復元 中門
先日、豊川市の八南小学校に出張に行きました。その近くに国分尼寺の史跡があるということで、その日に見に行きましたが、出張が終わってからのことだったので、薄暗くなっていて、あまりよく見ることができませんでした。11月18日に、あらためてここを訪れました。
先に「三河天平の里資料館」によって、見学をしてから、外を見ようと思っていましたら、ボランティアの方が見えて、「時間がおありでしたら、案内させてください。」と、うれしい声かけがありました。
パンフレットより
南大門址
図の一番下(南)は、南大門址です。ただし、後世に土地を削られたようで、礎石は残っていなかったようです。敷地は分かるので、その後が囲ってありました。
中門
最初の画像のように復元されていました。礎石の間隔などから、規模を想像し、主に法隆寺の東門をお手本にして復元したと言っていました。瓦の一部が出土したそうです。
金堂
金堂には礎石跡が残っていましたが、礎石の一部は、近くのお寺が庭石として使っていたそうです。また、実際確認された礎石は、地上には出さず、再び地下に埋めて保存するそうです。4つの礎石が埋められていると言っていました。
講堂、僧坊
発掘したものと、これまで発掘されている他府県の国分寺の様子などから推定したそうです。
資料館の中
資料館の中には出土した瓦などがありました。
羊型硯は、その作風が外国のものでシルクロードを経て日本に伝わった作風だそうです。また、鬼瓦をみると、とても優しい感じで、鬼瓦のイメージがちょっと変わりました。
復元の図
パンフレットに書かれていた復元の想像図です。中の金堂は規模から奈良の唐招提寺をモデルにしたそうです。