愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

松平記(65) 松平記

2024年06月01日 13時50分51秒 | 松平記

松平記p65

翻刻
(家康の味方の侍は、‥‥青)山善四郎、久米新四郎、八国孫九郎、酒井下総守、大竹源太郎、
小栗助兵衛、同弥右衛門、安藤九助、池波之助、同水之助、吉原
助兵衛、遠山平大夫、鳥居鶴助、同才市、筒井與右衛門、筧図書
同牛之助、土屋勘助、土屋甚七、林藤五郎、内藤甚五右衛門、同
四郎左衛門、松平山城守、杉浦藤次郎、山田彦八、是皆岡崎に
馳あつまる。
一 御手先にハ大久保一党上和田の大久保五郎右衛門、屋敷
を城にかまへ、針崎の敵に取向、大久保五郎右衛門、同甚四
郎、同新八郎、同弥三郎、同新七郎、同弥八、同甚右衛門、同三助
同喜六、同与一、同新蔵、同与次郎、同九八郎、筒井甚六、杉浦八(郎五)

現代語
家康の味方の侍は、‥‥青山善四郎、久米新四郎、八国孫九郎、酒井下総守、大竹源太郎、小栗助兵衛、同弥右衛門、安藤九助、池波之助、同水之助、吉原助兵衛、遠山平大夫、鳥居鶴助、同才市、筒井與右衛門、筧図書同牛之助、土屋勘助、土屋甚七、林藤五郎、内藤甚五右衛門、同四郎左衛門、松平山城守、杉浦藤次郎、山田彦八、これらは皆、岡崎に駆け付けた。
さらに、家康の手先として大久保一党が屋敷を城に変えて、上和田に構えていた。そして、針崎の敵に向かっていた。武将は、大久保五郎右衛門、同甚四郎、同新八郎、同弥三郎、同新七郎、同弥八、同甚右衛門、同三助同喜六、同与一、同新蔵、同与次郎、同九八郎、筒井甚六、杉浦八(郎五)

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家康の味方の武将の名が続きます。さらに家康の手先として上和田に大久保一党がいる事が記されています。
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松平記(64) 松平記

2024年05月28日 09時56分12秒 | 松平記

松平記p64

翻刻
八、同豊後、植村出羽、同庄右衛門、同十内、鵜殿十郎三郎、松平
弥右衛門、同孫九郎、同次郎右衛門、松平金助、鳥居又五郎、同
伊賀、加藤九郎次郎、加藤源四郎、米津藤三、同小大夫、小栗又
六、同仁右衛門、上野三郎四郎、安主長蔵、押雲 此間紙切不見 中根喜
蔵同九蔵、同源六、成瀬藤蔵、榊原摂津守、同隼之助、同小兵衛、
山口清大夫、伊奈市右衛門、松井左近、香村半七、中根源太、同
甚七、同新右衛門、同弥次郎、同喜三郎、天野三郎左衛門、同三
郎兵衛、同甚四郎、同助兵衛、同清兵衛、同伝右衛門、同又次郎、
山田平十、栄田七九郎、渥美太郎兵衛、加藤播磨守、平岩七之
助、青山喜大夫、氷見新右衛門、青山牛之助、近藤馬左衛門、青

現代語
(家康の味方の侍は、‥‥本多肥後守、同平)八、同豊後、植村出羽、同庄右衛門、同十内、鵜殿十郎三郎、松平弥右衛門、同孫九郎、同次郎右衛門、松平金助、鳥居又五郎、同伊賀、加藤九郎次郎、加藤源四郎、米津藤三、同小大夫、小栗又六、同仁右衛門、上野三郎四郎、安主長蔵、押雲 此間紙切不見 中根喜蔵同九蔵、同源六、成瀬藤蔵、榊原摂津守、同隼之助、同小兵衛、山口清大夫、伊奈市右衛門、松井左近、香村半七、中根源太、同甚七、同新右衛門、同弥次郎、同喜三郎、天野三郎左衛門、同三郎兵衛、同甚四郎、同助兵衛、同清兵衛、同伝右衛門、同又次郎、山田平十、栄田七九郎、渥美太郎兵衛、加藤播磨守、平岩七之助、青山喜大夫、氷見新右衛門、青山牛之助、近藤馬左衛門、青(山善四郎‥‥)

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誰が家康の味方をしたか、誰が裏切ったかの記録は、後の世にまで伝えられるので、しっかり名前が残してあるようです。
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アイリス愛知から名古屋城入口まで 名古屋市中区

2024年05月26日 06時00分59秒 | 名古屋市中区
全教女性部というところから散策のお供の依頼がありました。「全教」とは、正式名称「全日本教職員組合」です。教員の組合です。このたび愛知で学習交流のための集会を行うそうです。その一環で、せっかく名古屋に来たなら名古屋城を見てください、という趣旨です。ただし、城内はボランティアさんがいらっしゃるので、そちらの方にお願いし、わたしは宿泊地である「アイリス愛知」からお城まで短い間です。
さっそく、確認の為にそのコースを下調べしましたが、お堀あり、土塁あり、護国神社ありで、実はけっこう見ごたえがあるコースだと分かりました。

