鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

『紀ノ川:有吉佐和子・著』

2012-10-10 22:52:04 | Weblog
くもりがち。朝夕、冷え込んでくる。


一昨日のブログで、『Lake Mead』 というタイトルの雑文で、その人造の湖に流れ込むコロラド川の色が、群青で、紀の川の色に似ている・・・と書いた。

コロラド川も紀の川も、実際に見たのは、たった一度だけなのだけれど、どちらも河川としては、大河には違いない。

その昔・・・有吉佐和子氏の著書『紀の川』をよんだのは、28歳の時だった。
奇しくも・・・『紀ノ川』は、有吉氏28歳の御作でもあった(・・・ように記憶している)。
若干28歳にして、和歌山の素封家・女三代のこの大河小説を描くとは・・・。

・・・28歳のとき、私は、失意の底にあった(・・・というよりは、これまで人生の大半を、失意の底で喘いているのだけれども、失意は、失意でも、病という、わりと大きな失意の底にあったのだ)。

今の二階家を改造する前で、今現在、寝起きしているこの二階の真下に位置し、強い西日しか当たらぬ、湿気た、牢獄のような?部屋で暮らしていて、その当時28歳の時分には、相当、病んでいた。
仕事も、3週間程、休職をしていて、続けようか、辞めようか・・・迷ってもいたし、未来には、何の展望もなくて、あるのは、病んだ自分と、それこそ、人生の終焉を迎えんばかりの・・・もうひとり病人、本当にもう死に際の家族だった。
この死に際のひとを、私は、憎みつづけていて、離れていた方が、お互いのためだったけれど、生活力皆無の私には、自活する力も、知恵も、カネもなくて、やむを得ず、牢獄のような?部屋で、回復を待つような、或いは、毎日、死を思う様な暮らしを続けていた。
死に際のひとに、養われていたのである。

そのときに、自宅にあった本が、『紀の川』だった。
臥しながら、読んだ。

それから、数年して・・・。
死に際の人は、既に亡くなり、私と家人は、死に際のひとの呪縛から解放されて、そして、旅に出られるまでに回復して、実際の紀の川を、見ることができた。

美しく穏やかに、紀の川は、流れていた。
そして、関東には、ない川の色だと思った。

・・・Lake Meadに流れ込むコロラド川の色も、初めてみる川の色だった。