午前中は、本降りの雨。
この雨で、染井吉野も散ってしまったことだろう。
花に嵐のタトエもあるさ・・・と毎年のように、花の頃には、発達した低気圧が、列島を通過するようだ。
(過去にも書いた記憶があるけれど、重複だったら、すみません)以前、桜の咲き始めの頃から、お天気が悪くて、咲きそろう前に、強い寒の戻りがあって、都合3週間くらい、桜の花が散らなかった年があった。毎日、毎日、桜を眺めながらの出勤だったけれど、1週間もたつと、流石に、どうでもよくなってきて、うっとおしさばかりで、桜の花も妙に、汚れて白っぽい感じが否めなかった。
長く咲いていると有難味もなくなるというか・・・。
1年中咲いていたら、もうどうでもよくなるかもしれない。
やはり、開花時期、見頃、満開、散り際、葉桜・・・という経過がって、有難味みたいなものがあったりする。
ヒトも同じなんだろうか・・・。
アイドルさんとか、女優さんとか・・・。
かの世界は、年齢を追うごとに、数が少なくなって、残っていても、もう往年の美しさは、見る影もない。
美男の男優さんも同じことで、劣化の度合いが問われるようだ。
今年の初めに亡くなられたデビット・ボウイ氏は、例外だろうか・・・。
少し太ったようだったけれど、往年の綺麗さは、あったような気がする。
稀な例かも?
無くなっていく行くのが道理のものを、何時までも、求め続け、アンチ・エイジングだとか、劣化防止だとか・・・そんな産業が活発らしい。
道理に反するのではなくて、道理に沿って、劣化するものを、受け入れる姿勢(一種の諦め?)があれば、生きるのが少し楽になるのかもしれない。
英国の小説家オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』は、描かれた肖像画が年を取って行き、モデルは、若いまま、美しいまま・・・である。
本当の自分が、年老いて醜悪になっていくさまを、毎日毎日、眺めていたら、やはり、気がヘンになるかもしれない。
若い頃、美形だった身には、辛い事だろう。
桜から、随分、ズレてしまった。
そう言えば、かのボウイ氏は、ドリアン・グレイを演じたことがあったのだろうか?
若い頃、演じていれば、イメージにピッタリだったと思うけれど(英国人だしな)。
映画では、ヘルムート・バーガー(ヘルムート・ベルガー?)が演じていた記憶があるけれど、記憶違いかもしれない。