友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

本当に整理する日が来るまで

2012年01月10日 19時14分39秒 | Weblog

 朝のNHKドラマ『カーネーション』を面白いと思って見ている。戦死した夫の戦友から「ずっと大事にしていたものです」と、主人公の糸子は油紙に包まれた1枚の写真を渡される。夫が戦地に赴く時、着ていた背広が家に送られてきた。「こういうものには大事なものが隠されている」と父親に言われて背広を探すと、1枚の写真が出てきた。そこには夫と芸者が写っていた。浮気をしていたことを知り、怒りよりもショックが大きかった。だから、渡された写真がどんなものか気になるところだ。

 

 戦死した夫が大事に持っていたのは、長女の宮参りの時に写した3人の写真だった。そこで糸子は安堵し、全てを許し、夫と芸者の写真を燃やす。人は自分の過去を清算する時、過去の思い出が詰まったものを燃やしてしまう。過去が全て灰になっていくのを見届けることで、納得するのか、断ち切ったと確信するのだろう。人が死ぬと火葬されるのも、衛生上の観点だけでなく、断ち切る意味があるのかも知れない。時には思い切って過去を清算しないと、人は前に進むことができないのだろう。

 

 「整理の哲学」(?)でも、「ときめかない」ものは捨てなさいと言っていた。私は整理が苦手で、小さい時からのアルバムはもちろん、中学から書き始めた日記、手紙や毎年頂く年賀状など、何でも取ってある。『週刊アエラ』も創刊号から取ってあったが、余りにも増えすぎて廃品回収に出した。単行本はなかなか捨てられず、読みもしないのに本棚に飾られている。私の物置部屋には子どもたちのアルバムが置かれている。「どうして持っていかないのだろう?」とカミさんに言うと、「子どもの時の写真は親のために残してあるそうよ」と教えてもらった。

 

 選挙に出ないと決めて、そのための資料などは一切捨てた。捨てることで気持ちも整理できた。古い手紙や年賀状など、仕舞っておいても場所を取るだけなのに、なかなか踏ん切りがつかない。自分に関するものを整理し出すのは、死を意識し始めた時と言われることも気にかかるが、それでもやはり、おいおい整理し始めなくてはならないだろう。娘たちが、「何これ?」と思わなくてすむようにしておくことも親の務めだろう。まずは手紙や年賀状から始めなくてはならない。何しろ結婚した時から年毎に菓子箱に入れて貯めてあるのだから。

 

 古い手紙や年賀状や写真を貯めておくのは、実は意味の無い事をしていると分かっているつもりだけれど、それが整理できないのだから不思議だ。私は、「冷たい」とか「思い切ったことをする」とか、言われることもあるのに、思い出の整理となると決断できないというのも情けない。それでも開き直って、別にできないから何か困るようなことが実際あるのかと思ってしまう。まあ、こんな風にいつまでもグダグダと続けていくのだろう。いつか、本当に整理する日がくるまで。

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