友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ゴッホとゴーギャン

2017年01月05日 17時48分26秒 | Weblog

 県美術館で『ゴッホとゴーギャン展』を観てきた。多分、日本でふたりを比べるとゴッホの方が人気があるだろうが、私はゴッホよりもゴーギャンの方が好きだ。ゴッホが好まれるのは情熱的な画風とともに、壮絶な生き方にあるように思う。ゴッホの絵は凄いテクニックを駆使したものではないから、自分でも描けそうな、そんなところが人気なのかも知れない。小学生に無料券が配られているようで、たくさんの子どもたちが来ていた。

 写真が生まれる前、絵は記録の意味があったから写実的で職人の仕事だった。社会の変化、王制が打倒され市民が生活を楽しむようになると、絵の果たす役割も変わった。徒弟制度の職人ではなく、個人が好きで絵を描くようになったのは、素人の絵が売れるようになったからだ。ゴッホもゴーギャンもそんな時代、19世紀の後半の人だ。

 ゴッホは理想家というより夢想家だと思う。新しい時代の中で芸術家たちの共同生活を目指した。南仏の美しい街で芸術論を交わし、作品について批評し合い、切磋琢磨していく、そんな理想郷をゴッホは夢見ていた。巨人軍の王選手は長嶋選手に憧れていたそうだが、「試合が終わっても一緒にいる」気はなく、「早く解放されたい」と思っていたと言う。どんなに立派な相手でも四六時中縛られるのでは息が詰まるだろう。ゴーギャンが共同生活の解消を提案すると、ゴッホは自らの左耳を切り落とした。

 夫婦でも求め過ぎれば負担になる。相手を自分の理想の形に押し込めようとすれば逃げたくなる。社交的なカミさんと無口なダンナの夫婦がいる。カミさんは知人も多くいろんな付き合いにダンナを引っ張り出している。ダンナのエライところは、カミさんに逆らわないが決して自分を見失わない、自分の価値観や生き方を持っているところだ。この夫婦を見ていると、「なるほど」と思えてくる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする