秋になるといつも悩む。花の終わった鉢の土を全部出して、地中に残っている根を取り出してきれいにする。こんなに丁寧にやる必要があるのだろうかと思いながら、相変わらず1鉢1鉢ブルーシートの上にひっくり返して作業を続けている。
バラの鉢は随分少なくなった。アジサイも幹が大きくなりすぎて、根が伸びきれないためにバラ同様に瀕死の状態だ。まだ咲きそうなアジサイを残して他は処分している。処分したバラとアジサイの鉢が残っているので、どうしようかと思案している。
土の入った鉢を並べて置くだけでは余りに寂しい。誰にも見てもらえない鉢植えの花園だが、自分が楽しければそれでいいのではないか。確かに私も歳を取り、しっかりと花たちの世話が出来なくなっているが、それでもやれるうちはやろう。
そんなことを堂々巡りのように考えながら作業をしていた。日中は汗ばむくらい暑かった。小学校の運動場から集団で下校する子どもたちの声が聞こえる。この子たちが大人になる頃は、日本はどうなっているのだろう。いや、そもそも世界はどうなっていることだろう。
いつも二科展に招待してくれる作家から案内をいただいた。明日、地元の「ふれあい文化祭り」に出展するから見てくださいというものだ。気安く「あい分かった」と言ってしまってから、明日は井戸掘りだったと気が付いた。
慌てて何人かの友だちに案内をFAXで送ろうと思い、FAX番号を問い合わせるが無しのつぶてだ。そもそもが私のミス、申し訳ない。作家は誰かに見てもらってこそやりがいを感じる。自分が必死で考えて創り出した作品が、誰の眼にも止まら無ければやり切れない思いだろう。
明日の井戸掘りは絶対に水が出て欲しい。気が滅入ることばかり続くと何もかも嫌になってくる。