友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

井戸掘りと高校入試

2010年03月15日 23時05分00秒 | Weblog
 春めいてきたのに、何時までも巣穴に篭っていてはいけないと、先日、今年初めての井戸掘りに挑戦した。実は内心では不安と期待の複雑な気持ちだった。何しろ、昨年は秋頃から、掘るところは全て水が出なかった。今年最初の井戸掘りが再び水が出なかったならという不安と、この地域では以前にも掘った経験があり、水は出るという安心とが混ざっていた。それでも、水は出るはずだというリーダーの言葉に期待し、作業を開始した。作業を始めた頃は、絶対に水が出るだろうという気持ちから、ゆったりと構えていた。

 案の定だった。わずか1.5メートルも掘ったところ、水がジワジワと滲んでくる。やはり、ここは水に恵まれているから、容易く水の道に辿り着くだろうと思った。ところが、4メートルから5メートルくらいまで掘り進めると、塩ビ管が撥ね返るような反発を受ける。水の道といえるかもしれないが、それにしては浅すぎる。これではよい水が出てこないのではないか。結論としては、もう少し掘り下げようということになった。水量を多くして圧力をかけると、さらに掘り下げることが出来た。

 6~7メートルまで掘り下げた。掘っている場所からわずか7~8メートルのところに、10年前に掘った井戸がある。この時の深さと同じだ。手応えから、水の道ではないだろうかと思い、ガソリンポンプで汲み上げてみるが、思ったほどの水量がない。再び、もう少し掘ってみようということになった。10メートル近くまで掘り進め、もうこれが限界という一歩手前まで来た時、「よし、ここだ」とリーダーが言う。汲み上げてみると確かに水量も多いし、水もきれいだ。

 今日はきっと軽く出るだろうなどという先入観がダメだった。半田市で井戸を掘った時も、わずか3メートル離れた目の前に井戸があったから、必ず水は出るだろうと思い込んでいた。今回だって10年前にすぐ近くで井戸を掘った経験があったから、全く安心していた。さらに、水が出た時の用意に、消防隊が使うような放水銃を早々と用意しすぎた。何でもあまりに先回りすると、返って結果はよくない。いい格好して驚かせようという魂胆がよくなかったと気付く。

 「ああ、人生と同じだ。山もあれば谷もある。これで万々歳だなどとうぬぼれているとド壺にはまる。何事も控えめが一番だ」。人生の先輩が面白おかしく語る。おりしも今日は、県立高校のBグループの入学試験が行なわれ、その結果が早くもテレビで報じられた。どこどこの高校は何点とカミさんは盛んに気にしている。それがナンだ。たかがボダーラインに過ぎないし、仮にどこどこの高校に入学あるいは入学できないとして、それで人生の全てが決まるわけではないじゃーない。

 井戸掘りも高校入試も当たりもあればハズレもある。それがナンだ。それでどうした。山もあれば谷もあるという。楽しんで生きればいい。可能性はいつも目の前に広がっている。やってもやらなくても、どんな風に生きようと人生は人生。自分の人生は自分にしかない。
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