絶好のお花見日和・・・と思いきや、午後から、暗雲。風強く、お天気下り坂のよう・・・。
一昨日の女子会なる送別の会合と、新年度組織再編に伴う異動により、請負う予定の仕事の引継ぎなど、あと5日を切ったのに、何も行われず。
所属長から、何の音沙汰もないので、アクションを起こすことが出来ずにいる・・・そんなイライラが、募って、疲れ果てた週末。
花見に行く気力すら・・・ない・・・。
・・・そんなこんなの女子会で、きちんと言えない言葉・・・が、話題になった。
『きゃりーぱみゅぱみゅ』嬢?なる方のお名前である。
百戦錬磨のアナウンサーも悩ませるこの『きゃりーぱみゅぱみゅ』であるが、解消法としては、どらえもん的『どこでもドア~~~』と大山のぶ代さん風にいうと滑らかに言えるらしい・・・。
そこで、『万景峰号(マンギョンボンゴウ)』もそうだよね・・・と、完璧な発音???で、振ってみたが、お若い方々は、『マンギョンボンゴウ?????』であった。
こういう会合では、芸能ネタは、OKでも、社会ネタは、NGの典型であったな・・・と思った。
し・か・も・・・例の『きゃりーぱみゅぱみゅ』嬢は、日本語で発音するには、どらえもん方式で解消するが、朝鮮語は、そうはいかない。
10個の基本母音プラス11個の複合母音・・・『あいうえお』の基本5つの母音しか、持たない我々、日本人にとっては、至難の業である。
更に、基本子音9個、これらの激音化、濃音化で更に10個の音、そのうえ、更に、更にパッチム、ダブルパッチムを含め、リエゾン(連音化)する・・・。
あいうえお・・・の50音表の約8倍もの音がある・・・。
複合の音の表現となるのだ。
あの一種、記号のようなハングル文字は、音の洪水でもあった。
朝鮮半島は、蹂躙の歴史でもある。
母国語もご飯も、複合する・・・ごちゃまぜで寛容な国家でもあるらしい・・・。
母国語ひとつとってもそうかもしれないが、自国の言葉を慈しみ、愛し、存続させるにもある程度、『知力』が必要なことを思い知らされた。
私は、『きゃりーぱみゅぱみゅ』嬢が、どんな言葉で、どんな歌を歌っているのかは、存じ上げないし、一説によると(女子会でのハナシだが・・・)、つけまつげが、ど~~~の・・・ということらしいが、多分、この歌が、50年後も、人口に膾炙していくとは、どうしても思えないのだった・・・。
今、その歌(曲)を愛する人たちが、いなくなれば、たぶん歌も消えていくのだろうと思う。
歌い継がれる歌(詞)も、生命力と知力と運命があるのかもしれない。
そして、情報の伝達速度が、早いほど、廃れるもの早いもの・・・なのだろう。
一昨日の女子会なる送別の会合と、新年度組織再編に伴う異動により、請負う予定の仕事の引継ぎなど、あと5日を切ったのに、何も行われず。
所属長から、何の音沙汰もないので、アクションを起こすことが出来ずにいる・・・そんなイライラが、募って、疲れ果てた週末。
花見に行く気力すら・・・ない・・・。
・・・そんなこんなの女子会で、きちんと言えない言葉・・・が、話題になった。
『きゃりーぱみゅぱみゅ』嬢?なる方のお名前である。
百戦錬磨のアナウンサーも悩ませるこの『きゃりーぱみゅぱみゅ』であるが、解消法としては、どらえもん的『どこでもドア~~~』と大山のぶ代さん風にいうと滑らかに言えるらしい・・・。
そこで、『万景峰号(マンギョンボンゴウ)』もそうだよね・・・と、完璧な発音???で、振ってみたが、お若い方々は、『マンギョンボンゴウ?????』であった。
こういう会合では、芸能ネタは、OKでも、社会ネタは、NGの典型であったな・・・と思った。
し・か・も・・・例の『きゃりーぱみゅぱみゅ』嬢は、日本語で発音するには、どらえもん方式で解消するが、朝鮮語は、そうはいかない。
10個の基本母音プラス11個の複合母音・・・『あいうえお』の基本5つの母音しか、持たない我々、日本人にとっては、至難の業である。
更に、基本子音9個、これらの激音化、濃音化で更に10個の音、そのうえ、更に、更にパッチム、ダブルパッチムを含め、リエゾン(連音化)する・・・。
あいうえお・・・の50音表の約8倍もの音がある・・・。
複合の音の表現となるのだ。
あの一種、記号のようなハングル文字は、音の洪水でもあった。
朝鮮半島は、蹂躙の歴史でもある。
母国語もご飯も、複合する・・・ごちゃまぜで寛容な国家でもあるらしい・・・。
母国語ひとつとってもそうかもしれないが、自国の言葉を慈しみ、愛し、存続させるにもある程度、『知力』が必要なことを思い知らされた。
私は、『きゃりーぱみゅぱみゅ』嬢が、どんな言葉で、どんな歌を歌っているのかは、存じ上げないし、一説によると(女子会でのハナシだが・・・)、つけまつげが、ど~~~の・・・ということらしいが、多分、この歌が、50年後も、人口に膾炙していくとは、どうしても思えないのだった・・・。
今、その歌(曲)を愛する人たちが、いなくなれば、たぶん歌も消えていくのだろうと思う。
歌い継がれる歌(詞)も、生命力と知力と運命があるのかもしれない。
そして、情報の伝達速度が、早いほど、廃れるもの早いもの・・・なのだろう。