鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

紙幣の肖像②

2014-05-21 22:50:56 | Weblog



終日、雨。時折、雨脚が強くなる。気温も低く、肌寒い一日。


先日のことである。

私が、何処かへ就職する迄は、週に1度、夕食をご馳走してくれる約束をしているのだけれど、超多忙な相方とは、暫く、会えなかった。
暫くぶりにあって、何時もの如く食事をしていると、相方、お財布の中から、お札を一枚取り出した。

『お釣りで、もらったのですけれどね。差し上げますよ。』
と言って、私にくれたのが、本日の画像。二千円札。

まだ、存在(流通)していたのか!

いづれの御時にか、女御、更衣・・・いや違う、たぶん、小渕政権の時だったように、記憶しているのだけれど、二千円札の発行。
(ちなみに、いづれの御時にか・・・は、源氏物語の出だしです)

このお札。表は、沖縄の守礼の門、後ろは、紫式部と源氏物語。

・・・これまでのお札で、写真以外の肖像(その存在が写真によって証明されていない人物)は、かの万札の皇子(山岸涼子さんの日出処の天子で、この表現を使っていたと思いますが・・・)聖徳太子と紫式部だけ?だわな・・・。私の知る限りでは・・・。

この二千円札・・・。果たして、券売機などで使用できるのかどうか・・・???
ATMなどで、使えるのかどうか・・・???

この1枚のために、全国津々浦々のATMだとか、たぶん、ソフトの改修をしたのだと思うのだけれど・・・とにかく・・・私の手許に来たのは、これで、二度目だったと思う。
それ程、流通しなかったような記憶があった。

因みに、一回目の二千円札は、結構長く、勤めていた派遣先の部署全体が、本社に異動になったときに、送別の宴があって、会費として、支払ってしまった。
二千円札で、支払う気は、なかったのだけれど、一度、財布から出してしまった手前、ひっこめることが躊躇われたのであった。
あのときは、間を開けず、次の派遣先へ行くことになったけれど、そこも、吸収合併による組織変更で、私は、3週間くらいしか、勤務しなかった。

いづれにせよ・・・。
二千円札を手にするとき、私は、不安定だったこと・・・そして、今も、先の見えない日々を無為に送っているのだな・・・と思う。