8月7日、木曽三川公園に行きました。今回は、公園の近くにある治水神社を訪れるのが主な目的です。
平田靱負を祭る治水神社
治水神社は、江戸時代に木曽三川の工事をした薩摩義士、特に平田靱負(ひらたゆきえ)を祭ってある神社です。
治水神社本殿
宝暦治水の歴史
今では木曽三川地域は洪水の害もすくなっていますが、昔は小さな河が何本もはりめぐらされ、すぐに洪水が出る状況が長く続いていたそうです。人々は、居住する島の周りに堤防を廻らし「輪中」を作り洪水に備えました。
工事の犠牲者80余名
宝暦3年(1753年)、幕府から薩摩藩に対して治水工事の命令が出ました。これは地元住民から工事の願いが出ていたこともありますが、幕府が薩摩藩の力をそぐために命令したものといわれています。
宝暦4年(1754年)、薩摩藩平田靱負はじめ947名の武士たちが当地にやってきました。
しかし、幕府側の嫌がらせや疫病の流行等で、自殺者52名、病死者33名という犠牲者を出してしまいました。平田靱負自身も宝暦5年(1755年)に自殺しています。
治水神社の中にある「薩摩義士の像」
千本松原
この宝暦治水によって木曽川と長良川の間に堤が造られ、現在「千本松原」として残っています。
ままず定食
おまけです。
木曽三川公園に行ったら是非食べていただきたいのは「あんかけままず定食」です。「ままず」とは鯰のことです。こちらの方言だそうです。なまずという言葉だけで敬遠されるかもしれませんが、味は超さっぱりしていて、極上の白身魚です。
平田靱負を祭る治水神社
治水神社は、江戸時代に木曽三川の工事をした薩摩義士、特に平田靱負(ひらたゆきえ)を祭ってある神社です。
治水神社本殿
宝暦治水の歴史
今では木曽三川地域は洪水の害もすくなっていますが、昔は小さな河が何本もはりめぐらされ、すぐに洪水が出る状況が長く続いていたそうです。人々は、居住する島の周りに堤防を廻らし「輪中」を作り洪水に備えました。
工事の犠牲者80余名
宝暦3年(1753年)、幕府から薩摩藩に対して治水工事の命令が出ました。これは地元住民から工事の願いが出ていたこともありますが、幕府が薩摩藩の力をそぐために命令したものといわれています。
宝暦4年(1754年)、薩摩藩平田靱負はじめ947名の武士たちが当地にやってきました。
しかし、幕府側の嫌がらせや疫病の流行等で、自殺者52名、病死者33名という犠牲者を出してしまいました。平田靱負自身も宝暦5年(1755年)に自殺しています。
治水神社の中にある「薩摩義士の像」
千本松原
この宝暦治水によって木曽川と長良川の間に堤が造られ、現在「千本松原」として残っています。
ままず定食
おまけです。
木曽三川公園に行ったら是非食べていただきたいのは「あんかけままず定食」です。「ままず」とは鯰のことです。こちらの方言だそうです。なまずという言葉だけで敬遠されるかもしれませんが、味は超さっぱりしていて、極上の白身魚です。