愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

甚目(じもく)寺 あま市

2014年02月01日 17時49分36秒 | あま市

あま市とは
 あま市とは、愛知県の西、尾張地方の市です。2010年(平成22年)3月22日に、海部郡七宝町、美和町、甚目寺町の3町が合併して誕生しました。今回の甚目寺は、その名の通り旧甚目寺町にある寺院です。

甚目寺の有名な建造物

まずは、三重塔(国指定)

次は、本殿

南大門(国指定)

門の左右におられた仁王様

あ形

ん形

甚目寺の由来
 さて、甚目寺は通称「甚目寺観音」と呼ばれるそうです。本尊は聖(しょう)観音様です。なんでも推古5年(597年)に伊勢甚目(はだめ)村の漁夫、龍磨(たつまろ)という人が、江上庄の入江(現在の甚目寺の東南約200メートルのあたり)で魚を取っていたところ、その網に黄金の聖観音がかかったそうです。漁夫龍磨は、喜び入江の北の方にお堂を立て、観音様を納めたのが甚目寺の始まりだそうです。(Wikipedia)

甚目(はだめ)村は、三重県松坂市?
 甚目(はだめ)村とは、甚目寺と同じ漢字なので、甚目寺の名前の由来なのかもしれません。伊勢甚目村とはどこにあったのか。すごく離れていました。

 伊勢甚目村は、現在の三重県松坂市にありました。(もっとも、この地が言い伝えの伊勢甚目村かどうかは分かりませんが)仮にこの地が言い伝えに言う甚目村だとすれば、上記陸路で歩いて15時間かかることになります。15時間もかけてわざわざ尾張まで行くはずがないので、海路で行ったのでしょう。言い伝えでも、漁夫とありますから。

古地図では甚目寺あたりは、海?

 図2とある古地図は、豊田市猿投(さなげ)町の猿投神社に伝わる古地図を井口(いのぐち)泰子さんが起こしたものです。(郷土誌かすがい第49号)井口さんによれば、この古地図は、養老年間(717~724)のものとされているそうです。地図上の「ビワジマ」は、おそらく清須市枇杷島町のあたり、「沖島」は、おそらくあま市七宝町沖之島のあたり、つまり甚目寺のあたりは、推古年間頃は海だったと想像されるのです。陸地があったとしても島だったのではないでしょうか。言い伝えで言うところの「江上の庄の入江」というのがどこなのか、謎です。