愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

松平記(62) 松平記

2024年05月18日 08時49分21秒 | 松平記

松平記p62

翻刻
江原又助、内籐弥十、山本才蔵、松平半助、小野弥平、村井源四
郎、山本小次郎、活計五助、黒柳次郎兵衛、成瀬新蔵、岩城半七、
三浦平三郎、浅美主水、阿佐美金七郎、加藤五郎右衛門、平井
甚五郎、黒柳彦助、是等を初七十余騎籠り、家康へ敵となし
奉る。
一 上野の城にハ酒井将監大将にて安達馬助、鳥居四郎左
衛門、高木九助、安達弥市郎、荒山小兵衛、鳥居重次郎、本多弥
市、榊原七右衛門、大原右近衛門、近藤伝次郎、酒井作右衛門、
馳集て岡崎へ弓を引。針崎、正満寺に楯籠る人々、蜂屋半之
亟、筧助大夫、渡辺玄蕃、同八右衛門、同八郎五郎、同平三郎、同

現代文
(土呂の寺内に籠っている侍は、さらに)江原又助、内籐弥十、山本才蔵、松平半助、小野弥平、村井源四郎、山本小次郎、活計五助、黒柳次郎兵衛、成瀬新蔵、岩城半七、三浦平三郎、浅美主水、阿佐美金七郎、加藤五郎右衛門、平井甚五郎、黒柳彦助、これらをはじめ70騎あまり。家康に敵対していた。
一 上野城(現在豊田市上郷町)には、酒井将監大将にて安達馬助、鳥居四郎左衛門、高木九助、安達弥市郎、荒山小兵衛、鳥居重次郎、本多弥市、榊原七右衛門、大原右近衛門、近藤伝次郎、酒井作右衛門が集まり、岡崎に攻撃してきた。
また、針崎勝鬘寺に立て籠もっている侍は、蜂屋半之亟、筧助大夫、渡辺玄蕃、同八右衛門、同八郎五郎、同平三郎、

コメント
一向一揆に加勢し、家康に敵対した者たちは、主に、上野城(酒井将監が中心)、土呂本宗寺(現在本宗寺は岡崎市美合町にありますが、一向一揆当時は、岡崎市福岡町現在の土呂八幡宮の辺りにありました)、針崎勝鬘寺、そして佐々木上宮寺に立て籠もって家康と抗争していました。一人一人の武将についてコメントすることは難しいですが、この中には、家康の家臣も多く含まれていました。当時の西三河は、一向宗勢力、今川氏の勢力、家康の勢力などが拮抗している情勢で、侍たちは、自身の事情を考慮しながら、家康につくべきか、反家康につくべきか苦悩したと思われます。