茹だるような暑さが続いている。幸いなことに、我が家のルーフバルコニーは西側にあるので、午前中は日陰で涼しいが、午後は日差しが強く、冬季は北西の風が強くて出ることも出来ない。午後からの日差しを避けるため、テントを張っている。午前中はここにテーブルとイスを出して、コーヒーを飲みながらの読書という贅沢を味合う。
新国立競技場の建設は安倍首相の一言で白紙に戻ったけれど、競技場を1つ造るのに「2千5百億円だ」「いや3千億円以上かかる」と軽く言ってしまうのも、他人のお金つまり税金だからだろう。自分が出す時は、お金はかけないが自慢できるものをと智恵を絞るのに、税金の使い方は湯水のようだ。
建設費で高すぎると言っていたマスコミが、オリンピックとなると「国威高揚」を騒ぎ立てる。地元開催のオリンピックだから、金は何個以上とメダルの数を口にする。オリンピックの意義はクーベルタンが言ったように「参加することにある」のであって、メダルの数ではないはずだ。メダルが取れた国は自慢だろうが、メダルのない国の方が多いだろう。
「韓国にメダルの数で負けるのは悔しい」と敵対心を煽る。メダルを取るためには子どもの頃からの強化選手の育成が大事だと言い張る。そうして育てられて花開いた子を否定する気はない。自分の持っている才能が開花し、世界に通用するなんて素晴しいと思う。それでも、オリンピックのメダル獲得のためだけに育成していいのだろうかと思う。
私は国別対抗のオリンピックに反対だ。世界一速い、世界一高い、世界一強い、それを決めたいという気持ちは分かるし、見ていてドキドキする。頑張れ、頑張れと応援したくなる。個人やチームの対抗ならこれほど過熱することはないだろうが、国対抗となると選手の育成に韓国は100億円かけているのに、日本の25億円は少な過ぎると言い出す。
朝、目覚めて、「今日一日生きていられるだろうか?」と悩む貧困な人がいる国で、メダル獲得のため何百億円つぎ込み、競技場建設に何千億円つぎ込む。地方自治体の予算の10年分や20年分がいとも簡単に組まれていくが、本当にそんなことでいいのだろうか。暑さのせいで狂っているのは私の方なのだろうか。