昨年(2011年11月)に「文化功労者」に選出 された陶芸家に、京都の今井政之氏がいます。
主に、象嵌技法を得意とし、中でも「面象嵌」に独自の境地を切り開いています。
この技法は40年余り前から取り組み、魚や鳥、花など多くの生き物の姿を描き出しています。
1) 今井政之(いまい まさゆき): 1930年 ~
① 経歴
) 大阪市東区で、印刷業を営む今井隆雄の長男として生まれます。
戦時中、父の故郷の広島県竹原市竹原町に疎開し、幼少期を過ごします。
) 1946年 県立竹原工業学校金属科を卒業後、父の勧めもあって、備前市伊部に赴き陶芸家を
目指します。西川清翠氏などの指導を受け、本格的に修行を行う様になります。
) 1949年 岡山県工業試験場窯業分室に勤務し、備中山手焼の研究や土器の発掘、備前、備中の
土や陶石の採集や研究を行っています。
) 1953年 楠部彌弌が主宰する青年陶芸会の集まりである、「京都青陶会」の結成に関わり、
同時に楠部氏に師事する様になります。
) 1954年 第九回日展で「飛翔扁壷」が初入選を果たします。
1959年 第二回新日展で「泥彩盤」が特選し、北斗賞を受賞します。以後も特選を得て、
日展会員、日展審査員、日展評議委員、日展常務理事、日展顧問を歴任します。
) 1998年に「象嵌彩赫(しゃく)窯 雙蟹 壺」で日本芸術院賞を受章し、その後日本芸術院会員
に推薦されます。2011年11月には「文化功労者」に選ばれます。
・ 選出理由: 「器体に異質の素材を嵌め込む、象眼技法による作品を、土作りや 乾燥、
焼成方法などの研究を重ね、技術的な困難を解決した事」と成っています。
) イスラエルでの国際陶芸シンポジウム(1966)に日本代表として参加や、仏の国際ビエンナーレ
名誉大賞を受賞(1974年)、サンフランシスコでの「東洋の秘宝展」(1979)に招待出品など
海外でも活躍しています。
② 今井政之の陶芸
) 作品は、備前風の茶色の焼き締めの器肌に、浮き文様や象嵌模様が施されています。
使用している土は、へたり易い備前の土に、信楽の土を調合した物だそうです。
) 泥彩(でいさい)・苔泥彩(たいでいさい)
泥彩とは、轆轤挽き後の半乾燥時に、彫りや線刻を施し「レリーフ」(浮彫り)状に仕上げる
方法です。内側から叩き出し、表面を浮き上がらせて、そこに動物などの文様を彫る技法を
採っています。
「泥彩盤」(1959」(竹原市民会館)、「泥彩甲蟹壷」(1963)、「泥彩蝦蛄(しゃこ)壷」
(1964)(京都国立近代美術館)などの作品があります。
苔泥彩とは、渋く沈んだやや緑味を帯びた泥で、「ざらざら感」がありながら、苔(こけ)の様な
しっとり感を出しています。
) 象嵌彩(ぞうがんさい)
象嵌の技法は、かなり昔より行われている技法で、陰刻した凹部に素地と異なる色の土を
埋め込む方法です。今までは象嵌する部分が、細かな模様が多く、今井氏の象嵌法は
象嵌する面積が広く、亀裂や剥離の起こり易い問題を乗り越えています。
a) 面象嵌:生地の表面に十種類の発色の違う土を埋め込み、魚や鳥、花など生き物の姿を描く
方法です。白、ベージュ、黄、赤、茶褐色、青、緑、黒色などを基本にし、その中間色など
色の数も多く、コントラストを重視しています。極力土の色が出る様に、無釉薬か透明系の
釉を使っています。初期の作品では素地が一様な色をなしていますが、やがて素地自体も
明るいオレンジ色と褐色や黒色の数種類の色と成っています。
b) 文様に取り上げられているのは、幼少時代に過ごした瀬戸内の広島県竹原の海や川の生物
海老、甲蟹、蝦蛄(しゃこ)、鰈(かれい)、鯰(なまず)、魚文などですが、やがて
蟷螂(かまきり)や蝶などの昆虫や、石榴(ざくろ)、茄子(なす)、椿、竹などの植物が
使われ、生命観溢れる文様と成っています。
c) 象嵌での問題点
土の収縮の違いで、埋めた土が「めくれる]等や亀裂の失敗が、起こり易いです。
この現象は、土を埋め込んだ直後から起こり、乾燥、素焼き、本焼き(窯焚)と幾度も
危険が待ち構えています。
③ 京都市内での登窯の禁止
) 1965年(昭和40)ごろ、登り窯が「大気を汚す」と煙害の問題になり、何百年と続いた
登窯の使用が禁止になります。 市が奨励した山科区清水焼団地町の焼き物団地も同様です。
) 象嵌は登窯でないと本物ではないと確信していた彼は、同じ思いの仲間8人が結集し
1971年(昭和46)に岐阜県兼山町(現可児市)に登窯の「兼山(けんざん)窯」を築きます。
しかし、共同窯には限界があり、専用窯を竹原の地に築く事を決めます。
瀬戸内海の風光明媚な地を譲り受け、1978年 竹原豊山窯(登窯・穴窯)を築きます。
1988年には竹原の豊山窯に「今井政之展示館」を竣工させ、作品を展示します。
尚、 今井政之 陶芸の館 :広島県竹原市本町の、町並み保存地区のある光本邸内の土蔵を
改装して作られた館内に、今井氏が幼い頃から親しんだ瀬戸内海の魚、草花や生き物など
自然をモチーフにした作品、30点が展示されています。
次回(谷口良三)に続きます。
