昨夜、小泉今日子と中井貴一が出演していたテレビドラマ『最後から二番目の恋』を観た。最後の恋ではなく二番目というのはどういう意味なのだろうと興味を持ったからだ。しっとりとした大人のドラマというよりは、ハチャメチャな喜劇に近い感じがした。まだ、1回目なのでこれからどんな展開になるのか分からないけれど、とりあえずは小泉今日子が引っ越してきた隣の家の主が鎌倉市役所に勤める中井貴一で、そこからふたりの出会いが始まるわけだが、今は惹かれ合う様子はなく、むしろののしり合うような状態である。
ドラマの始まりで、「寂しくない大人なんているのだろうか?」という小泉のセリフがあり、「寂しくない大人なんていない」という中井のセリフがあるだけに、これからどうなってしまうのだろうと思った。最近のNHKテレビはキスシーンどころかセックスシーンもあり、ドラマの内容も中高年に受けるようなものが多い。私が特に面白いと思ったのは火曜日の10時からのドラマだったけれど、年末にはそのドラマ『カレ・夫・男友達』が終わった後で、もうひとつドラマ『ビター シュガー』が続いた。しかも同じようなテーマのものだったので、その10時55分からのドラマは後から観ようと録画した。
たまたま昨夜は観るものがないからと録画しておいた『ビター シュガー』を観ることになった。ところがちょっとした勘違いから、それは10回連続の最終回のものだった。初めと終わりを観ればあとは何とか想像がつくので、「いいよ、そのままで」と観ることにした。『カレ・夫・男友達』は3姉妹の物語だが、この『ビター シュガー』は高校の同級生である3人の女性の物語で、年齢はアラホーという設定である。結婚はしたけれど離婚して娘と新しく出直す女性、見返りばかり求めずに愛する道を進もうとする女性、自分らしく焦らずに生きていこうという女性の3人が、ここに至までの紆余曲折を描いたものだ。最終回を観ると、それは当たり前というか普通のことで、特別どうこう言うようなことではないと思った。
人は寂しいから一緒に暮らしたりセックスしたりする。結局はそういうことなのだと思う。『最後から二番目の恋』のドラマの背景で、「人生ってやつはもともと寂しいものよ」というセリフが流れるが、そこがドラマの可能性であり、人がドラマに引かれる所以だろう。長い間、何の連絡もなかった人からやっとメールが届いて、それだけで有頂天になっている人もいる。人は人とつながっているだけで充分に満足なのだ。私の中学からの友だちの中に、喉を切開しているために会話がしにくい者がいる。彼にパソコンをやれば会話ができると進めたけれど受け入れてくれなかったが、手紙でもいいからつながりが出来るといいのにと思う。
明日は小泉今日子が、NHKの土曜ドラマ『とんび』に出てくる。こちらは原作者が重松清氏。ほろっと泣けるけれど、でもそんなにきれいな人生ばかりじゃーないのにと思ってしまう。女流作家のドロドロとした愛憎劇の方が現実味がある気がしてならない。これはもう好き嫌いの問題だろうが、表面的な家族愛が気に入らない私はいったい何者なのだろう。