたみ椅子は10脚。台所の椅子が5脚。夫の仕事椅子、ピアノの椅子、ソファにぎゅうぎゅう詰めで8人、あれやこれやを集めても25人分。
なので、もしできることなら、折りたたみ椅子持参で来てくださいとお願いした。
この部屋だけは準備完了。発表会の始まりを待つばかり。
とにかく家具を壁際に移動して、少しでも椅子が置ける場所を作らねば。
もしかしたらこの階段にも座ってもらわなければならなくなるかもしれない。
連弾プログラムの最後は、3手連弾のジングルベル♪
そして最後の最後に、最近友だちになったリリーが、クリスマスに合った曲を2曲歌ってくれた。
ソプラノ歌手の彼女とは2ヶ月前に知り合って意気投合し、一度だけ手持ちの曲で練習をした。
歌を勉強していたけれど、アレルギーを拗らせて断念し、美容師になった彼女は、でもやっぱり音楽を捨てることはできないと、7年ぶりに歌い始めた。
発表会の場所はもちろん、プログラムもギリギリまで決められなかったから、ゲストのことも後々になってしまっていた。
なので、彼女に頼んだのは発表会の前々日。
そして前日に承諾を得て、当日の午後に初合わせ、そして本番という無茶苦茶っぷり。
でも、ステキな贈り物になったと思う。
ありがとうリリー!
そんなこんなのバタバタ発表会だったが、とりあえずリビングに全員座っていただくことができた。
それはもうギュウギュウで、さぞかし窮屈だっただろうと思うけど、みんなニコニコと、実に居心地の良い家だと言ってくれた。
ぶうぶう文句を言いながら暗譜に挑戦した生徒たちは、全員しっかりと弾き終えることができて、いつにも増して満足そうだった。
音楽の表現が、いつもより豊かだった。
始めたばかりの3人はともかく、後の11人(+2人)中3人の高校生たちにとっては、もしかしたらこの日が最後の発表会になるかもしれない。
一番長いお付き合いをしているのはW家。
かれこれ12年、まずは6歳だった長男が、しばらくして次男が、そして三男が、さらにお腹の中にいた長女が、生徒として通ってくれている(いた)。
長男が辞め、そして去年、次男が辞めた。
この兄弟妹4人は全員、水泳の選手でもあり、特に次男と三男の二人はジュニアオリンピックの強化選手に選ばれている。
「いつかオリンピック選手になってインタビューを受けたら、実は僕はピアノも得意なんです。先生はまうみですって言ってね」
などとド厚かましいことを言うわたしを、照れくさそうに笑いながら見下ろす(彼はめちゃくちゃ背が高い)彼は、今日のことをずっと覚えていてくれるだろうか。
たくさんのきれいなお花、美味しそうなデザートやスナックをありがとうございました。
また来年を目指して頑張ります。
でもやっぱり会場は別のところがいい。
家具の移動や床拭きで、すっかり腰を痛めてしまったし、来てくださった人たち全員に、ピアノを弾く姿を見てもらえなかったのはとても残念だったから。
それにはもう少し生徒を増やさねば。
作曲と指揮とピアノ教師。
どれもやりたくてやっていることばかり。
しみじみありがたいと思う。
日本にいた頃と同様、相変わらずのピアノ教師をしてきた。
借金取りのヤクザに追いかけられてた(借金はわたしじゃなくて親のものだったけど)頃に、それならいっそ、違う組の暴力団幹部の子どもの家庭教師になったら?と、当時お世話になっていた教授が紹介してくれてピアノを教え始めた。
若い頃は、その日の気分で教え方が変わったり、ちょっとしたことで腹を立てたりしたから、生徒たちは大変だったろう。
歳を重ねてもなお、やっぱり怒りっぽくて、レッスン中に笑顔を浮かべることも少なかったから、いやな感じだなあって思ってた生徒は多かったろう。
そんなわたしがこちらに来てまず驚いたのは、生徒たちが自由に気持ちを話すことだった。
いやなことはいや、嬉しいことは嬉しい。
わたしが使った言葉が気に入らなかったり、意味がわからなかったり、言い過ぎたりした時には必ず、すかさず何か言ってくる。
わたしが褒めると、ありがとうと言って嬉しそうに笑う。
日本で23年間教えてきて、めったに味わえなかった会話が、ここでは例え7歳の子どもであっても存在する。
はじめは面食らってたじろいでいたけれど、そのうちに楽しむようになった。
そしてはじめて考えた。
日本の子どもたちもきっと、こちらの子どもたちのように、言いたいことがいっぱいあったんだろうな、と。
何年やろうが、学ぶことは後からどんどん出てくる。
やればやるほど、もっと学ばなければと思う。
17年目の去年の夏に、生徒たちの世代交代があった。
