次女夫婦がバンコクから帰国した。昨夜は、長女夫婦も呼んで、我が家で帰国のお祝いを行なった。そして孫娘の卒業に当たり、『卒業生を送る会』で長女のダンナが作曲し、孫娘がピアノ伴奏を行なった合唱をみんなで聴くことにした。次女のダンナは長いタイ暮らしですっかり、日焼けしていた。もちろん、次女も同様に日焼けしており、昔の白豚さんとは似ても似つかないほどだが、ダンナの日焼け具合は数倍それを上回っていた。
その理由がまた彼らしくていいなと思った。せっかくタイに赴任していたのに中途半端では誰も注目しない、ここは相手の度肝を抜くほどにやらなくては意味がないというのである。なるほどなと思ったけれど、さらにオチがあって、東京の居酒屋で友だちと飲んでいたところ、ヤンマーの人が「あなたはタイのどこから来たのか?」と尋ねてきたそうだ。そこで彼はタイ語で「私は日本人だ」と答えたと言う。ユーモアのセンスも面白いが、間違えるのも無理も思った。
ところで、『卒業生を送る会』だが、先生方による寸劇も行なわれ、ビデオで見る私たちにはちょっとピーンと来なかったけれど、子どもたちには大爆笑で迎えられていた。先生たちの寸劇は高校生になるとはどんなことか、面白おかしく描いたもののようだった。それにしても、忙しい合間を縫ってよくまあ、演劇まで見せてくれたものだと思う。きっと、子どもたちはそのことを忘れないであろう。
それで合唱の方はどうだったのか、私はとても気になった。長女のダンナに出かける前に、「しっかりビデオを撮ってきてね」と頼んだが、その時、彼は「自分の曲ではないような仕上がりで、ガッカリしています」と話してくれたけれど、その時点ではまだ、「ちょっと手直しされてしまって」という程度くらいにしか、思っていなかった。ところが、実際の合唱を聞いて耳を疑った。全然違うではないか!これでは彼が怒るのは無理もない。私なら、「バカにするな」と怒鳴り込んで行きたい気分だ。
確かに彼の作った曲はラップ調だから、今の学校教育の中では受け入れられないかもしれないなとは危惧していた。次女は学校で働いていたから、「無理だろう」ことは重々承知し、理解できるので、何とか彼を慰めようとしていた。私もそれはわかる。けれども、こんな理不尽なことは絶対に許されない。「なんと馬鹿な校長か」と校長の名を呼び捨てにして怒りまくっていたら、「そういうパパこそ見っとも無い。子どもの前で、校長の名を呼び捨てにするなんて最低!」と次女に非難されてしまった。
確かに、余りにも頭に来ることだとしても品がなかった。それでも、長女のダンナの無念を思うと思いっきり悪態を尽きたい気持ちだ。そうでもしなければ、彼がやりきれないだろう。みんなが寄ってたかって常識的なことを言って慰めたとしても、彼の傷ついた心を癒すことにはならないはずだ。実際、公募しておきながら、応募者の意図を踏みにじるようなことがどうして許されるのか。音楽の担当者が編曲するとしても、これほどの編曲は編曲とは言えないだろう。それならば、せっかく応募していただいたのに採用できませんと謝罪をすべきではないか。校長ならそれくらい責任を果すべきだろう。
その理由がまた彼らしくていいなと思った。せっかくタイに赴任していたのに中途半端では誰も注目しない、ここは相手の度肝を抜くほどにやらなくては意味がないというのである。なるほどなと思ったけれど、さらにオチがあって、東京の居酒屋で友だちと飲んでいたところ、ヤンマーの人が「あなたはタイのどこから来たのか?」と尋ねてきたそうだ。そこで彼はタイ語で「私は日本人だ」と答えたと言う。ユーモアのセンスも面白いが、間違えるのも無理も思った。
ところで、『卒業生を送る会』だが、先生方による寸劇も行なわれ、ビデオで見る私たちにはちょっとピーンと来なかったけれど、子どもたちには大爆笑で迎えられていた。先生たちの寸劇は高校生になるとはどんなことか、面白おかしく描いたもののようだった。それにしても、忙しい合間を縫ってよくまあ、演劇まで見せてくれたものだと思う。きっと、子どもたちはそのことを忘れないであろう。
それで合唱の方はどうだったのか、私はとても気になった。長女のダンナに出かける前に、「しっかりビデオを撮ってきてね」と頼んだが、その時、彼は「自分の曲ではないような仕上がりで、ガッカリしています」と話してくれたけれど、その時点ではまだ、「ちょっと手直しされてしまって」という程度くらいにしか、思っていなかった。ところが、実際の合唱を聞いて耳を疑った。全然違うではないか!これでは彼が怒るのは無理もない。私なら、「バカにするな」と怒鳴り込んで行きたい気分だ。
確かに彼の作った曲はラップ調だから、今の学校教育の中では受け入れられないかもしれないなとは危惧していた。次女は学校で働いていたから、「無理だろう」ことは重々承知し、理解できるので、何とか彼を慰めようとしていた。私もそれはわかる。けれども、こんな理不尽なことは絶対に許されない。「なんと馬鹿な校長か」と校長の名を呼び捨てにして怒りまくっていたら、「そういうパパこそ見っとも無い。子どもの前で、校長の名を呼び捨てにするなんて最低!」と次女に非難されてしまった。
確かに、余りにも頭に来ることだとしても品がなかった。それでも、長女のダンナの無念を思うと思いっきり悪態を尽きたい気持ちだ。そうでもしなければ、彼がやりきれないだろう。みんなが寄ってたかって常識的なことを言って慰めたとしても、彼の傷ついた心を癒すことにはならないはずだ。実際、公募しておきながら、応募者の意図を踏みにじるようなことがどうして許されるのか。音楽の担当者が編曲するとしても、これほどの編曲は編曲とは言えないだろう。それならば、せっかく応募していただいたのに採用できませんと謝罪をすべきではないか。校長ならそれくらい責任を果すべきだろう。