友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

『少年Aの父母の手記』を読んだ

2015年07月10日 18時58分39秒 | Weblog

 雨が止んで、ちょっとだけ陽が差してきた。この様子なら明日は井戸掘りになりそうだ。固い粘土質の層に当たってしまい、掘り進めることが難しい。それに、やはり体力は極端に落ちた。一番若い私がもう力が入らないのだから、私よりも5つ年上の先輩たちがすぐ息が切れてしまうのも無理はない。明日、「掘れない」と告げても、このジイちゃんたちでは無理だと納得してくれるだろう。もうひとつ頼まれているが、こちらは濃尾平野だから掘れない地層ではないので期待したい。

 『少年Aの父母の手記』を読んだ。続けて少年Aが書いた『絶歌』も読んだ。少年Aと私に共通するところもあるが、きっとそれは多くの人に共通するところだろう。彼が特殊な気質だとしても、多くの人はそれを成長の過程で落としていくか、完璧に隠していく。彼はその特殊な気質を幼い時から隠してしまい、隠し通せてしまった、そこに悲劇が生まれた。それは母親の手記によく表われている。

 「Aは人に必要以上に気を遣うなど、繊細でやさしいところのある子でした。すぐ人を信じて傷つきやすく、臆病で純粋すぎる。根が正直なので、学校でも先生に思ったことをそのまま言うので、不器用で心配になるほどでした」。母親は溺愛することが親の務めと信じて生きてきた。だから、「親として子のことはいいことも悪いことも全部知っておきたい」と言っているように、全部知ることなど出来ないのに知っているつもりでいる。

 小学校でAが弟の友だちを殴った時、中学生になって親しくしていた同級生を時計を巻いた拳で何度も殴った時も、「理由があったんだろ」と諭している。母親は子どもの幼い頃、Aが弟たちに暴力を振るうので厳しく諌めるが、Aが砂場で遊んでいて玩具を他の子に取られても「返して」と言えないので、「取られたら、取り返しなさい」とけしかけている。小学校高学年で万引きしたり、ナイフで自転車のタイヤを切りつけたり、何度も学校に呼び出されているが重要なことと思っていない。だから、庭で猫を殺して解剖しているのに、気が付いていなかった。

 中学の時、同級生をいじめて注意を受けたのに、「Aと一緒に遊ばないようにと先生が言った」と聞いて、母親はすぐ学校へ行き、「なぜ、そんな注意をしたのか、理由を教えてください。私が納得できる理由がないなら、Aに謝ってほしい」と詰め寄っている。母親は「お母さんが全部、ちゃんと守ったるから」と言ってきたが、それが支配であることに気付いていない。溺愛すれば子どもが親の思うように育つと思うのは幻想だ。我が子であっても、個人なのだ。

 明日は夏祭りの打ち合わせをするのでブログは休みます。

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