友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

狂気の沙汰

2017年01月19日 17時36分05秒 | Weblog

 大学入試のセンター試験で、スマホを使用した受験生がいたという。確かに今は、スマホで何でも調べられる。1度だけ大学の教壇に立ったことがある。学生たちはみなスマホを持っていたから、「調べてみたら」とけしかけても知らん顔だったが、何人かはスマホを操作していた。分からないことはスマホを見るクセがついているから、覚える必要がないようだ。

 日本将棋連盟の谷川会長が、「三浦9段につらい思いをさせて申し訳ない。トップが辞任することで誠意を示す」と表明した。昨年の秋、対局中の三浦9段が将棋ソフトを不正使用したとして出場停止の処分を行ったが、調査委員会は「不正を認める証拠はない」と報告。谷川会長が陳謝し幹部の減給を発表したものの批判が収まらなかった。辞任で全てが丸く収まる訳はなく、いったん疑いをかけられた三浦9段の名誉は簡単には回復しないだろう。

 先日もテレビで犯罪者が社会復帰することの難しさを取り上げていたが、どうしても前科者を特別視してしまう。犯罪も色々な場合があり、動機もそれぞれに事情があり、根からの悪者などはいないのだろうけれど、結果だけを見て前科者を警戒してしまう。犯罪でなくても、ちょっとしたウワサだけで差別したりする。人間はどういう訳か分からないが、差別や区別をしたがる。

 那智勝浦の補陀洛山寺に小型の船が置いてあった。紀伊半島には日本人の祖先と言われる神々が降りてきている。また、天竺(?)からやってきた僧侶が辿り着いたという話もある。そうした伝説が生きている土地柄である。この寺にある小舟はもちろん当時のものではなくレプリカだが、眺めていると恐ろしくなる。極楽浄土を目指したのか、天竺を目指したのか、4・5人が船に乗り、海に向かったと言うのだ。

 小さな船だから水や食糧を積み込んだとは思えない。しかも中に入ると外から全ての扉を打ち付けたと言う。これでは極楽どころか地獄行きだと思うけれど、各地の海岸からこのような船が出たようだから、信仰が無ければ狂気の沙汰だ。今なら、死ぬしかない船出だと分かるけれど、どうしてこんな狂気がまかり通っていたのだろう。人間は優しく賢いけれど、思い込むととても怖い存在になるようだ。

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