虎御前山展望所
番所を過ぎると、「虎御前山展望所」という曲がり角があり、虎御前山が正面に見えました。虎御前山は、織田信長が小谷城を攻めたとき、前線基地を置いたところです。小谷城から山の様子が手に取るようにわかります。逆に、虎御前山からは小谷城の様子がはっきりと見えていたのでしょう。
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虎御前山展望所
御茶屋
展望所からさらに登っていきますと、御茶屋という曲輪があります。なかなか風流な名前の曲輪で、本丸までの道の途中で休憩でもしたのでしょうか。案内板には、「『御茶屋』という風雅な名前には似つかない軍事施設である」とありましたので、「御茶屋」はあとで付けられた名前なのでしょうか。
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御茶屋イメージ図(現地案内板)
この御茶屋曲輪の奥の方に行きますと、竪堀のような跡がありました。あとでいただいた案内図で確認すると、確かに御茶屋から御馬屋敷、桜馬場にかけて清水谷に向かって、幾本もの竪堀が掘られていました。
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御茶屋奥の竪堀?
さらに曲輪の中には、大きな石が転がっていました。はじめは石垣の崩れたものかと思いましたが、案内板によれば、「西側に庭があった」とあるので、この石は庭にあったものだと分かりました。やっぱり、庭を眺めてお茶を飲んでいたのではないでしょうか。
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御茶屋の巨石(庭石)
また、御茶屋は土塁で仕切られていたということですが、その土塁もありました。
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御茶屋を仕切る土塁
土塁は、曲輪の端の方にもありました。曲輪の南西方向、上がってくる登城道が見える方向です。ずいぶん低くなっていますが、わずかに高まりがあり、土塁であったと思われます。
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御茶屋西側縁の土塁
こうやって見てきますと、りっぱな軍事施設であることも頷けました。
馬洗池・御馬屋
次は馬洗池です。山の中腹に水をたたえた池がありました。
馬洗池
400年以上もたっているのに、水が枯れずに残っていることに驚きました。池の周りには石垣があり、池が崩れることを防いでいました。立派な池でした。
その奥は「御馬屋」という曲輪になっていました。
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馬洗池・御馬屋イメージ図(現地案内板)
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御馬屋全景
この御馬屋の周りはどうなっているのか、また端まで見に行きました。すると結構高い土塁で囲まれていることが分かりました。
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御馬屋の土塁
番所を過ぎると、「虎御前山展望所」という曲がり角があり、虎御前山が正面に見えました。虎御前山は、織田信長が小谷城を攻めたとき、前線基地を置いたところです。小谷城から山の様子が手に取るようにわかります。逆に、虎御前山からは小谷城の様子がはっきりと見えていたのでしょう。
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虎御前山展望所
御茶屋
展望所からさらに登っていきますと、御茶屋という曲輪があります。なかなか風流な名前の曲輪で、本丸までの道の途中で休憩でもしたのでしょうか。案内板には、「『御茶屋』という風雅な名前には似つかない軍事施設である」とありましたので、「御茶屋」はあとで付けられた名前なのでしょうか。
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御茶屋イメージ図(現地案内板)
この御茶屋曲輪の奥の方に行きますと、竪堀のような跡がありました。あとでいただいた案内図で確認すると、確かに御茶屋から御馬屋敷、桜馬場にかけて清水谷に向かって、幾本もの竪堀が掘られていました。
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御茶屋奥の竪堀?
さらに曲輪の中には、大きな石が転がっていました。はじめは石垣の崩れたものかと思いましたが、案内板によれば、「西側に庭があった」とあるので、この石は庭にあったものだと分かりました。やっぱり、庭を眺めてお茶を飲んでいたのではないでしょうか。
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御茶屋の巨石(庭石)
また、御茶屋は土塁で仕切られていたということですが、その土塁もありました。
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御茶屋を仕切る土塁
土塁は、曲輪の端の方にもありました。曲輪の南西方向、上がってくる登城道が見える方向です。ずいぶん低くなっていますが、わずかに高まりがあり、土塁であったと思われます。
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御茶屋西側縁の土塁
こうやって見てきますと、りっぱな軍事施設であることも頷けました。
馬洗池・御馬屋
次は馬洗池です。山の中腹に水をたたえた池がありました。
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馬洗池
400年以上もたっているのに、水が枯れずに残っていることに驚きました。池の周りには石垣があり、池が崩れることを防いでいました。立派な池でした。
その奥は「御馬屋」という曲輪になっていました。
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馬洗池・御馬屋イメージ図(現地案内板)
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御馬屋全景
この御馬屋の周りはどうなっているのか、また端まで見に行きました。すると結構高い土塁で囲まれていることが分かりました。
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御馬屋の土塁