昨日の『モーツァルト 最後の3日間』は、1791年に亡くなったモーツァルトの死因についての物語だった。イタリア人の数学者が謎に包まれていた死因を丹念に調査し、解明していった本『撲殺されたモーツァルト』が日本で出版されたことを記念して企画された、演劇・朗読・アコーディオン演奏・独唱・合唱という盛りたくさんの会だった。友だちは最初の演劇と続く朗読に出演していた。モーツァルトの死については、妻のコンスタンツェが毒を飲ませたとか、彼が所属していた秘密結社フリーメーソンによる殺害とか、宿敵サリエーリによって毒殺されたとか、梅毒だったとかいろいろな説がある。モーツァルトを映画にした『アマデウス』は奇人のごとく描いていた。
モーツァルトの死因を彼の友人フランツ・ホーフデーメルによる撲殺とこの数学者は解いている。たまたま酔っ払ったふたりが路上で出会い、勢い余ったフランツが杖で叩いたことが原因で亡くなったというのである。フランツは妻のピアノ教師であるモーツァルトが、妻を誘惑し妊娠させたと怒り狂ったのだ。友だちはこのフランツを演じていたけれど、酔っ払い振りも怒りの様も実にうまかった。声がとてもよく響き、大役を十二分に努めたと思う。それにしてもひとつのことにとことんこだわり、どこまでも解き明かしたいと思う人はいるものだと感心した。
『旧約聖書』を読んでみようと思っていた時に、講談社の文庫本を見つけた。著者を見たらカトリックの宣教師で聖書学者とある。パラパラッとめくってみると半分は解説になっていたので、これなら読んでも分かるだろうと思って買った。旧約聖書の「創世の書」なのだが、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も原点となっている書ということが納得できた。人類が誕生したのはアフリカであることは間違いないようだけれど、どうしてそれが世界各地へと広がっていったのかは分からない。NHKテレビが『ヒューマン』という番組を制作しているが、人類が生き延びたのは協力することができたからだと解説していたけれど、「創世の書」は殺し合いや騙し合いばかりである。
メソポタミアはチグリス川・ユーフラテス川が流れる肥沃な土地で、ノアの箱舟から降りた人類の祖先もこの地で暮らし始めた。ウルというところにいたアブラハムは彼が信仰する神に従い、北上しそこから西に進み、今度は南下して約束の地カナンにやってくる。現在のシリア・ヨルダン・イスラエルの辺りらしい。ウルでの生活はどういうものか分からないけれど、旅をするためには一箇所に固定する農業ではできないだろう。一族を引き連れていくことからも遊牧民と考えてもよいのかも知れない。行く先々で財産を増やしていくが、家畜や子どもが増えることを意味しているようだ。
他の人々と争うことになっても、一族の数が多ければ圧倒的に有利であるし、数が多ければ世話をする家畜の数も増える。アブラハムはそれだけでなく、他の人々が尊敬するような風格とか知恵を持っていたようだ。メソポタミアの人々、あるいはカナンの人々はそれぞれに信仰する神を持っていたが、聖書だから当然なことだけれど、アブラハムが信仰する神が唯一の神になっていく。そうなると、たくさん居たいろんな人々はアブラハムの直系ではないが、アダムとイヴのそのまた子孫の枝分かれで、アブラハムの子孫がそれぞれの部族となったのだと書いている。こんな風に物事を極める人が昔から居た。なるほどとまた納得してみる。