私の家はマンションの地上35メートルほどにある。西側のルーフバルコニーに出ると、視界は270度ほど広がる。私の部屋からも左手に養老山脈とその奥に鈴鹿山脈、右手に伊吹山や白山に連なる山々が見える。伊吹山と養老の谷間が関が原だ。今日は灰色の雪雲が養老山脈から鈴鹿山脈を覆っている。伊吹山や白山辺りも青い空が見えたり、黒い雲が覆ったりと変化している。風は強くないが空気は底冷えするように冷たい。
子どもの頃、伊吹降ろしが冷たくて、風の強い日は家でじっとしているしかなかった。暖を取るものといえば、堀り炬燵と火鉢くらいしかなかったから、部屋全体が温まることはなかっただろう。木造の家でガラス戸が主だったから隙間風が吹き抜けていく。着ている物もダウンなどはないから、セーターか綿入れのチャンチャンコくらいだが、大きくなるとチャンチャンコは恥ずかしかったのか着ることはなかった。
家族で母屋から離れた倉庫を改修して住んでいたので、私の夢は家を建てることだった。材木屋だったから事務所には建築雑誌が置いてあった。私は小学生の時から飽きもせず熱心に雑誌を見ていて、いつしか真似して見取り図や完成予想図を描いていた。私が最も力を入れていたのは明るい窓がある温かい家だった。マンションは気密性が高いので、少しの暖房で充分温かいが、コンクリートなのでいったん冷えるとメチャクチャ寒い。おや、また西の空が灰色の雲で覆われてきた。
子どもの頃のことを思えばずいぶん贅沢な暮らしをしている。だから何も不満はない。江戸時代に餓死者が出なかった地域に暮らしていた人々はそれほど大きな不満はなかっただろう。周りは皆同じような暮らしをしていたはずだ。右肩上がりの生活を体験してしまうと、人はもっと欲しがる。欲望は人類発展の原動力かも知れないが、果たして本当にどこまで続くのだろう。