愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

運動不足解消!松尾山城登りました!

2020年03月24日 06時30分50秒 | 愛教労 城の会
天気予報は「時々雨」 でも降らなかった
松尾山城に8人で登りました。前回に引き続き今回も雨交じりの天気予報でした。午後3時ごろから雨が降るということでしたが、またもや奇跡が起き、雨はパラパラで「降ったかな」程度でした。本当に良かったです。松尾山に行くにはふもとの小さな駐車場が登山口です。傾斜のきつい坂もあり、ふうふう言って登りました。40分ほど登りますと、頂上に山城の跡があります。「いい運動になりました」。

登山口(駐車場)

本丸から関ヶ原が丸見え
この松尾山城は、関ケ原の戦いの時に西軍を裏切った小早川秀秋が陣を敷いたことで有名ですが、山城としても本格的なもので、曲輪、土塁、堀切、虎口などが多数のこっていました。はじめに腰曲輪、つぎに本丸、枡形虎口、馬出、さらに西側の谷に降りて、向かい側の曲輪を見て、最後「違い土塁」を見ました。本丸からは関ヶ原全体が見え、戦いで武将たちがどこに陣を構えていたか分かるようになっていました。

本丸から関ヶ原古戦場を眺める

どうやって攻めていったの?
この松尾山城から大谷吉継の陣にどこを通って攻めていったかということが問題になりました。大谷吉継の陣跡は松尾山の北西にあります。でも、松尾山城からそっち方面に出撃するのが難しそうでした。その理由は、本丸の出入り口である虎口が関ヶ原とは反対の方向にあること、また本丸や腰曲輪の北側(関ヶ原側)には土塁などがあって、防御するようにはなっていますが、出撃するための道などが見当たらないこと、さらにいくつかある曲輪の配置や馬出、堀切等が関ヶ原とは反対方向(南側)から侵入してくる敵を想定して造られていることように思えたことです。「どうやって大谷吉継の陣に攻めていったんだろうねえ」と、大きな疑問が湧いてきました。
コメント
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