わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

現代陶芸47(小川欣二)

2012-02-15 21:25:37 | 現代陶芸と工芸家達
「蜻蛉(トンボ)」や「魚」等をモチーフとして作品に描き込んでいる陶芸家に、京都の小川欣二がいます。

京都陶芸家クラブを主宰した、清水六兵衛に師事し、「日展」や「日本現代工芸展」「日本新工芸展」

など多くの展示会で活躍しています。

1) 小川欣二(おがわ きんじ) : 1926年(昭和元年)~

 ① 経歴

  ) 京都市東山区五条坂で、名門の陶家である小川文斉の次男として生まれます。

     当時の慣わしで、父の後継者は長男が継ぐのが、普通でした。

     その為、欣二氏は医者に成る事が希望で有ったようです。

  ) 1944年 兄「斉」と共に、甲種飛行予科練習生として入隊します。

  ) 終戦と共に、欣二氏は復員しますが、兄は特攻隊として戦死してしまいます。

     その為、次男である欣二氏は医者に成る望みを捨て、家業を継ぐべく、陶芸に専念する事に

     なります。

  ) 1946年 京都市工業技術員養成第一期生として、工業研究所窯業科に入学します。

     卒業後、同研究所に勤務し、陶磁器全般の研究を行います。

  ) 1948年 六代清水六兵衛に師事します。翌年京都陶芸家クラブの創設会員になります。

  ) 1950年 「日展」初入選し、1952年には上記研究所を辞め、作家活動に専念する様になります。

  ) 1954年 全国陶芸展で銀杯を受賞後、現代日本陶芸展で銀杯、一席と連続受賞します。

     その後も、光風会展工芸賞、日展特選など次々に重賞を受賞します。

  ) 多くの美重展の審査員にも成っています。

     京都府工芸美術展審査員、光風会審査員、日本現代工芸美術展審査員、日展審査員などです。

  ) 仏、西独など海外の美術展への出品や、中国、朝鮮美術視察なども行っています。

 ② 小川欣二の陶芸

  ) 成形方法は、轆轤挽きによるものと、タタラ(板)造りの作品が混在しています。

     タタラ造りの作品は、四角錐や台形、三角柱などの箱形が多く、花瓶やオブジェ的な要素の

     多い作品と成っています。

  ) 絵付けを主体とした作品が多く、呉須を使って「蜻蛉」等を描き、伊羅保や織部釉を

     掛けています。呉須は本来のコバルト色ではなく、黒に近い色と成っています。

     (尚、呉須は酸化焼成すると黒く発色します。)

     織部釉や伊羅保釉を明るく仕上げる為と、絵の文様のコントラストを付ける為、作品には、

     白化粧土が施されています。作品例:「のぼる」(1979年)、「想い出海に遊ぶ」(1981年)

  ) 彼の使用して釉の種類は極く少数です。灰釉、鉄釉、伊羅保釉、織部釉程度です。

     土本来の色や、土味を生かす為と言われています。

  ) 掻落しの技法を取り入れて、文様を付けています。

     生素地に白化粧土を施し、竹の箸で一個一個小さな窪みを付けて斑点を造ります。

     その後、カンナを使って表面を削り取り、表面に細かい凹凸を付けて文様にします。

     この様な作品に、「壁蜻(へきせい)」(1979)、「仲間たち」(1981)等があります。

  ) 蜻蛉の絵が多く、次いで魚の絵も多いです。蜻蛉は欣二自らを表現し、魚は沖縄で戦死した

     兄が今でも、海で泳ぎ遊んでいる様子を表現したものと言われています。

     蜻蛉は、群れを成して上に上にと高みに登っている様に描かれています。

     又、「とんぼ塚」(1980年)の作品は、箱型の器の上に、一匹づつ立体的に作られた「とんぼ」が

     重なり合って群がって飛んでいる様子を表現しています。

   尚、窯はガス窯を使用しているとの事です。

次回(今井政之 )に続きます。
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