友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

どうすべきなのだろう?

2012年01月08日 19時28分15秒 | Weblog

 私の井戸掘り仲間の子どもたちも、先日会った卒業生の子どもたちも、結婚してもよい年齢なのに、いやもう小学校へ通うような子どもがいてもよい年齢なのに、結婚しないで家にいる。働かずに親に食べさせてもらっているわけではなく、働いて給料をもらっているが、親元から離れようとはしない。好きな異性もいないし、「恋愛なんかめんどくさい」と思っているらしい。女の子でも男の子でも、家にいれば親が衣食住の面倒をみてくれるから、わざわざ独立して家のことまでやるのは、時間的にも経済的にも無駄と思えるようだ。

 

 親の世話を受けて生活しているのだから、パラサイト症候群なのだろうけれど、「ちゃんと家にはお金を入れていますから」と言う。下宿生活のつもりかも知れないが、何もかも面倒をみてもらっているのだから半分は寄生虫のようなものだ。子どもに自立を促さない親の方が問題だと思うけれど、そういう家庭が多くなってしまったのは事実だ。これは日本だけでなく、欧米にも見られるそうで、イギリスでは「ブーメラン・チルドレン」と呼ばれていると聞いた。

 

 アメリカの第35代大統領ジョン・F・ケネディの祖父はアイルランドからの移民で、アメリカで最初に就いた仕事は沖仲仕だった。野望と才覚に富んだ彼はその力仕事から抜け出し、32歳で州議会議員となり、やがてボストンの小さな銀行の理事となった。彼は息子をプロテスタントの学校に入れ、アイルランド移民いう差別を受けないようにした。息子はハーバード大学を卒業し、やがてケネディ財団を形成する立志伝中の人物となっていった。規模の違いはあるけれど、昨年、TBSテレビが放映した『99年の愛』の日本人も似ている。

 

 日本では食べていけないからとアメリカに渡り、苦労を重ねてやがて大農園主になっていく。1910年代から20年代のアメリカは、努力した者が報われる社会だったのだろう。「アメリカの国民総生産は年に5%ずつ成長し、10年間で一人当たりの所得は30%以上増えた。勃興した中産階級の家では、自動車、ラジオ、蓄音機、洗濯機、掃除機、ミシン、電話の7つの文化製品があるのが普通になっていた。レジャーを楽しむ金銭的余裕がある世界史上初めての社会が生まれた。レストランや美容室を盛んに利用し、映画を観に行った」(『金融資産の崩壊』より)。

 

 これは私たちが生きてきた戦後社会に似ている。夢中で働き、家を購入し、テレビやエアコンを備え、海外へも旅行に出掛け、一家に2台3台の車を持つ。物質的に恵まれてきた頃から盛んに精神的なものの欠如が問題視されてきた。それでもホリエモンや村上ファンドの新興成金が旧勢力に対抗しそうにまで大きくなっていた。バブルがはじけ、醜いものが見え初めた。そこで利権まみれの自民党政治に決別し、新しい社会に向けて政権交代に期待した。けれども、期待は見事に裏切られた。

 

 「非正規雇用が増えて中間層が崩壊する社会の到来は、危険な時代への予兆」「生活に追われて政治的な難題に真正面から対峙するゆとりもない。同時に、精神のバランスを維持するために『うっぷん晴らし政治』を渇望する」「大阪市の橋下市長の『ハシズム現象』も貧困マジョリティーの心情的瞬発力に支えられている」(経済評論家の内橋克人さん)。こんな先が見えない社会なのだから、家庭を持つなど恐ろしく無責任だと子どもたちは感じているのだろう。どうすべきなのだろう?

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