昭和で最も売れたシングル盤は『およげ たいやきくん』だという。フジテレビの子ども向け番組「ひらけポンキッキ」で歌われたものが、いつの間にか子どもよりもその父親たちの関心を引いた。私もその頃、ふたりの子どもを授かり、テレビで見ていた。昭和が終わり、平成になると、「昭和歌謡」などと懐かしい番組が作れれ、必ず『およげ たいやきくん』が登場するようになった。
改めて聞いてみて、やっぱり子どもよりも大人の歌だと思った。出だしの「毎日 毎日 ぼくらは鉄板の」が、多くのお父さんたちの心に引っ掛かったのだろう。「毎日 毎日」出勤し、別に「鉄板」とは思わなくても、職場で黙々と働き、来る日も来る日も同じことの繰り返しに、「やになっちゃう」と感じながら、じゃ―どうするんだと考えても、結局は歌のオチのように、元の場所しかないのだ。サラーリマンは誰もがきっとそんな思いでこの歌を聞いたのだろう。
私は教員の時も、自分で地域新聞を始めた時も、議員になった時も、毎日が違っていて、だから大変だったから、「やになっちゃう」ことはなかった。ああやってみたらどうか、これがいいのでは、どうしてなのかと疑問を追う、毎日が面白かった。退屈など感じる余裕がなかった。時間に追われ、それを充実した日々と錯覚する、それで充分楽しかった。頭に浮かぶことを人にどのように伝えるのか、そんなことをあれこれと追い求めているうちに年老いてしまった。
せっかく飛び出した「自由な海」にも結局、何もなかったように、何かを求めていたはずが、何もなかったように思う。人生は、その「何か」ではなく、「求める」ことなのかも知れない。今日は雨降りで、少し寒さが戻った。求めれば遠のき、諦めれば消えてしまう。何かが分からなくても、ひたすら追い求めるしかないようだ。