8月3日、岐阜県の東氏館跡を訪れました。

案内の地図には、「古今伝授の里フィールドミュージアム」という名称になっていました。
古今伝授の里とは
古今伝授の里とは、かの有名な歌集古今和歌集を後世に伝授しているという意味です。
古今和歌集は、紀貫之(きのつらゆき)の選により平安時代にできたものです。これをはじめは公家の二条家で受け継いでいたようです。やがて二条家の後にはその弟子たちによって伝えられ、弟子の尭孝(ぎょうこう)が、東常縁(とうのつねより)に全ての秘伝を伝え東常縁は古今和歌集の権威となったそうです。
さらに東常縁は、文明3年(1471年)美濃国妙見宮(みょうけんぐう 現在の明建寺)にて、連歌師宗祇(そうぎ)に秘伝を伝えたそうです。それでこの地を古今伝授の里と呼んでいるわけです。
芸は身を助ける?
戦わずして城を取り戻した東常縁
東常縁のお城は篠脇城といいます。東氏は、この篠脇城を中心に鎌倉時代承久の乱以後9代250年美濃郡上の地を治めていました。しかし、応仁2年(1468年)美濃国守護代斉藤妙椿に攻められ、郡上の地を取られてしまいます。
そのとき、関東に出兵していた東常縁はこれを聞き、斉藤妙椿に歌を送ったといいます。
あるがうちにかかる世をしも見たりけり人の昔のなおも恋しき
斉藤妙椿はこの歌を見て、東常縁に領地と城を返したそうです。

篠脇城のある山
東氏館庭園跡

朝倉氏諏訪館跡の庭園を思い出しました。こちらのほうが空池が小さかったです。篠脇城はこの後ろの山にあります。ふだんはふもとの館に住んでいたようです。
明建寺の「薪能くるす桜」
さて、この東氏館跡にて例年8月7日「薪能くるす桜」が上演されているそうです。場所はこの史跡の隣の明建神社です。昭和50年代に東常縁を顕彰する能「くるす桜」の台本が見つかり、それを再現しようと昭和63年大和町商工会議所青年会が中心となり、上演したそうです。それ以来毎年8月7日に上演されているそうです。

薪能が上演される明建神社
御燈移し
その薪能開催の前の週には、「御燈移し(みあかしうつし)」がおこなわれるということです。薪能の篝火を運ぶ行事で、篝火には現在三つの火が使われているそうです。
一つは「千葉家の火」。東氏の来郡に同道した千葉家では、現在の明宝村(大和町の隣村)寒水に居を構えた折に熾した火を、700余年を経た現在まで絶やすことなく灯し続けているといいます。その火を分火してもらい薪能会場までの20数キロ、駅伝リレーで運ぶそうです。
もう一つが「白山の火」で、「くるす桜」の原曲は白山長滝寺の僧が関与していたと考えられ、それに因んで霊峰白山の頂上で太陽の火から採火し、30人前後のパーティで白山登山をし、いったん白山長滝神社に火を供え、そこから会場の明建神社までは一般参加者を募ってウォーキングリレーをして運ぶそうです。
最後の一つは「篠脇の火」。東氏館跡庭園で地元の子ども会が太陽の火から採火するそうです。
ちょうど私たちが訪れた日は「篠脇の火」の採火の日でした。雨模様の日で太陽の日から採ることができないので、火打ち刀を用いて行っていました。


このあと、当地にある施設を見学して帰路につきました。

案内の地図には、「古今伝授の里フィールドミュージアム」という名称になっていました。
古今伝授の里とは
古今伝授の里とは、かの有名な歌集古今和歌集を後世に伝授しているという意味です。
古今和歌集は、紀貫之(きのつらゆき)の選により平安時代にできたものです。これをはじめは公家の二条家で受け継いでいたようです。やがて二条家の後にはその弟子たちによって伝えられ、弟子の尭孝(ぎょうこう)が、東常縁(とうのつねより)に全ての秘伝を伝え東常縁は古今和歌集の権威となったそうです。
さらに東常縁は、文明3年(1471年)美濃国妙見宮(みょうけんぐう 現在の明建寺)にて、連歌師宗祇(そうぎ)に秘伝を伝えたそうです。それでこの地を古今伝授の里と呼んでいるわけです。
芸は身を助ける?
戦わずして城を取り戻した東常縁
東常縁のお城は篠脇城といいます。東氏は、この篠脇城を中心に鎌倉時代承久の乱以後9代250年美濃郡上の地を治めていました。しかし、応仁2年(1468年)美濃国守護代斉藤妙椿に攻められ、郡上の地を取られてしまいます。
そのとき、関東に出兵していた東常縁はこれを聞き、斉藤妙椿に歌を送ったといいます。
あるがうちにかかる世をしも見たりけり人の昔のなおも恋しき
斉藤妙椿はこの歌を見て、東常縁に領地と城を返したそうです。

篠脇城のある山
東氏館庭園跡

朝倉氏諏訪館跡の庭園を思い出しました。こちらのほうが空池が小さかったです。篠脇城はこの後ろの山にあります。ふだんはふもとの館に住んでいたようです。
明建寺の「薪能くるす桜」
さて、この東氏館跡にて例年8月7日「薪能くるす桜」が上演されているそうです。場所はこの史跡の隣の明建神社です。昭和50年代に東常縁を顕彰する能「くるす桜」の台本が見つかり、それを再現しようと昭和63年大和町商工会議所青年会が中心となり、上演したそうです。それ以来毎年8月7日に上演されているそうです。

薪能が上演される明建神社
御燈移し
その薪能開催の前の週には、「御燈移し(みあかしうつし)」がおこなわれるということです。薪能の篝火を運ぶ行事で、篝火には現在三つの火が使われているそうです。
一つは「千葉家の火」。東氏の来郡に同道した千葉家では、現在の明宝村(大和町の隣村)寒水に居を構えた折に熾した火を、700余年を経た現在まで絶やすことなく灯し続けているといいます。その火を分火してもらい薪能会場までの20数キロ、駅伝リレーで運ぶそうです。
もう一つが「白山の火」で、「くるす桜」の原曲は白山長滝寺の僧が関与していたと考えられ、それに因んで霊峰白山の頂上で太陽の火から採火し、30人前後のパーティで白山登山をし、いったん白山長滝神社に火を供え、そこから会場の明建神社までは一般参加者を募ってウォーキングリレーをして運ぶそうです。
最後の一つは「篠脇の火」。東氏館跡庭園で地元の子ども会が太陽の火から採火するそうです。
ちょうど私たちが訪れた日は「篠脇の火」の採火の日でした。雨模様の日で太陽の日から採ることができないので、火打ち刀を用いて行っていました。


このあと、当地にある施設を見学して帰路につきました。