テレビは各局ともサッカーW杯の話題を報じている。にわかにサッカーファンになった人もたくさんいる。学校でも体育の時間はサッカーになるのかと思ったが、意外にいつも通りに縄跳びやドッジボールだった。
私が生まれ育った刈谷は城下町で、小学校は城跡の一角にあった。城らしい雰囲気が残る場所は公園で、たくさんの桜の木が植えられていた。公園の南側に球場があり、小学校の運動会も行われた。
刈谷が「サッカーの街」と言われたのは、1950年(昭和25)に第5回国民体育大会のサッカー会場としてこの球場が建設されたからだ。小学校も中学校も、体育の時間にサッカーをすることは多かった。
子供会ではソフトボールが盛んだったが、私はサッカーの方が好きだった。高校はサッカー部が全国大会に出場するほどの強豪校だったから、体育の時間と言えばサッカーだった気がする。ただ、サッカーは格闘技のようなところがあるから、メガネをかけていた私は2度ほど壊してしまい、父親に無駄な出費をさせてしまった。
大学の最初の体育の授業で、私は高校の時の体操服を着ていたので、先生から「サッカーの名門校だな」と言ってもらえた。走ることは早かったからサッカーには向いていたが、メガネが無いとどこに球があるのかも分からない。
高校の教師になった時、生徒とラグビーの試合をやることになり、新任の私たち男性教師はメンバーに入れられた。私はスクラムの先頭を命じられたが、ラグビーではメガネを外さなくてはならないから、いったい仲間がどこにいるのか、ボールがどこにあるのか分からないまま走り回っていた。
カミさんが「スポーツは見ているだけで、なんか何か心を豊かにしてくれるわね」と言う。スポーツ大会に観客が興奮するのも、そんな心の浄化作用なのかも知れない。当分はサッカー熱が続くだろう。