主に、象嵌技法を得意とし、中でも「面象嵌」に独自の境地を切り開いています。
この技法は40年余り前から取り組み、魚や鳥、花など多くの生き物の姿を描き出しています。
1) 今井政之(いまい まさゆき): 1930年 ~
① 経歴
) 大阪市東区で、印刷業を営む今井隆雄の長男として生まれます。
戦時中、父の故郷の広島県竹原市竹原町に疎開し、幼少期を過ごします。
) 1946年 県立竹原工業学校金属科を卒業後、父の勧めもあって、備前市伊部に赴き陶芸家を
目指します。西川清翠氏などの指導を受け、本格的に修行を行う様になります。
) 1949年 岡山県工業試験場窯業分室に勤務し、備中山手焼の研究や土器の発掘、備前、備中の
土や陶石の採集や研究を行っています。
) 1953年 楠部彌弌が主宰する青年陶芸会の集まりである、「京都青陶会」の結成に関わり、
同時に楠部氏に師事する様になります。
) 1954年 第九回日展で「飛翔扁壷」が初入選を果たします。
1959年 第二回新日展で「泥彩盤」が特選し、北斗賞を受賞します。以後も特選を得て、
日展会員、日展審査員、日展評議委員、日展常務理事、日展顧問を歴任します。
) 1998年に「象嵌彩赫(しゃく)窯 雙蟹 壺」で日本芸術院賞を受章し、その後日本芸術院会員
に推薦されます。2011年11月には「文化功労者」に選ばれます。
・ 選出理由: 「器体に異質の素材を嵌め込む、象眼技法による作品を、土作りや 乾燥、
焼成方法などの研究を重ね、技術的な困難を解決した事」と成っています。
) イスラエルでの国際陶芸シンポジウム(1966)に日本代表として参加や、仏の国際ビエンナーレ
名誉大賞を受賞(1974年)、サンフランシスコでの「東洋の秘宝展」(1979)に招待出品など
海外でも活躍しています。
② 今井政之の陶芸
) 作品は、備前風の茶色の焼き締めの器肌に、浮き文様や象嵌模様が施されています。
使用している土は、へたり易い備前の土に、信楽の土を調合した物だそうです。
) 泥彩(でいさい)・苔泥彩(たいでいさい)
泥彩とは、轆轤挽き後の半乾燥時に、彫りや線刻を施し「レリーフ」(浮彫り)状に仕上げる
方法です。内側から叩き出し、表面を浮き上がらせて、そこに動物などの文様を彫る技法を
採っています。
「泥彩盤」(1959」(竹原市民会館)、「泥彩甲蟹壷」(1963)、「泥彩蝦蛄(しゃこ)壷」
(1964)(京都国立近代美術館)などの作品があります。
苔泥彩とは、渋く沈んだやや緑味を帯びた泥で、「ざらざら感」がありながら、苔(こけ)の様な
しっとり感を出しています。
) 象嵌彩(ぞうがんさい)
象嵌の技法は、かなり昔より行われている技法で、陰刻した凹部に素地と異なる色の土を
埋め込む方法です。今までは象嵌する部分が、細かな模様が多く、今井氏の象嵌法は
象嵌する面積が広く、亀裂や剥離の起こり易い問題を乗り越えています。
a) 面象嵌:生地の表面に十種類の発色の違う土を埋め込み、魚や鳥、花など生き物の姿を描く
方法です。白、ベージュ、黄、赤、茶褐色、青、緑、黒色などを基本にし、その中間色など
色の数も多く、コントラストを重視しています。極力土の色が出る様に、無釉薬か透明系の
釉を使っています。初期の作品では素地が一様な色をなしていますが、やがて素地自体も
明るいオレンジ色と褐色や黒色の数種類の色と成っています。
b) 文様に取り上げられているのは、幼少時代に過ごした瀬戸内の広島県竹原の海や川の生物
海老、甲蟹、蝦蛄(しゃこ)、鰈(かれい)、鯰(なまず)、魚文などですが、やがて
蟷螂(かまきり)や蝶などの昆虫や、石榴(ざくろ)、茄子(なす)、椿、竹などの植物が
使われ、生命観溢れる文様と成っています。
c) 象嵌での問題点
土の収縮の違いで、埋めた土が「めくれる]等や亀裂の失敗が、起こり易いです。
この現象は、土を埋め込んだ直後から起こり、乾燥、素焼き、本焼き(窯焚)と幾度も
危険が待ち構えています。
③ 京都市内での登窯の禁止
) 1965年(昭和40)ごろ、登り窯が「大気を汚す」と煙害の問題になり、何百年と続いた
登窯の使用が禁止になります。 市が奨励した山科区清水焼団地町の焼き物団地も同様です。
) 象嵌は登窯でないと本物ではないと確信していた彼は、同じ思いの仲間8人が結集し
1971年(昭和46)に岐阜県兼山町(現可児市)に登窯の「兼山(けんざん)窯」を築きます。
しかし、共同窯には限界があり、専用窯を竹原の地に築く事を決めます。
瀬戸内海の風光明媚な地を譲り受け、1978年 竹原豊山窯(登窯・穴窯)を築きます。
1988年には竹原の豊山窯に「今井政之展示館」を竣工させ、作品を展示します。
尚、 今井政之 陶芸の館 :広島県竹原市本町の、町並み保存地区のある光本邸内の土蔵を
改装して作られた館内に、今井氏が幼い頃から親しんだ瀬戸内海の魚、草花や生き物など
自然をモチーフにした作品、30点が展示されています。
次回(谷口良三)に続きます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます