
松平記p44
翻刻
様、管領と申ハ名のミ計にて権勢ハ双なし。永禄五年の春
彼三好殿の家老松永弾正、三好殿弟安宅摂津守冬泰と不
和の間、冬泰逆心被成候由申けれども、三好殿更に臆し給
ハず、其時松永謀をめぐらし安宅殿右筆の侍浪人して居
たりしを頼ミ、むほんの廻状を作り謀判を致し数十通取
出し三好殿にひそかに見せ奉る間、其時三好驚給淡洲よ
り冬泰を呼越て道にて松永衆生害しける事誠にむざん
の次第也
一 其時分より三好一家衆のかまへをし、三好殿居城の河内飯
盛の城中殊外さハく、其由を伺ひ候て、河内国の坂主畠山
(高政、其比浪人して居たりしが…)
現代語
公方様(将軍)や管領といっても名目ばかりで、権勢は並ぶべくもなかった。永禄5年(1562)の春、かの三好殿の家老松永弾正久秀が、三好長慶殿の弟安宅摂津守冬康と仲が悪かったので、冬康が謀叛を企んでいるということを長慶に申したが、長慶はいっこうに気にしなかった。そこで、松永弾正久秀は謀を廻らし、浪人をしている安宅摂津守冬康の右筆に頼み、偽の謀反の廻し状を数十通作らせ、三好長慶殿に密かに見せた。すると長慶は驚き、淡路より冬康を呼び寄せ、道にて松永によって殺害されてしまった。まことに無残なことである。
一 その頃より、三好一家衆として守りを固め、三好長慶の居城飯盛山城の城中は殊の外騒がしく、そのことを聞いた河内国の坊主畠山高政という人が浪人していたが、
コメント
戦国のヒール?松永弾正
前回よりいきなり畿内の情勢の話になります。直接家康と関係がありません。何のために書かれているのか、ちょっと分かりません。今川義元が桶狭間で討死をしたころ畿内はどうなっていたかということでしょうか。
とりあえず、三好長慶、松永弾正久秀の話が展開されます。松永弾正は戦国のヒールとして有名です。

太平記英勇伝で描かれた松永弾正(ウィキペディア)、悪の権化のように描かれている
しかし、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で吉田鋼太郎さんが演じましたが、なかなかの好演でとてもヒールには見えませんでした。
この「松平記」では三好長慶の弟冬康を謀略で以て殺害しています。偽の文書を作らせ、兄の長慶に殺害させるというかなりあくどいやり方です。おそらく松平記の作者が人から聞いた話を元にしていると思われますが、松永=悪人のイメージがこの頃既にあったのかも知れません。