愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

松平記(50) 松平記

2023年12月01日 11時00分38秒 | 松平記

松平記p50

翻刻
一 永禄五年七月遠州嵩山城主奥山修理、信長と一味いたす
間、駿河衆馳向攻落事
一 同年四月引間城主飯尾豊前守逆心して信長内通の間、新
野佐馬助を大将として引間を攻落し飯尾并同心渥美森
川内田已下党討捕、但新野討死也
一 同二月家康と改名ある。駿河と手ぎれなされ候、攻也、同年
三月三河国西郡の城に鵜殿長助籠り候、岡崎衆松平左近
しきりに攻、後ハ付城を致し、兵糧をつめ申候間、扱に致し
城を渡し、鵜殿罷除候爰を松平左近鵜殿子共二人生捕に
致し岡崎へ進上申候、此鵜殿無比類忠臣〇駿河衆迷惑致

現代語
一 永禄5年7月、遠州(遠江)嵩山城主奥山修理が信長の味方となったので、駿河衆が攻めてこれを落した。
一 同永禄5年4月引馬城主飯尾豊前が反逆して信長に内通したので、新野佐馬助を大将として、引馬を攻め落とし、飯尾と渥美、森川、内田以下の者どもを討ち捕えた。ただし、新野は討死をした。
一 同永禄5年2月、(元康は)家康と改名した。駿河と縁を切り、3月に三河の西郡(蒲郡)の城に鵜殿長助が籠っていた。岡崎衆松平左近がしきりに攻め付城をつくり兵粮をつめたので、和睦し城を明け渡した。鵜殿を滅ぼそうとしたところを松平左近が鵜殿の子ども二人を生け捕りにし、岡崎に進上した。この鵜殿は比類なき忠臣で、駿河衆は生け捕られたことに困っていた。

コメント
嵩山城主奥山修理、NHK大河ドラマ「女城主直虎」で井伊家と関係が深い家柄として奥山家が出てきます。井伊直政の父井伊直親に嫁いだのは奥山家の女性です。井伊直政の母方が奥山家になります。嵩山城主の奥山は、この奥山と近い関係ではないかと思います。また、永禄5年の奥山と今川の戦いは、ネットに紹介されていました。

URL:
https://www.dheq.org/honkoku/txt/834F4CE4E1C911197319B65709A9D418.txt

八名郡之部
嵩山城(すせじょう)
 所在地 八名郡石巻村嵩山
 永禄五年、今川氏の被官奥山修理亮貞範の居城たり。今川氏眞、三浦右衛門佐の讒言を信じ、同年七月、庵原安房守忠胤、小原藤五郎鎮宗等を将とし、三千余騎を添へ、貞範を攻めしむ。貞範此事あるを知り、城兵を木戸口に備へ、矢砲を放ち打つて出で、寄手を追ひ立て防戦し、敵の死傷三百名に及べり。然れ共俄の籠城なれば、糧食乏しく、後詰の頼もなければ、城の保ち難きを思ひ、城兵七十四人を従へ夜、中山を越え、間道より落ち去りければ、翌日今川勢人なき城を乗取りたり。


次の飯尾豊前守の謀反は有名です。この戦いで戦死した新野佐馬助は井伊直政の大恩人で、今川氏真が直政を殺害するよう命じましたが、新野が命乞いをして母親共々助かったということです。

鵜殿上之郷攻めと人質交換の話も有名です。
このブログでも紹介しています。
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