愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

松山城(1) 愛媛県松山市

2015年08月04日 09時27分02秒 | 愛媛県

松山城天守閣 手前のゆるキャラは「よしあきくん」

愛媛県に用事がありましたので、松山城を見学しました。

松山城とは
松山城は加藤嘉明(かとうよしあき)という武将が築城しました。慶長7年(1602年)に工事が着工されました。そして寛永4年(1627年)に一応の完了を見ました。25年かかっているそうです。(案内所で販売していたパンフレット「松山城」より)

加藤嘉明とは
 加藤嘉明は三河の生まれでした。秀吉の小姓として仕え、天正11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いで、賤ヶ岳七本槍の一人として活躍したそうです。七本槍には福島正則や加藤清正らが名前を連ねています。その後、秀吉、家康に仕え、伊予(今の愛媛県)で20万石の大名となったそうです。

ロープウエイ入り口に建っていた加藤嘉明の像

松山城へ
 松山城は、門と櫓がたくさんあり、どれがどの門か、櫓か、後で画像を振り返っても分かりませんでした。そこで、分かるものを紹介したいと思います。違っていたら教えてください。

 
ロープウェイにマドンナ
 松山城に登るには、ロープウエイがあります。上の図の⑧から⑦にむかってロープウエイ(リフト)で登るのが楽です。もちろん登山道もあるようです。
料金は、ロープウエイ往復と天守閣見学で1,020円でした。

 ロープウエイに乗ると、夏目漱石「ぼっちゃん」で登場するマドンナ姿のガイドさんが案内をしてくれました。(切符売り場もマドンナ姿の方でした)

ロープウエイを降りると本丸の方に行けます。


待合番所跡
 本丸への入り口を入るとすぐに見事な石垣が見えました。

 「これはすごい。忍者もびっくりだ。」と思いました。勾配が急で登るのが大変と実感することができました。

 この辺りは「待合番所跡」というそうです。城に入るのに、ここで身辺調査などをして客を待機させたのでしょうか。この「待合番所跡」を過ぎると、大手門跡がありました。

大手門跡 石垣だけが残っていました。おそらくこの上には櫓があったのでしょう。

 大手門を過ぎると正面に立派な櫓が見えました。「太鼓櫓」です。名前からすると、非常時に「敵だ、敵だ」と太鼓を打ち鳴らすための櫓なのでしょうか。

太鼓櫓 左下に小さく見えるのは天守閣

本丸の防御施設
 ぐるっと回って「戸無(となし)門」「筒井門」「隠(かくれ)門」がありました。

戸無門 その名の通り戸がありませんでした。


筒井門 この右奥に隠門があります。筒井門と隠門とで挟み撃ちにしたそうです。


隠門

これら一連の門をくぐると本丸への最後の門、太鼓門が見えます。

太鼓門 右側をたどると太鼓櫓になります。手前は広場になっています。ここに敵を集めて一網打尽にするつもりだったのでしょうか。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
りっぱな石垣ですね。 (Ladyvivian)
2015-08-06 01:34:01
松山城には、まだ、行ったことがありません。りっぱな石垣ですね。隠れ門の石垣の角が、綺麗に揃ってる(@_@)凄い。
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完璧な防御 (midorishako)
2015-08-07 06:47:52
Ladyvivianさん
コメントありがとうございます。

石垣は本当にすごいですね。そそり立っているという感じで、これでは攻めて入ることが出来ないと、敵に諦めさせるのに十分と思いました。また、門がぐるぐる回っていて、本丸になかなか到達できない構造になっていることも実感できました。
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