愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

無量寿寺 西尾市

2014年01月02日 16時22分07秒 | 西尾市
みなさん 明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします



無量寿寺山門

西尾平坂の無量寿寺
 さて、今年一番の記事は、無量寿寺です。
 同じ名前のお寺をずいぶん前に紹介した事があります。それは、知立市の無量寿寺です。かきつばたで有名なお寺です。

 今回のお寺は、三河一向一揆ゆかりのお寺です。西尾市の平坂というところにあります。三河三ヶ寺は佐々木上宮寺(岡崎)、針崎勝鬘寺(岡崎)、野寺本證寺(安城)ですが、これにあと4つ加えて、三河七ヶ寺ということがあるそうです。(浄妙寺、願照寺、無量寿寺、慈光寺)
 無量寿寺は、七ヶ寺の中に入っています。

寺内町があった無量寿寺
 無量寿寺に注目するのは、ここに寺内町があったらしいからです。寺内町とは、一向一揆研究者の新行紀一氏によれば、

 「地域領主から、「不入」を認められ、警察、裁判権が行使されない検断権不入のみならず、経済的不入、すなわち寺内に対する諸公事免除、座公事免除、徳政令適用除外、質(債権)強制取立て禁止などの、全体として「大坂並」特権といわれる諸特権を保持してた」(岡崎市史)

エリアのことです。そして、
 「現在三河国内で本願寺派の寺内が検出できるのは本宗寺、上宮寺、勝鬘寺、本證寺、無量寿寺である。」
と述べています。


寺内町の大まかな範囲

 無量寿寺を中心として、南北に2.5町、東西に1.5町ぐらいのエリアだったらしいです。(1町は大体100メートルぐらいです)なので、南北250メートル、東西150メートルぐらいでしょうか。
 地図で見える水色の部分が環濠または自然の川(を利用した濠)です。歴史地理学者の金井年氏によれば、地図の左側の自然の川と平行して南北に走っている道路の脇に水路があり、それも元は外堀だったのではないかと指摘しています。(金井年「三河の寺内町プラン」)
 確かに無量寿寺の周りの集落は、道が細く昔からのものであることが感じられました。

鼓楼発見
 境内の中には、鼓楼がありました。これを見ると、本證寺のように三河一向一揆を戦ったお寺なんだなあと実感します。


 鼓楼の前に車が止まっていますが、訪れたのが12月30日で、お寺の裏の墓地にお花をお供えして見える方が何人か見えたので、その方のものだと思います。お寺もお正月の準備をしていました。
コメント (5)
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