まだ6歳の、ピアノの鍵盤を押し込むことさえできないような小ちゃな手で、ドレミから始めた子たちが、気がつくとわたしよりうんと背が高くなり、声も低くなって、
「続けたい気持ちは山々なんだけど、もう物理的にどうしようもないので、レッスンをやめます」と、次々に離れていった。
10年以上も教えてたし、弾ける曲もうんと増えてきてたし、教える方としては「よし!これからがうんと楽しみだ!」と思っていたので、そういう子たちがごっそり抜けたのはショックだった。
でも、そういう覚悟はしていなければならなかったんだ。
『いつまでも 続くと思うな ピアノの生徒』なんだから。
というわけで、一気に10人近く減ったので、夏休みが終わってもずっとまだ夏休みが続いているような感じで、生活はじわじわと苦しくなった。
けれども一年の締めくくりとしての発表会はやりたい、どうしよう…と悩んでいた。
いつもの会場を借りると、割り勘の金額がかなり増える。
どうしよう、どうしよう、どうしよう…。
決められないまま11月になってしまった。
11月の中頃に、生徒たちの中で一番古株の兄弟が、発表会に出るのは負担が大き過ぎるので、欠席したいと言ってきた。
それで決心がついた。
よし、家でやろう。
生徒数は14人、兄弟姉妹がいるので家族は9家族。
両親だけが来ると仮定しても最低32人、もしも親族友人を誘って来たら40人を超えてしまうかもしれない。
うちの折りたたみ椅子は10脚。台所の椅子が5脚。夫の仕事椅子、ピアノの椅子、ソファにぎゅうぎゅう詰めで8人、あれやこれやを集めても25人分。
なので、もしできることなら、折りたたみ椅子持参で来てくださいとお願いした。
この部屋だけは準備完了。発表会の始まりを待つばかり。
とにかく家具を壁際に移動して、少しでも椅子が置ける場所を作らねば。
もしかしたらこの階段にも座ってもらわなければならなくなるかもしれない。
連弾プログラムの最後は、3手連弾のジングルベル♪
そして最後の最後に、最近友だちになったリリーが、クリスマスに合った曲を2曲歌ってくれた。
ソプラノ歌手の彼女とは2ヶ月前に知り合って意気投合し、一度だけ手持ちの曲で練習をした。
歌を勉強していたけれど、アレルギーを拗らせて断念し、美容師になった彼女は、でもやっぱり音楽を捨てることはできないと、7年ぶりに歌い始めた。
発表会の場所はもちろん、プログラムもギリギリまで決められなかったから、ゲストのことも後々になってしまっていた。
なので、彼女に頼んだのは発表会の前々日。
そして前日に承諾を得て、当日の午後に初合わせ、そして本番という無茶苦茶っぷり。
でも、ステキな贈り物になったと思う。
ありがとうリリー!
そんなこんなのバタバタ発表会だったが、とりあえずリビングに全員座っていただくことができた。
それはもうギュウギュウで、さぞかし窮屈だっただろうと思うけど、みんなニコニコと、実に居心地の良い家だと言ってくれた。
ぶうぶう文句を言いながら暗譜に挑戦した生徒たちは、全員しっかりと弾き終えることができて、いつにも増して満足そうだった。
音楽の表現が、いつもより豊かだった。
始めたばかりの3人はともかく、後の11人(+2人)中3人の高校生たちにとっては、もしかしたらこの日が最後の発表会になるかもしれない。
一番長いお付き合いをしているのはW家。
かれこれ12年、まずは6歳だった長男が、しばらくして次男が、そして三男が、さらにお腹の中にいた長女が、生徒として通ってくれている(いた)。
長男が辞め、そして去年、次男が辞めた。
この兄弟妹4人は全員、水泳の選手でもあり、特に次男と三男の二人はジュニアオリンピックの強化選手に選ばれている。
「いつかオリンピック選手になってインタビューを受けたら、実は僕はピアノも得意なんです。先生はまうみですって言ってね」
などとド厚かましいことを言うわたしを、照れくさそうに笑いながら見下ろす(彼はめちゃくちゃ背が高い)彼は、今日のことをずっと覚えていてくれるだろうか。
たくさんのきれいなお花、美味しそうなデザートやスナックをありがとうございました。
また来年を目指して頑張ります。
でもやっぱり会場は別のところがいい。
家具の移動や床拭きで、すっかり腰を痛めてしまったし、来てくださった人たち全員に、ピアノを弾く姿を見てもらえなかったのはとても残念だったから。
それにはもう少し生徒を増やさねば。
作曲と指揮とピアノ教師。
どれもやりたくてやっていることばかり。
しみじみありがたいと思う。