引き続き、中国の著名な、青磁について、話します。
④-1 汝窯(じょよう)の青磁
北宋時代(947~1125年)の末に、宮中で使用される日用品として、焼成された青磁での中でも、
汝窯の青磁は古来から、文献に登場する、気品のある、名器と言われています。
明時代の五大名窯と呼ばれ、その筆頭に上げられる、汝窯の伝世品は、北京、台北の両故宮博物館に
70点余り存在しているのみです。
) 特徴は、淡い青色の釉で、全面に貫入が入っています。丁寧に成形され、底部も含めて、全てに
釉が掛けられています。その為、底裏には、小さな目痕が着いています。
) 窯址の発見
1986年、この種の青磁を焼いたと、思われる窯が、河南省の清涼寺で、発見されます。
この窯は、「官窯」ではなく、宮廷に献上させる為の窯「貢窯」でもなく、宮廷が民間の窯に、
見本を示して、発注した方式の様です。
2000年に、河南省汝州市で、発掘された窯から、清涼寺の青磁に似通った、作品群が出土します。
但し、清涼寺の作品よりも、胎土は白く、薄手で精巧に作られていました。
) 「北宋官窯」の登場により、汝窯も大きな影響を受け、衰退して行きます。
即ち、政和年間(1111~1118年)以降、北宋宮廷自ら「窯」を築き、青磁の制作に取り掛かります。
) 耀州(ようしゅう)窯
陜西省銅川市で発掘された窯からは、唐時代以降、白磁、黒釉、三彩などが、発掘されていますが、
五代時代に成ると、淡い青磁が多数生産される事が、解かります。
尚、我が国で、一時この窯が、「汝窯」と思われていた時代があった様です。
④ー2 柴窯(さいよう)
文献上では、存在していても、実在が証明されていない、青磁の焼き物があります。
それが、柴窯です。文献上では、高い評価を受け、各地で探索が行われていますが、今だに作品は
勿論、窯址も見つける事が出来ず、幻の青磁と言われています。
) 五代十国の時代の、951年に、今の河南省地域に、後周が建国されます。
二代目国王の世宗が、「雨過天青(うかてんせい)、雲破れるところの、青色の器を作れ」と命じ、
後周の首都で、国王の為に、焼成された青磁とされています。
) 清時代編纂された「陶説」や「景徳鎮陶録」などに、「後周柴窯」として、記述されています。
「釉の青き事、天の如し。薄き事紙の如し。響きは磬(けい:*印)の如し。」とあり、
「釉は潤いがあり、釉面には貫入が走り、高台畳付は、釉が掛からず、粗い黄土が表れている」と
記されています。(理想の青磁像が、記載されている物とも、読み取れます。)
* 磬(けい):中国古代の打楽器。枠の中に「へ」の字形の石板を吊り下げ、角(つの)製の槌で
打ち鳴らすもの。石板が1個だけの特磬と、十数個の編磬とがある。
宋代に朝鮮に伝わり、雅楽に使用されます。
) 世宗の時代はほぼ、5年間しかなく、例え、当時実在していても、作られた数も限られていたと、
思われています。
又、空想上の作品であるとか、「北宋官窯」の作品の一部が、「誤認されている物だ。」等
色々な説が存在しています。
それ故今後、窯址や作品が見つかるかどうかは、不明です。
⑤ 米色青磁
以下次回に続きます。
④-1 汝窯(じょよう)の青磁
北宋時代(947~1125年)の末に、宮中で使用される日用品として、焼成された青磁での中でも、
汝窯の青磁は古来から、文献に登場する、気品のある、名器と言われています。
明時代の五大名窯と呼ばれ、その筆頭に上げられる、汝窯の伝世品は、北京、台北の両故宮博物館に
70点余り存在しているのみです。
) 特徴は、淡い青色の釉で、全面に貫入が入っています。丁寧に成形され、底部も含めて、全てに
釉が掛けられています。その為、底裏には、小さな目痕が着いています。
) 窯址の発見
1986年、この種の青磁を焼いたと、思われる窯が、河南省の清涼寺で、発見されます。
この窯は、「官窯」ではなく、宮廷に献上させる為の窯「貢窯」でもなく、宮廷が民間の窯に、
見本を示して、発注した方式の様です。
2000年に、河南省汝州市で、発掘された窯から、清涼寺の青磁に似通った、作品群が出土します。
但し、清涼寺の作品よりも、胎土は白く、薄手で精巧に作られていました。
) 「北宋官窯」の登場により、汝窯も大きな影響を受け、衰退して行きます。
即ち、政和年間(1111~1118年)以降、北宋宮廷自ら「窯」を築き、青磁の制作に取り掛かります。
) 耀州(ようしゅう)窯
陜西省銅川市で発掘された窯からは、唐時代以降、白磁、黒釉、三彩などが、発掘されていますが、
五代時代に成ると、淡い青磁が多数生産される事が、解かります。
尚、我が国で、一時この窯が、「汝窯」と思われていた時代があった様です。
④ー2 柴窯(さいよう)
文献上では、存在していても、実在が証明されていない、青磁の焼き物があります。
それが、柴窯です。文献上では、高い評価を受け、各地で探索が行われていますが、今だに作品は
勿論、窯址も見つける事が出来ず、幻の青磁と言われています。
) 五代十国の時代の、951年に、今の河南省地域に、後周が建国されます。
二代目国王の世宗が、「雨過天青(うかてんせい)、雲破れるところの、青色の器を作れ」と命じ、
後周の首都で、国王の為に、焼成された青磁とされています。
) 清時代編纂された「陶説」や「景徳鎮陶録」などに、「後周柴窯」として、記述されています。
「釉の青き事、天の如し。薄き事紙の如し。響きは磬(けい:*印)の如し。」とあり、
「釉は潤いがあり、釉面には貫入が走り、高台畳付は、釉が掛からず、粗い黄土が表れている」と
記されています。(理想の青磁像が、記載されている物とも、読み取れます。)
* 磬(けい):中国古代の打楽器。枠の中に「へ」の字形の石板を吊り下げ、角(つの)製の槌で
打ち鳴らすもの。石板が1個だけの特磬と、十数個の編磬とがある。
宋代に朝鮮に伝わり、雅楽に使用されます。
) 世宗の時代はほぼ、5年間しかなく、例え、当時実在していても、作られた数も限られていたと、
思われています。
又、空想上の作品であるとか、「北宋官窯」の作品の一部が、「誤認されている物だ。」等
色々な説が存在しています。
それ故今後、窯址や作品が見つかるかどうかは、不明です。
⑤ 米色青磁
以下次回に続きます。
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