姉の見舞いに行って来た。今日は穏やかな日だったけれど、姉も穏やかな顔をしていた。車イスの生活だが、以前より少しふっくらしている。「少し肥えたねえ」と言うと、「そんなことない」と否定する。帰りの車の中で妹が「姉さんの方が長生きしそう」と言うが、本当にそんな感じだった。姉には娘がひとりいるが、聞けばもう59歳になると言う。3人の男の子はまだひとりも結婚していない。
新年早々に離婚の話をいくつか聞いた。結論から言えば、子どものまま結婚してしまい、生活の仕方が分からないのだと私は思う。結婚してもそれぞれが自分の好きなことをやり、相手と一緒にいるのは苦痛だと言う。じゃーなぜ結婚したのかと思うけれど、「都合がよかった」という答えにはビックリすると同時に、正直なのはいいが、「好き」とか「愛している」という感情はないのかと呆れてしまう。
結婚して40年も50年も一緒に暮らしてきたなら、相手が「空気のような存在」と言うのも分かる。目に見えないが必要不可欠ということだが、気持ちは理解できるが何か寂しい。上野千鶴子さんが言うように、「ひとりの人だけを一生涯愛し続けるなんて不可能」と私も思う。目移りもするし、心を奪われることもある。だからと言って、「もう心がここにないから」と別れるのは短絡過ぎる。
神奈川県小田原市福祉課で、生活保護受給者の支援を担当している職員たちが「保護なめんな」と読めるジャンパーを着用していた。英文だから読めない人が多いだろうが、「私たちは正義だ。不正が発覚した時は追及する」とか「不正受給はクズ」とか書いてある。助ける側にいるのに取り締まることに躍起になっている。トランプ次期大統領もそうだけれど、権力を持つ人はいっそう相手に優しくなければならないのに、なぜ本末転倒になるのだろう。
最近、この世は思うようにならないと痛感する。悲しいことが多いし、腹の立つことも多い。一見するとどんどん理想から遠ざかっているような気がする。次のステップへの試練の時なのかとも思う。「なるようになる」。きっとそういうものなのだ。