友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

バンクーバーの思い出

2010年03月01日 21時12分22秒 | Weblog
 早いですね。もう、3月になってしまった。それに暖かい日が続いています。以前は、ひな祭りの頃はまだまだ寒いと思っていたが、今年は2月下旬から4月か5月並みの陽気となってしまい、このままどうなってしまうのかと心配にさえなります。テレビではバンクーバー・オリンピックの閉会式を放映していた。バンクーバーも今年は雪不足だったようです。50歳の時に、友人家族と一緒にバンクーバーで何泊かしたことがあるが、緯度の割には本当に暖かなところでした。摩天楼から眺めた街の様子が思い出されます。

 魚市場で魚介類を買い求め、それを部屋に持ち帰って、大学の先生である友人が料理してくれました。大きな蟹もあったし、生の牡蠣にレモンをかけたものなど、本当に美味しかった。もちろん白ワインもうまかった。会社が借りている部屋に泊まったけれど、全面ガラス張りで、眼下にバンクーバーの町並みが見えた。水族館ではシャチのショーも見た。私たちが出かけたのは12月だったけれど、雪は全く見なかった。とてもきれいな街という印象が強い。

 バンクーバーで寿司屋へ連れて行ってもらった。ここの店の寿司は絶品だった。ネタは新鮮だったし、寿司飯はカリフォルニア米でこれはうまかった。働いていたのは日本人の女子大生のようだったので、「あなたは日本の人?」と聞いてみたけれど、全て英語で答えが返ってきた。後で聞くところでは、お客と話す時は英語しかダメと言われているようだ。とにかく、バンクーバーには東洋人が多い。中でも中国人が一番多いのではないだろうか。私たちが空港に着いた時も、たくさんの中国人と一緒だった。

 テレビと言えば、年越し村の村長で名を上げた湯浅誠さんの取り組みがNHKで放映されていた。内閣府参与を与えられ、失業者の救済に駆けずり回ったけれど、権力を使っても解決できないジレンマを映し出していた。正確に言えば、権力を使って何が何でもやってしまえば出来ないことはないのかもしれない。今は絶対的な権力は存在しないし、それを私は良いことだと思っている。思うようにならなければさらに強い力で押さえ込もうとすれば解決できるのかも知れないが、それでは本当に解決できたとは言えないだろう。

 湯浅さんがどんなに駈けずり回っても、役人たちはこれまでのやり方で接してくる。なかなか役人がこぞって湯浅さんを受け入れるところには至らない。民主党政権の危うさでもあるけれど、同時に人はすぐには変わらないことの象徴でもあるように見えた。失業者を救済しなければならないという点では一致できても、具体的にどうするかということになると、出来れば自分のところに面倒はゴメンだという意識が働いてしまう。役所はどこも一緒だなあと思う企画だった。

 根本的には失業者が出なければよいわけだが、おそらく今日の社会構造が続く限り失業する人は出るだろう。湯浅さんも言っていたけれど、「次に働く場所が見つかれば、人は希望を抱いて生きていける。けれども、働く場所もなく、身体を休める場所もない、こんなことが続けばもう働く気力さえ失っていく。それは重大なことだ」と。昔のように、農業で生活していけば、最低限の暮らしは保障できるのではないだろうか。確かに今日のように、社会が複雑になってきて、働き方も色々になると、働くことからこぼれてしまう人が生まれてしまうのも確かなのだろう。

 バンクーバーにもホームレスはいた。人はどうしてこんなにうまくいかないのだろう。
コメント
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