名古屋城の堀にかかる土橋、本町橋。その下部はアーチ状のトンネルになっていました。実はここを電車が通っていたのです。


コース途中の護国神社、ここには名古屋城が軍隊の基地であった事や先の戦争の事がいろいろな碑を通して知ることができます。

資料作りが大変です。
コメント (2)
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松平記(63) 松平記

2024年05月20日 16時21分20秒 | 松平記

松平記p63

翻刻
半蔵、同半十郎、同養右衛門、久世三四郎、浅井善三郎、同小吉、
同五郎作、波切孫七、近藤新次郎、黒野孫左衛門、同金七、本多
喜蔵、加藤善蔵、浅岡新十郎、安藤次郎右衛門、佐野小大夫、加
藤源太、浅岡新八、犬塚七蔵、加藤伝十郎、同源蔵、同市三郎、成
瀬新兵衛、坂部又六、同庄之助、同相之助、坂部酒之助、同又兵
衛、八十余人籠、上和田衆と日夜合戦す。
一 野寺にも一揆共籠りしかども、終に切て不出。此押へに松
平勘四郎取手をいたし守りけり。
一 家康御方に酒井左衛門尉、酒井雅楽助、石川伯耆守、石川日
向守、内藤喜一郎、同三左衛門、同平左衛門、本多肥後守、同平

現代語
(針崎勝鬘寺に籠る者は、さらに渡辺)半蔵、同半十郎、 同養右衛門、久世三四郎、浅井善三郎、同小吉、同五郎作、波切孫七、近藤新次郎、黒野孫左衛門、同金七、本多喜蔵、加藤善蔵、浅岡新十郎、安藤次郎右衛門、佐野小大夫、加藤源太、浅岡新八、犬塚七蔵、加藤伝十郎、同源蔵、同市三郎、成瀬新兵衛、坂部又六、同庄之助、同相之助、坂部酒之助、同又兵衛等、八十余人籠り、上和田衆と日夜合戦している。
一 野寺(本證寺)にも一揆たちが籠っていたけれど、打って出ることはなかった。野寺本證寺の押さえとして松平勘四郎が砦を作り、守っている。
一 家康の味方としては、酒井左衛門尉、酒井雅楽助、石川伯耆守、石川日向守、内藤喜一郎、同三左衛門、同平左衛門、本多肥後守、(続く)

コメント
読者の中にこれらの武将について知っている方も多いと思われますが、私は渡辺半蔵ぐらいしか分かりません。槍の半蔵として有名で、父である渡辺高綱とともに勝鬘寺に籠りましたが、父高綱はこの一揆の中で負傷し亡くなってしまいます。
家康の味方の武将は有名な武将ばかりです。
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松平記(62) 松平記

2024年05月18日 08時49分21秒 | 松平記

松平記p62

翻刻
江原又助、内籐弥十、山本才蔵、松平半助、小野弥平、村井源四
郎、山本小次郎、活計五助、黒柳次郎兵衛、成瀬新蔵、岩城半七、
三浦平三郎、浅美主水、阿佐美金七郎、加藤五郎右衛門、平井
甚五郎、黒柳彦助、是等を初七十余騎籠り、家康へ敵となし
奉る。
一 上野の城にハ酒井将監大将にて安達馬助、鳥居四郎左
衛門、高木九助、安達弥市郎、荒山小兵衛、鳥居重次郎、本多弥
市、榊原七右衛門、大原右近衛門、近藤伝次郎、酒井作右衛門、
馳集て岡崎へ弓を引。針崎、正満寺に楯籠る人々、蜂屋半之
亟、筧助大夫、渡辺玄蕃、同八右衛門、同八郎五郎、同平三郎、同

現代文
(土呂の寺内に籠っている侍は、さらに)江原又助、内籐弥十、山本才蔵、松平半助、小野弥平、村井源四郎、山本小次郎、活計五助、黒柳次郎兵衛、成瀬新蔵、岩城半七、三浦平三郎、浅美主水、阿佐美金七郎、加藤五郎右衛門、平井甚五郎、黒柳彦助、これらをはじめ70騎あまり。家康に敵対していた。
一 上野城(現在豊田市上郷町)には、酒井将監大将にて安達馬助、鳥居四郎左衛門、高木九助、安達弥市郎、荒山小兵衛、鳥居重次郎、本多弥市、榊原七右衛門、大原右近衛門、近藤伝次郎、酒井作右衛門が集まり、岡崎に攻撃してきた。
また、針崎勝鬘寺に立て籠もっている侍は、蜂屋半之亟、筧助大夫、渡辺玄蕃、同八右衛門、同八郎五郎、同平三郎、

コメント
一向一揆に加勢し、家康に敵対した者たちは、主に、上野城(酒井将監が中心)、土呂本宗寺(現在本宗寺は岡崎市美合町にありますが、一向一揆当時は、岡崎市福岡町現在の土呂八幡宮の辺りにありました)、針崎勝鬘寺、そして佐々木上宮寺に立て籠もって家康と抗争していました。一人一人の武将についてコメントすることは難しいですが、この中には、家康の家臣も多く含まれていました。当時の西三河は、一向宗勢力、今川氏の勢力、家康の勢力などが拮抗している情勢で、侍たちは、自身の事情を考慮しながら、家康につくべきか、反家康につくべきか苦悩したと思われます。
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