友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

人間はどこまでも複雑だ

2010年03月11日 23時03分32秒 | Weblog
 NHKテレビで、藤原紀香さん主演の『ツレがうつになりまして』を観た。先日会った大学時代の友だちも「うつだったの」と言っていたのが引っかかった。これは全く関係ないかも知れないが、私が教師をしていた時、カウンセリングの先生が「心理テストをやったら、我々は正常でも校長や教頭は異常だろう」だったか、逆に「我々は異常で、校長や教頭は正常。そんなものなんだよ、心理テストは」だったか、今から思えば定かではないけれど、そんなことを冗談っぽく語っていたことを思い出す。

 心理学を学んだことはないけれど、おおよそ平均値を正常とし、これからはみ出したものをやや異常、さらに大きくはみ出せば異常というのではないだろうか。私なんかは、他人から見ればすこぶる常識の人であり、最も平均的で正常な人の部類に当てはめられるだろうと思う。しかし、自分では、非常識で異常な人間と感じている。選挙で私を応援し続けてくれた90歳近い女性が「浮気の一つも出来ない堅物で、どうしようもない男だ。これが女を泣かせるような男ならもっと大物になれたでしょうに」と、私を評する。

 私はそんなに清廉潔白な男ではないけれど、「キーセンツアーに毎週のように出かけた」と豪語するようなことは出来ない。どうしてそんな恥知らずなことを平気で言えるのか、その感覚も分からない。男が女を好きになることは自然なことだと思うし、それを否定することは出来ないけれど、お金でSEXを買う行為は理解できない。一途という点では昔から変わらないように思っているが、異性を好きになるということとは一見矛盾するけれど、それこそが正常ではないのかと思っている。

 ところで、「うつ」とはどういうことなのだろう。テレビドラマでは、「自分は何の役にも立たない。不要な人間だ」と、そう思った時にうつになるようなストーリーだった。でも、人は時には、自分はこの世に生きていても仕方ないのではないのか、そんなことを思う時はいくらもあるような気がする。私自身も「もうダメだ。生きていても仕方がない」と思ったことは何度かある。けれど、それでうつのようになっても病状としてうつになることはなかった。

 「それは、本気でもうダメとか、生きていても仕方がないと、思ってはいなかったからよ」と、カミさんは鋭く分析する。確かにそのとおりだ。今はダメかもしれないがいつか必ず出来るとか、そんなに捨てたものではなく、まだやれるはずだ。そんな気持ちが心のどこかにあって、自分を全面否定しない、もうひとりの自分がいた。私がうつにならずに生きてきたのはきっと、自分を評価している自分がいるのだろう。

 テレビドラマがどんな風に進むのか楽しみなのだけれど、これは実際にあった話のようで、漫画家のカミさんが、連れ合いがうつになったことを題材にしたマンガのドラマ化だと次女が教えてくれた。「それで、このふたりはどうなるの?」と聞いたけれど、「テレビを見ていれば分かるわよ」と連れない返事だ。でもまあ、ドラマにするくらいだからハッピーエンドだろう。それにしても、うつとは何だろう。人間はどこまでも複雑だ。
コメント (1)
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